櫛田さんは大きく息を吸い込んだ。
それはもうとてつもない勢いで深呼吸をして酸素を取り入れていく。これから潜水でもするのかと思う程に長い。
やがてその深呼吸が限界まで達した瞬間に、彼女はカラオケルームにあるマイクを片手に持って鼓膜が破れるのではと心配になるほどの声量で叫ぶ。
「堀北死ねぇええええぇええッ!!!」
俺は事前に耳を塞いでいたので鼓膜にダメージを受けることはなかった。そんなこちらの様子など知ったことかとばかりに櫛田さんの叫びは続く。
「死ねッ!! 死ね!! 死んじゃぇッ!! 貧乳!! ブス!! クソクソクソッ!!!」
完全防音のカラオケルームにはかれこれ三十分近くに渡って、彼女の呪詛が垂れ流されている。
ふとスマホに目を向けてみると清隆からのメールが届いており、内容は「堀北がブチギレしてるからフォローしておけ」というものであった。
どうやら鈴音さんも怒っているらしい。もしかしたら俺は後で彼女に土下座する羽目になるのかもしれない。
「大して可愛くもないくせにお高く止まりやがって気持ち悪いんだよッ!! アンタなんて、アンタなんてッ!!」
ゲシゲシと櫛田さんはカラオケルームのソファの上にあったクッションを何度も踏みつけている。止めなさい、後で弁償しなきゃいけないから。
彼女をデートに誘ったまでは良かったが、そこからここまで連れて来るのはもの凄く大変であった。何せ苛立ちは限界突破していたし、移動している間に耳に届いた舌打ちは数え切れないほどである。
それでもデートに付いてきてくれたのだから俺に不満はない。何度舌打ちされて、何度睨みつけられようとも笑顔で対応したのだ、褒めてやりたいね。
やや強引であったがカラオケルームに辿り着いた瞬間に櫛田さんはあんな感じである。暫く帰ってこないと思うので注文したポテトとピザでも食べておこう。
「ブスッ!! なんだあの無駄に長い髪ッ!! 変な所で編み込みやがって、似合ってないんだよッ!!? さっさと切れ!!」
このポテト美味いな。ピザも初めて食べたけど想像より美味い。師匠は和食が好きだったから神社では和食中心だったし、こういった食事はあまり経験もないので新鮮に感じる。
他にも何か未知の料理がないかとメニューを眺めていると、メロンクリームソーダという飲み物が気になった。
これは初めて飲むな、メロンクリームソーダ、メロンでクリームでソーダな飲み物なんだろう。神社ではまず見ることのなかったものである。
「クソクソクソクソッ!! クソッ!!! クソオオオォォォッ!!!」
唐揚げも美味しいな。今度部屋で作る時はこの味付けも真似してみよう。
「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ~~~」
カラオケで出て来る料理も馬鹿にできないのかもしれないな。いや、まぁ、俺はその手の判断ができるほど舌が肥えてる訳でもないんだけど。
「天武くん……」
「あ、終わった? お疲れさま」
かれこれ三十分近く続いた櫛田さんの絶叫とストレス発散がようやく落ち着いたらしい。そんな彼女に俺はコーラを差し出した。
喉が渇いているだろうからね、櫛田さんも不機嫌な顔をしながらもカップを受け取って物凄い勢いで吸い込んでいく。
「ぷはッ……」
「はいお疲れさま、こっちの唐揚げもどうぞ、美味しいよ」
ズイッと彼女の眼前に唐揚げの乗った皿を出すと、やはり彼女は不機嫌そうにしながらもそれを受け取って口に運ぶ。
「沢山叫んで、喉を潤して、お腹が膨れれば人は落ち着くものさ。とりあえず何か話そうか?」
「今更、何も話すことなんてないよ」
普段の可愛らしい姿や表情はどこかに消えて、とても鋭い眼差しでこちらを睨んで来る。皆のアイドルはどこにもいなかった。
けれどまぁ、これはこれで面白いと思う。複雑な人はとても魅力的だからな。
「いやいや、今だからこそ沢山のことを話せると思うな。ようやく俺たちは本音で話し合えるようになったんだからさ」
「……」
「まず最初に言っておくね、俺は君のことを嫌いじゃないよ」
そう伝えると彼女は信じられないと言いたげな視線を向けて来る。
