櫛田さんと共同で行うテスト問題の製作は順調であった。彼女は積極的に関わって来て様々な考えや問題を提示してくれるので、とても順調であると断言できる。
ただ、彼女と作るのは全てがダミーであるので完全に無駄になってしまうのが心苦しくもある。完全に無駄な時間となってしまうからだ。
頭の中にいるもう一人の自分が作るテストが本命である。そこは本当に申し訳なく思っている。櫛田さんを騙していることになるからね。
櫛田さんと鈴音さんの確執と、敵対、それらを取り除かない限りは、本当の意味での信頼を結ぶことはできないのかもしれない。
俺は櫛田さんのことは嫌いではない、そこは間違いない。複雑な人はとても魅力的だ。だからこそもっと彼女と強固な信頼関係を繋ぎたいと思っている。
そしてできれば恋を教えてくれるような人になって欲しい。そこまで求めるのは酷なのかもしれないが。
「寒くなって来たな……」
放課後になり周囲は薄暗くなっている。俺はマンネリ防止要員として各グループに顔を出しているのだが、それも終わって今日の勉強会は解散となっていた。
校舎から外に出た瞬間に冷たい空気が頬を撫でた、今はまだ凍えるほどでもないのだが、冬が近いことを実感させるには十分だろう。
こんな日はさっさと部屋に帰って文化的活動に勤しむものである。今日は櫛田さんとのテスト問題の製作もないので真っすぐ学生寮に帰ることができた。
今頃、もしかしたら鈴音さんと櫛田さんは話し合いの場に立っているのかもしれない。きっと落としどころは見つからないんだろうけど。
いっそ限界まで殴り合えば良いんじゃないかと俺は思ってしまう。建前も仮面も捨ててお互いに立てなくなるまでだ、それで分かり合えることもある筈だ。
まぁこんなことを言うと、清隆にゴリラだと思われるんだろうな。俺からしてみれば彼も大概ゴリラ寄りの人間なんだけどね。
「あ、笹凪くん」
険悪な表情で話し合っているだろう櫛田さんと鈴音さんの様子を思い浮かべていると、校舎の玄関から一之瀬さんが姿を現した。鈴音さんとの交渉で合同の勉強会をしたらしい彼女も、どうやら寮に帰るつもりらしい。
「やぁ一之瀬さん。今から帰りかい?」
「うん、笹凪くんもだよね? 良ければ一緒に帰ろっか?」
「もちろん……どうやら相談したいこともあるようだしね。俺で良ければ付き合おうじゃないか」
「え……にゃはは、プールの時もそうだったけど、私ってそんなにわかりやすいかな?」
「君はいつも明るく朗らかな表情をしているが、今は少し悩みがあるように思える。俺でなくとも気が付くだろう。それで、どんな悩みかな? 笹凪先生に話して見なさい」
俺と彼女は並んで学生寮まで歩き出す。そう言えばこうして一之瀬さんと下校するのは初めてのことである。彼女はいつも誰かに囲まれている印象があるからな。
「え~と……」
「あぁ、話したくないのなら、それで良いさ」
「そうじゃないよ、なんて言えば良いのかちょっと迷って……ん~、笹凪くんはさ、前に無人島での試験で、困っている人がいれば手を差し伸べるって言ってたよね? 利益とか、そういうのを無視して」
「確かに言ったね」
「それは、どうしてなのかなって?」
「ん、何故そんな質問をするのかっていう疑問は横に置くとして……そうだね、俺の中でも明確な答えは出ていないんだけど、敢えて言葉にするのならその方がカッコいいからだね」
「カッコいい?」
「あぁ、俺の中ではカッコいいかどうかが行動原理の多くを占めているんだと思う」
「カ、カッコいいから誰かを助けるんだ?」
「応とも、カッコいいは重要だ。これは容姿の話ではなくて生き方の話でね……誰かが落とし物を探していたのなら共に探す、迷子がいたら道を示す、老人が辛そうにしていたら席を譲る、誰かが悲しんでいたら共に寄り添う……うん、そんな男の方が絶対にカッコいいだろう」
斜に構えてギラギラしている男よりも、俺はその方がカッコいいと思う。
師匠曰く、男は死ぬまでカッコつけなければならない。
「大した理由がなくてごめんね。けれど、困っている誰かを助ける理由なんてこれで良いと思うよ、俺は悪人と思われるよりは善人と思われたい人間だしね……だから誰にだってカッコつけるんだ、誰かが困っているよりも、笑ってくれている方がずっと気分が良い」
「そうなんだ……凄いね」
俺の話を隣で歩きながら聞いていた一之瀬さんは、小さくそう言って視線を僅かに下げる。
今日の彼女は少し様子が異なるな、何かあったのだろうか?