「ん、でもきっと君はこんなことを言っても信じられないと思うんだろうね」
ふんッと、鼻を鳴らしてそっぽを向く櫛田さんは、山内や池辺りが見れば卒倒するかもしれないほどに態度が悪い。どこか龍園味を感じる雰囲気すらあった。
「ん~……どうしようか、そもそも櫛田さんはどうして鈴音さんを追い詰めたいのかな?」
「そんなの、決まってるじゃない……あの女が私の過去を知っているから。天武くんもそうなんだよね?」
鋭い視線はそのままにしながら、彼女はコーラを飲みながらそう言った。
「そうだね、君がいた中学で学級崩壊があったってことをザックリと知っているよ。けれど細かいことまでは知らないから、できれば教えて欲しいな」
「知ってどうするのかな?」
「単純に興味があるから、かな」
「……嫌、別に面白い話でもないもん」
「そっか、なら無理には訊かないよ」
まぁ何があったかはだいたい想像できるので、今は必要ないだろう。
「天武くん、私に何させたいのかな?」
「ん? デートだけど」
「ッ!! 違うでしょ、どうせ私の弱みに付け込んで言うこと聞かせたいんじゃないかな? 絶対にそう、だって天武くんは堀北さんの味方だもんね!!」
「いやいや、俺は別に鈴音さんだけの味方って訳じゃないよ」
「鈴音? どうして名前を呼んでるのかな? 私の目の前でさ、当てつけ? 自慢?」
う~ん、情緒が不安定すぎる……。
「そもそも天武くんは勘違いしてるんじゃないかな、あの女は絶対に間違いなく性悪でどうしようもないアバズレだからね? 部屋は汚くて風呂にも入らないし、ネットに悪口書いて炎上するタイプの女だから、外面だけに騙されない方がいいから」
そして鈴音さんへの風評被害がとんでもないことになっている。そうであって欲しいとさえ思っているようにも思えた。
「でも、そんな鈴音さんであっても俺は面白いと思うよ」
「惚気るなッ!!」
とうとう彼女は俺にも怒りを向けて来る、櫛田さんの右ストレートが俺の肩にぶつかった。まぁ、別に痛くはないので構わない。
「どうせッ、どうせアイツの方が良いんでしょ!? 私より可愛いと思ってるんだ?」
「落ち着いて、櫛田さんも魅力的だと思っているよ」
これは嘘ではない。方向性が違うだけでどちらも好ましい女性だと思っている。
「じゃあ私の味方になってくれる?」
「もちろん、君が困っていたら、俺は力になるさ」
「……堀北を退学にさせたいって言ったら?」
「そりゃ全力で阻止するけど」
「嘘つき」
「そんなこと言わないで欲しいな……俺は櫛田さんだろうと堀北さんだろうと、他のクラスメイトだろうと、もっと言えば見知らぬ誰かであろうと、困っているのなら必ず力になるよ。これは俺の根底にある生き方だからね」
そういった男の方がカッコいいと俺は思っているので、そうあるだけだ。もしかしたら俺にとって自分以外の誰かは全てそういった対象なのかもしれない。
上手く言葉にできないな……こういった感情をどう表現すれば良いんだろうか? 博愛精神? いや、ちょっと違うかな。
自分自身でもハッキリとしない行動原理に思えるな。カッコいいからと言うのは間違いないんだろうけど、もっと上手い表現がある筈なんだけど。
「何それ、誰でも彼でも助けるとか……正義の味方にでもなりたいの?」
「え?」
「え?」
俺が櫛田さんの表現に驚いて訊き返すと、彼女は彼女で何故か驚いた表情を浮かべていた。
「いや、だから、正義の味方にでもなりたいの?」
「……」
あぁ、そうか、そういうことなのか……。
なるほど、正義の味方か。大義でも利益でも社会でも国家でも個人でも集団でもなく、正義の味方か。
俺の思うカッコいいをもっと適切に表現するのなら、きっとその言葉が最も近いんだろう。櫛田さんに言われて初めて自覚できたかもしれない。
「こんなに簡単なことだったのか……そうか、それで良かったのか」
「えっと、天武くん?」
「櫛田さん!!」
「は、はいッ!?」
「まずは感謝を伝えたい。俺はどうやら夢を見つけられたらしい……」
「え、え~っと……お、おめでとう?」
「ありがとう。櫛田さんにとっても意味のわからないことかもしれないけど、俺にとって君の言葉はとても重要な意味を持つものだったんだ」