「凄いかな? 俺が言っていることは、別に特別なことではないと思うんだけど」
世の中を見渡せば同じことをして考える人だっているだろう。何も特殊なことでもなければ、特異なことでもない。
俺よりも善人の誰かなんて、それこそ億単位でいると思う。
「一之瀬さんだってそうなんじゃないかな? 誰かを思って行動できる人じゃないか」
「ち、違うよ……私は、そんなんじゃない。笹凪くんと一緒だなんて言えないよ」
「それはどうしてだい?」
そう尋ねると、彼女は下げていた視線を上げてこちらに向けて来る。見つめ合う形となった俺たちの瞳は、しかし反らされてしまう、まるで眩しい何かから顔を背けるように。
それでも何かを伝えたいのか、パクパクと唇を揺らして何か言葉を紡ごうとするのだが、上手く纏まらないらしい。
「だって、私は……」
動揺と、後悔と、後は懺悔だろうか? 観察しているとそんな感情や思いが見え隠れするのがわかる。
だから俺はそんな彼女に、先手を打つようにこう言った。
「善行に貴賤がないように、善人であることもまた同様だよ」
「……え?」
「一之瀬さん、君はもしかしたら俺が思っていた以上に複雑な人なのかもしれないね。多くの悩みと多くの後悔を知る、うん、普通の女の子だ」
「そ、そうかな?」
「あぁ、今の君はとても普通だ……悪い意味で言ってるんじゃないよ? どこにでもいる、色々なことに悩んでいる人で、とても高校生らしい」
いつも誰かに頼られ親しまれる一之瀬さんではあるが、当たり前のことだがそんな彼女も高校生である。悩みがあって当然の年頃だろう。
「もしかしたら君は多くの悩みの上に立っているのかもしれない、様々な後悔をしながらここにいるのかもしれない……けれど、それは自然なことだよ」
「……」
「善人に思われることは心苦しいかい?」
「そ、それは……」
視線が面白いように揺れ動く。
「誰かに慕われることが怖いのかい?」
「……」
通学路の途中にある、いつか鈴音さんとお兄さんが争っていた自動販売機の前で立ち止まり、そこで温かい飲み物を購入して片方を一之瀬さんに渡す。
そして隣にあるベンチに腰掛けると、彼女もまた引かれるように座った。
「けれどね、君が多くの人に慕われているのは事実じゃないか。複雑に考えないでそれで良いと思うけどね」
「にゃはは……そんな簡単には、いかないかな」
おどけたように、けれど隠し切れない負の感情を見せながら彼女は笑う。
「一之瀬さんは困っている人がいれば手を差し伸べるだろう?」
「うん、それはもちろんだよ」
「落とし物を探している人がいれば?」
「手伝うよ」
「バスの席が満席の状態でご老人がやってきたら?」
「席を譲るかな」
「困っている誰かがいれば?」
「私にできることなら精一杯手を貸すよ」
「あぁ、それで良いじゃないか……結果が大事なんだ。そこに至る過程や過去なんてあまり意味が無い。重要なのはその行動そのものだよ」
「う~ん、そんな簡単な話じゃないんだけどなぁ」
「いいや、簡単な話さ」
ベンチに座ってココアをチビチビと飲む一之瀬さん、まだ迷いや葛藤があるらしい。
「何もしない人よりずっと良い、手を差し伸べない人よりもずっと尊い、共に寄り添わない誰かよりも遥かに強い……過程じゃない、結果が大事なんだ。どんな思いかじゃなくて、何を成したかだ。だから、思い悩む必要はないさ」
「笹凪くんは、やっぱり凄いね。そんなこと言えちゃうんだから」
「凄くはない。ただカッコつけたいってだけの男だよ、自己中心的でなんだったらナルシストなのかもしれないね。けれどそんな俺が頑張って誰かが笑顔になるのなら、それは素晴らしいことだと思う」
だから俺はどれだけ呆れられて馬鹿にされてもカッコつけるのだ。カッコつける為ならどんな危機にだって立ち向かう。
うん、そう思うと俺って凄く馬鹿だと思う。けれどそれで良いのだと思ってしまったからな、きっとこれからもカッコつけるナルシスト全開な生き方をするんだろう。
そうやって死んで逝けるなら、なんて素晴らしい最後だろうか。
「だから一之瀬さん、自分なんてと思う必要はない、負い目を感じる意味もない、誰かを笑顔にする人間になれるのならば、それはとてもカッコいいことだ。それ以上に重要なことなんてない……なんて言ったら、ちょっと偉そうに聞こえるかな?」