櫛田さんはとても困惑した様子を見せている。当たり前だ。急に夢だのどうの言われても戸惑うに決まっている。けれど感謝を伝えない訳にはいかなかった。俺にとって彼女が放った言葉は人生に大切な内の一つを知ることに繋がったからだ。
憧れはもうある、夢は見つけることができた、ならば後は恋だけだった。
「まさにその言葉を俺は探していた……俺は、正義の味方になりたいんだ」
一つ知って未熟者、二つ知って半端者、三つ知ってようやく一人前だ。須藤に先を越されてちょっと悔しくはあったけど、これでようやく俺は彼と並ぶことができる。
大事なことを教えてくれた櫛田さんには感謝しかないな。
「ごめんね、ちょっと意味がわからないや」
「ん、そうだと思う……けれどこれだけは忘れないで欲しい。俺は君に心からの感謝と敬意を贈りたいんだということを」
何だったらこの場で感謝の五体投地をしても良い。たぶん引かれるだろうからやらないけど。
「君がいてくれて良かった。きっと俺は死ぬ瞬間にこの時間のことを思い出すんだと思う。それほどに尊い時間だという確信がある……だから、何度でも言わせてくれ、ありがとう」
彼女の瞳を見つめて俺はこれまでの人生で最も心を込めて感謝の言葉を贈った。すると櫛田さんは少しだけ頬を赤くしてから、照れたように視線を反らす。
「はッ!? いけない、なんか流される所だった!?」
そして慌てて本題を思い出す……ダメか、なんかうやむやに出来るかと思ってたんだけど。
「もうッ……良いかな天武くん? 私は今、すっごく怒ってるんだよ?」
「それは失礼した。思わぬ形で夢が見つかってつい興奮してしまったらしい」
彼女は何故か疲れたように溜息を吐く。その様子は普段の櫛田さんの様子にとても近くなっており、このカラオケルームに入ってきたばかりの苛立ちと憤怒に満たされた雰囲気は無くなっている。
どうやらかなりストレスは発散できたようだ。
「話を戻そうか……君が鈴音さんを退学させようとしたり、クラスを裏切るようなことをするのならば。俺はそれを阻止するために何度でも全力で立ち塞がる筈だ。これは絶対に譲れない」
「平行線だね、私たちは」
「そうでもない。何故なら俺は君にそれらの行為を止めろと言っている訳じゃないからね」
「は?」
「鈴音さんを追い詰めたいならそうすれば良い、クラスを裏切ってまで損害を与えたいならそうすれば良い」
「天武くんは……私のことを説得したいんじゃないの?」
「いや? ここに来たのはデートの為だし、それに前にもエレベーターで言った、ストレス発散に付き合うって約束を守っているのさ」
「本当に、それだけ?」
「仮に俺が、裏切りや鈴音さんへの攻撃を止めろって言ったら、櫛田さんはわかりましたって受け入れるのかい?」
「それは……」
「難しいだろうね、言われて引くようならそもそもこんな事になっていないんだから……なら俺は止めろなんて言わないよ」
「……」
櫛田さんは視線を下げて考え込んでいる。俺の言葉は彼女の中では予想外のものだったんだろう。
「ん……けれど俺は君から鈴音さんやクラスメイトたちを守る為に全力を尽くす。これは俺の矜持の全てを賭けてだ。こればかりは譲れない」
「結局、私の味方にはなってくれないんだね……堀北さんの方が、大事なんだ」
「違うよ、好き嫌いや上下の話じゃない。たとえ相手が櫛田さんで無くとも俺は同じことをする。そしてもし君が理不尽や痛みに晒されていたのなら、俺は己の矜持の全てで君を守る……これは約束じゃない、己自身への誓約だ」
当たり前のことだ。とても単純で難しく考えるようなことでもない。
「もう一度言うけどね、俺は君の行動を止めはしない。ただ全力で皆を守るだけだ……逆にもし鈴音さんが君を排除するようなことがあれば、俺は君を全力で守る」
「……」
視線と視線が結び合う。櫛田さんの瞳の中にある様々な感情の一つ一つを観測していく。
「言って止まるような君じゃない、それならもう気が済むまで喧嘩して殴り合って罵り合えばいい……そうすることでしか、やり直せない関係だってあるだろう」
「別に私は……やり直したい訳じゃないよ」
「そうかな? それならそれで構わない。どうなろうと俺は君を守り、鈴音さんも守る。それでもし、櫛田さんがいつかどこかで、もう駄目だこれ以上は意味がないと思った時、初めて君たちは本音で語り合えて、対等の立場になると思うよ」
「絶対に無理だよ……」
「未来の話だ、誰にもわからないかもしれないね……まぁ何であれだ、まずは俺との関係をここでやり直そう」
清隆の時と同じだ。上辺だけの関係でなく、本当の意味で互いを理解できる存在に俺はなりたい。
縁とは力だ、運命だ、きっと彼女との出会いにも意味がある。
「改めて自己紹介を、俺は笹凪天武です……櫛田桔梗さん、俺と友人になってくれませんか?」
デートに誘った時のように舞台役者みたいな大仰な動作で俺は櫛田さんに掌を差し出す。それこそどこかの映画で見た王子様がお姫様を舞踏会に誘う時のように、とても気取った様子にも見えてしまうだろう。
櫛田さんは差し出された掌へ視線を行ったり来たりと右往左往させて、とても落ち着かない様子を見せてくれた。
迷いと戸惑いと、後悔と希望と。そして救いと、色々な感情や思いがその美しい瞳に去来していき、最後には諦めの色が宿っていく。
あぁ、もう駄目だと、避けられないと、逃げられないと、そう思ってくれたんだろう。
「ねぇ天武くん……」
「何かな?」
「私、性格悪いよ?」
「可愛いものさ、俺が知っている本当の意味で性格の悪い人よりもずっとね」
殺人ウイルスをばらまくテロリストより遥かに性格が良いだろう。吸血趣味の人斬りよりずっと優しいし、反社会的な武装集団と繋がっている政治家よりずっと誠実で、集団自殺を頻繁に行おうとする教祖より遥かに聖人だ。
彼女の性格が悪い? そんなことを言う人がいたとするのなら、それはその人が世界の広さを知らないだけである。
櫛田さんは、俺が知っている本当に性格と性根が腐りきっている連中に比べれば、ずっと可愛くて優しいと思う。
「もしかしたら口汚く罵っちゃうかも」
「その程度で傷つくような男に見えるかい?」
「ネットにあることないこと書き込んじゃうかもね」
「顔も見えない他人からの評価なんて欠片も興味がない」
「嫌がらせとか、しちゃうかも……」
「安心してくれ、それでどうにかできるほど脆くはない」
「だったら、えっと……その……」
「もう一度言おう、そして何度でも言おう……俺と友人になってくれませんか?」
まるで俺を遠ざける為の言い訳を探そうとしているかのような櫛田さんに釘を刺す。こちらに逃がすようなつもりはないとばかりに。
「はい……」
細かく震える彼女の掌を俺を包み込んで握手をした……これでようやくスタートラインだな。
「でも、天武くんは私を止めるつもりはないんだよね?」
「そうだね、けど何度だって立ち塞がるだろう」
「そっか、うん、ならそれで良いのかな……だったらさ――」
そこで彼女は下げていた視線を下げて俺を見つめた。そして迷いと希望と願いを込めたような口調でこう伝えて来る。
「私を諦めさせるくらいに、凄い人だって証明して……この人には勝てないんだなって、そう思わせてよ」
「あぁ、もちろんだ……お安い御用さ」
挑発的にそう返すと、櫛田さんはようやく笑ってくれるのだった。彼女はやっぱりそんな表情の方が似合っていると思う。
「あは!! なら私たちはこれでようやく友達だね」
「あぁ、そして俺たちは、ライバルだ」
友達で好敵手で、とても高校生らしい関係なんだろう。俺は彼女を認めて彼女は俺を認めて、その上で敵対して笑顔で殴り合える、そんな関係である。
青春じゃないか、これ以上ないくらいに青春だ。
喧嘩だってこれから幾らでもするだろうし、敵対だってするだろう。状況次第では櫛田さんを守る為に奔走して、場合によっては手を組むことだってある。
そんな関係があっても良いんだろう。俺にとってはどんな縁であっても喜ばしいものであった。
後は証明すれば良いだけだ。俺には勝てないんだと櫛田さんに知って貰えばいい。
「ふふッ」
カラオケルームから出ると、外はすっかり暗くなっていた。このまま寮まで帰ることになるのだが、隣を歩いている櫛田さんが突然に俺と腕を絡めて来た。