「うぅん、そんなことないよ」
そこで彼女はようやくクスッと笑ってくれる。沈んだ顔よりもやはり笑顔の方が美しい。
「では笹凪先生、いつものお願いします」
「うむ、グダグダ悩んでないで前を向きなさい、時間は君に寄り添ってなどくれません」
「はい、わかりました!!」
元気よくそう答えてくれたので、偉そうな笹凪先生の説教はこれで終わりとなった。
空になったココアの缶をゴミ箱に捨てて、再び俺たちは寮に向かって歩き出す。
「ねぇ笹凪くん、もしもの話なんだけど……」
「ん、何だい?」
「えっと、その……私がさ、どうしようもないくらいに挫けちゃった時は、また話を聞いてくれるかな?」
「おいおい、そんな予定があるのかい?」
「いやいや、もしもの話だよッ!? いや、無いけどね、でも、無きにしも非ずと言いますか、え~っと……私、何言ってるんだろ」
わちゃわちゃと両手を動かして慌てて見せる彼女は、最終的に頭を抱えてしまった。
「まぁ、その時が来れば話くらいは聞くよ、誰にだってそんな時はあるだろうからね」
「うん、ありがとう……約束だよ?」
「あぁ。逆に俺が挫けそうな時は、君が話を聞いて欲しい」
「もちろん。でも笹凪くんがそうなってるのって想像できないかも」
うん、俺も想像できない。挫折なんて師匠から星の数ほどに与えられたからな。何が来ようと心は折れないと思う。
目の前にどんな絶望があったって、ぶん殴れば良いだけだからな。ただそれだけのことで挫けてなんていられない。
「まぁもしもの時の話だよ。誰かが支えてくれるとわかっていれば、少しは気が楽になるよ。俺も君もね」
一之瀬さんもまた色々と複雑な人ではあるんだろう。その内心にどんな迷いや葛藤があるのかは知らないが、それで何も問題なんてありはしない。
複雑な人は魅力的だ。俺はこの学校に来てからよくそう思うようになったと思う。
清隆にしろ、高円寺にしろ、龍園や櫛田さんに堀北さん、本当に色々な人がいて面白い。それが社会だと師匠に教えて貰ってはいたのだが、知識と経験はまた違うと言うことなんだろうね。
「あ、そうだ、相談ついでになんだけどね、もう一つだけ笹凪くんに相談しても良いかな?」
「ん、なんだい?」
「実はね、今回の特別試験のことなんだけど」
「あぁ~……それって俺が聞いても良いのかな?」
「良いと思うよ、私たちは今回の試験で戦う訳じゃないしね。堀北さんからも一緒に勉強会をしようって言われたよ」
そう言えば堀北さんグループは一之瀬さんたちと一緒に勉強会をしているんだったな。
なら一之瀬さんクラスの目標や作戦を聞いても良いのかもしれない。俺たちが指名している相手も被っていないのだから。
「ん、なら問題ないか、どんな相談なんだい?」
「えっとね、実は坂柳さんから今回の試験で協力しないかって持ち掛けられてるんだ。どうしようかなって迷ってるんだよねぇ」
「坂柳さんがそんなことをね、因みにそれってクラス全体で共有している訳じゃないよね?」
「うん、神崎くんにも話してないかな。今の所は私と坂柳さんだけの話だよ」
一之瀬さん的にはこの話を受けるかどうかで迷っているらしい。都合が良いと言ってしまえばそれまでだし、有利に運べるという考えもあるのだろう。
「Aクラスの内部分裂、いよいよ深刻になって来たって感じだね」
「そこなんだよね。葛城くんと坂柳さんの対立は私も知ってたけど、ここまでだなんて思ってなかったかも……大きくポイントが動く特別試験でもそんな感じだなんて、Aクラスって大変だよね」
「あぁ、莫大なクラスポイントを持っているが、数字ほど優雅な生活ではないんだろうさ」
「二大派閥の対立だなんて他のクラスには無いもんね」
ウチのクラスには対立は無いけど、代わりにとんでもない地雷が埋まってるけどね。
「ん、とりあえず一之瀬さんの考えを聞かせて欲しい」
「……私は、受けようかなって思ってる」
「流された末の選択ではないんだろう?」
「そうだね、ちゃんと考えてそう決めたかな……でもちょっと迷ってたりして」
「もしかしたら罠かもしれないから、迷って当然だと思うよ」