以前にも似たようなことがあったな、その時は袖を指で摘まむだけであったのだが、今日はしっかりと腕を組む形である。
世間はもうすぐクリスマスで、ケヤキモールには専用の電飾なども目立つようになり、そんな中を腕を組んで歩けばまるで恋人のように見えるのかもしれない。
「急にどうしたんだい?」
「だってデートなんでしょ? これくらい普通だよ」
「そうか、そうかもしれないね」
だいぶ遅い時間帯なので人気も少なく誰かに見られることはないだろう。櫛田さんも何故か上機嫌だから別に良いか。
「ねぇ天武くん、私と付き合ってくれる?」
「それは男女の交際という意味かい?」
「うん、どうかな?」
「君は俺に恋愛感情はないだろう?」
「そうでもないよ。だって天武くんカッコいいし、運動も勉強もできて優しいもん。女の子の理想の男子って感じだから、まぁ文句はないかな。彼氏にしてあげなくはないよ……それに堀北さんに見せつけられるしね」
あげなくはない、という言葉に櫛田さんらしいプライドが見え隠れしているな。可愛い人である。
「ん、そうだね……なら付き合おうか」
「え、あ……良いんだ?」
「あぁ、俺は恋愛を経験したいというか、恋を教えてくれる人を探しているんだ。櫛田さんが教えてくれるのならとても嬉しいよ」
「……」
こちらの本音を伝えると彼女は黙り込んでしまう。そして組んでいた腕を離してこう言った。
「やっぱり無し、止めよっか」
「それはまたどうしてだい?」
「天武くん、今自分がなんて言ったかわかってるのかな? 付き合えるのなら相手は誰でも良いって言ってるのと同じ意味だからね?」
「なるほど……そう考えると失礼な発言かもしれないね」
「だから嫌かな、私はそんな安い感じで付き合える女じゃないしね。それにどうせなら男子の方から告白して欲しいもん」
「そして男心を弄ぶ訳か、やっぱり悪女じゃないか」
「もうッ」
また櫛田さんの右ストレートが俺の肩にぶつかった。遠慮が無くなってきたようで良い傾向である。
ケヤキモールから学生寮近くまで歩いて帰り、上階と下階で男女は別れている為に、必然的に櫛田さんとはエレベーターで別れることになる。
「今日はありがと……」
「君らしくも無い殊勝な言葉だ」
「もう一発殴られたいの?」
「冗談だ、俺は君と仲良くなれてとても嬉しいよ」
「最初からそう言って欲しかったな」
「あぁ、これからはそうしよう……それじゃあ櫛田さん、おやすみなさい、君に良い夜が訪れることを願っているよ」
「うん、おやすみなさい。また明日だね」
エレベーターの扉が閉まっていく。以前、テスト問題を作った時の帰りと同じ構図ではあるが、あの時と決定的に俺たちの関係は異なっている。
俺たちは友人であり、ライバルだ……これもまた高校生らしいと言えるのだろう。
徐々に閉まっていくエレベーターの扉が櫛田さんの姿を隠していく、そして最後に残ったほんの僅かな隙間が完全に閉じ切る前に、本当に小さな声で彼女はこんなことを呟くのだった。
それこそ俺の耳でしか拾えないであろう声量で、櫛田さんは確かにこう言った。
「まいったなぁ……天武くんには敵わないや」
この日、俺と彼女は本当の意味で友人となるのだった。
人の縁とは、何とも奇妙で面白いものだと、この学園に来てから何度も思ったことを、今日もまた実感する。
俺はそんなことを考えながら部屋へと戻り、今日もまたマネーロンダリング用の作品を夜遅くまで作ることになる。
「あ、そうだ……鈴音さんを褒めてあげないとな」
清隆からもしっかりフォローしておくようにと言われているので、ちゃんと約束通り褒めないといけない。
それに、俺にとってこの日は重要な意味があった。
憧れは師匠に、夢は正義に、後は恋だけだ。
恋を知ることができたのならば、俺はようやく一人前の人間になれる。
だから鍛えよう、これまで続けていた鍛錬と成長に、夢が加わったことでより密度が増すはずだ。
正義の味方なんて、軽々しく口にできるようなものでもないんだ。もっと強くならないといけない。
それこそ、師匠のようにならないと。