「罠かぁ……そうだよね、そういう所もちゃんと考えないとダメだよね」
「もしかしたら対立は外向けのポーズでしかなくて、これまでの姿勢はこの試験で一之瀬さんを陥れる為の盛大な前フリだったとか」
「も、もしそうなら怖すぎるよ!?」
確かに、そこまで手が込んだことをされるとお手上げかもしれない。これまでの対立が全て嘘でこの日の為だったとか、とんでもない策士だった。
「まぁ流石にそこまで手が込んだ真似をするとは思えないから、この話を受けてしまっても良いと思うけどね」
彼女もそう思ってはいる筈だ。何よりここでAクラスに勝ってポイントを得ることは強い自信に繋がるのだから。
「正々堂々の戦いで勝ちたいのならば拒否するのも一つの手だろう。けれどそうなった場合、おそらく神崎辺りに話を持っていくんじゃないかな」
「そっかぁ、最終的にはそうなっちゃうかぁ……」
「悪い話ではない。けれど油断して良い訳でもない……そうだなぁ、俺ならその話を受けてあちらのテスト問題を把握した上で、勉強会でその問題をクラスメイトたちに試験対策テストって感じで出したりするかな」
「あっちの都合だけを信じて行動しないってことだね?」
「そう、もし直前になって裏切られた所で何も問題はない。何故なら最初から相手の情報を鵜呑みにしないで行動していたからだ。クラスメイトたちもそんな裏取引を知らないままテストに挑める……もし本当に提供された問題がそのまま出てきたらラッキー、出てこなくてもこれまで頑張って勉強していたから何も問題ない、違うかな?」
「確かにそれが一番かもね。うん、そんな感じで行こうかな」
「あぁ、それで良いさ」
今回の試験、もしかしたらAクラスは敗北するかもしれないな。葛城は莫大なローンを契約しているのでクラスポイントが100も減れば大打撃となってしまう。坂柳派の勢いがまた増すだろう。
クラスポイントが1000を下回る日が来れば、いよいよだ。
「個人的には、Aクラスの内部対立はいつまでも続いて欲しいとは思ってるんだけどね」
「確かに、今回みたいな提案がこれからもされたりするかもしれないもんね。それだけに甘えちゃうのもどうかと思うけど、やっぱり有利な所もあるだろうし」
「追う側としてはこれ以上ないくらいにありがたい状況さ……葛城は大変だ」
本当に大変だと思う。彼は高校生という括りの中ではとても優秀な男なのだが、同級生の性格が悪すぎると思う。
真面目にやっている人が損をするのはとても悲しいことだ。普通はそういった人こそが報われるべきなのに。
身内に足を引っ張る存在がいるという、クラス闘争にとっては致命的な状況の恐ろしさを改めて実感するしかない……いや、俺も葛城を笑えるような立場じゃないんだけれども。
そんなことを考えていると学生寮に辿り着く。一之瀬さんの雰囲気もすっかりいつもの感じに戻っていた。
「笹凪くん、今日はありがとう。ごめんね、なんだか私、事あるごとに相談してる感じになっちゃって」
「構わないよ。男というのは単純でね、誰かに頼られるとついカッコつけちゃうんだ。そして俺はカッコよくありたいと思っている。つまりとても嬉しい状況なんだ」
「にゃはは、なら遠慮なく頼っちゃおうかな」
「そうしてくれ、俺はとても嬉しい」
それに色々と面白い話も聞けた、今回の試験でのAクラスの動向や考えを知れたのは良いことだろう。あのクラスの対立もいよいよ泥沼になってしまっている。
坂柳さんはそんな状況をどう思っているんだろうか? あの人はAクラスでの特典にそこまで興味を持っていないように思えた、どちらかというと自分の中にある目的を達成することを優先する人のように受け取れる。
その目的の中にAクラスでの卒業があるのかどうかは知らないが、彼女がクラスの指揮を大手を振って取れるようになれば、強敵になるのは間違いない。
早めに龍園を処理しておかないとダメだな。少なくとも今はまだ俺たちには勝てないと判断して大人しくさせなければならない。
前途多難だ。けれどそれでこそ人生だと思う。それを実力で乗り越えることこそが、きっとこの学校が求めていることなんだろう。
間違っても足の引っ張り合いや他者を陥れることに、己の全力を出せと推奨している訳ではないと考えたい。