蛇は忍び寄る
いよいよ本格的な冬がやって来た。肌寒い空気はいつものことになり、吐き出す吐息は白く濁る。
ケヤキモールは近づいて来たクリスマスムードを高めようと華美な電飾で彩られており、そんな雰囲気に引っ張られてか生徒たちもどこかいつもと違う雰囲気を醸し出している。
腕を組んで歩くのはカップルだろうか? 波瑠加さんの話では滑り込みカップルなる現象がこの季節になると起こるらしいので、学園内でも交際を始める男女が多くなっているらしい。
どこか浮足立った雰囲気は俺も感じている。これまではあまりクリスマスになじみがない生活を続けていたのだが、この学園で高校生をしていると嫌でも感じ取ることができるな。
「結局、この前の特別試験ではどこのクラスも退学者が出なかったみたいだね」
ケヤキモールにある生徒たち御用達の休憩スペースで清隆グループで集まり、特に大きな目的も無く話をすることもあの試験以降は多くなった。
馬鹿騒ぎする訳でもなく、何かを強制する訳でもなく、緩い協調性を基本としている集まりなので過ごしやすくもあるのだろう。清隆も無理なく楽しんでいるように思える。
それぞれ飲み物を頼んで席に座り、話題が以前の特別試験になったので、俺は皆にそんなことを伝えていた。
どこのクラスにも退学者が出なかったという報告に、啓誠は眼鏡を指で整えながらこう返す。
「そろそろ龍園クラス辺りがやらかすんじゃないかと思ってたんだがな」
「あのクラスとか、私たち以上に勉強できなさそうだもんね……あ、みやっちもうすぐ来るって。今部室出たみたい」
スマホを弄りながら波瑠加さんがそう言った。
「でも試験で勝てたから良かったんじゃないかな……それに、別のクラスでも、退学する人が出るのは嬉しくないな……天武くんも、そう言ってたよね?」
「あぁ愛理さんの言う通りだ。作ったテストもその辺のラインは意識していたよ。学校側からの修正も多かったから、自然とそうなったって感じなんだけどね。多分、龍園クラスが作ったテストも同じなんだと思う」
「まぁ学校も、わざわざ大量の退学者を出すような真似もしないか……AクラスはCクラスに負けたようだし、これでまた大きくAクラスに近づくことができたな」
啓誠の言葉に今回の特別試験の結果を思い出す。確かに葛城クラスと一之瀬さんクラスの試験結果は、一之瀬さんに軍配が上がることになった。
坂柳さんの裏切りがあるので仕方がない部分もあるのだろう。これでAクラスはクラスポイントを100減らすことになり、葛城派はまた追い込まれることになる。
橋本が言うには坂柳派がまた増えたらしい。クラスポイントが減ればそれだけローンの支払いが負担となるので、いよいよと言った感じらしい。
改めてクラスに裏切り者がいるという状況を恐ろしいと思うしかないな。俺も彼を笑えるような立場でもないので、正直同情もしている。
それもまた戦いの作法だと言ってしまえばそれまでだが、俺が葛城にできることはなにもない。せいぜい頑張ってほしいと心の中で応援するくらいであった。
「でも、Aクラスになれても、他のクラスの人たちを犠牲にしないと、いけないんだよね」
シュンと視線を下げる愛理さんは、この学校の過酷な競争に付いていけないのだろう。気持ちはわからなくはない。
「例えばさ、裏技的な方法はないの? 最後の試験でクラスポイントが全て一緒になるとか。それでめでたく全部がAクラスで卒業。なんてことになったりして」
「それ凄くいいと思うッ」
女性陣の考え方を否定したのは、部活帰りに合流した明人であった。
「残念だが、それは無理だと思うぜ。先輩たちが話しているのを聞いたことがある。最後の試験で同率になった場合は順位を決定付ける特別試験が追加で行われるらしいってな」
彼は席に座って飲み物を注文してそう説明する。部活の先輩からの情報なら信憑性もあるのだろう。
「そうは問屋がおろさないってヤツね。面白いアイデアだと思ったのに」
「結局、Aクラスになれるのは1つだけってことだな」
同率一位か、俺もこの学校の攻略法を考えている時にそういった方向性で思考したこともあるが、結論は不可能だったな。
それだったらまだ24億以上を集めた方が楽だと思ったくらいだ。
懐からスマホを取り出してそこにあるポイントを確認する。横に座っている清隆からの視線を感じ取りながら、記された数字を確認すると億単位である。
ポイント集めは順調だ。マネーロンダリングで手に入れたポイントが大半だが、十パーセントくらいは普通に品評会でどこかの金持ちに購入して貰ったものだった。
このまま問題なくポイントを集めて行けば、24億には届くだろう。
ただ個人的にはこのポイントを配るのは三年の後半くらいになるだろうと考えている。単純にぬか喜びさせたいくないと言うのが一つ、もう一つはクラスメイトや同学年の生徒たちの成長を願ってのことだ。
Aクラスを目指すと言う競走の中で、様々な試練が課されて乗り越えることを強制されるこの学校は、その中で様々な方向性の成長を実感できる。
俺自身はAクラスの卒業特典はあまり魅力は感じないが、その成長を実感できる競走そのものには価値を感じていた。
誰かの成長を見るのは嬉しくもあり喜ばしいことでもある。ただそれだけでAクラスを目指す理由になるだろう。
「話を変えるようで悪いんだが、少し気になることがあった」
俺がスマホを眺めながらこれからのことを考えていると、インスタ関連の話をしていたグループの話題をぶった切るように明人がそう言ったので、意識がそちらに傾く。
「最近Dクラスの様子がおかしくないか」
「あそこはいつもおかしいと思うけど、なに、どういうこと?」
波瑠加さんの龍園クラスの評価というか、印象というのはやはり低いらしい。龍園があれなので仕方がないことなのかもしれないが。
ただ明人の言いたいこともわかる。隣にいる清隆もずっとこっちを監視している男子生徒を気にしているようだからな。
ついでに神室さんもなにやらコソコソしている。尾行の技能もない人にそんなことをさせるべきではないと思う。坂柳さんも酷なことをさせているようだ。
そんな監視は俺たちだけでなく、どうやら部活中の明人などにも向けられている。今日も部活中に見学と称して近くで見られていたようだ。それで僅かに苛立っているらしい。
龍園は黒幕が誰なのかを探しており、おそらく内心では殆ど正体を掴んでいる筈だ。それでも僅かな取りこぼしがないようにあの手この手で詰めて来ている。
狩りを楽しんでいるかのような雰囲気もあるな、相手を追い詰めて焦らせ疲れた所を仕留める……ただし自分が追い詰めようとしている相手がゴリラであるとは気が付いていない、悲しいね。
「龍園たちも焦ってるんじゃないか?」
清隆が明人の話を聞いてそう発言すると、啓誠がわからなくはないと頷く。
「入学当初は俺たちよりも上のクラスにいた訳だからな。だがここ最近はクラスポイントも減って苦しい状況だ。確かに龍園にも焦りがあるんだろう……何か違反行為があってポイントも減らされたらしいから、こちらとの距離は大きな差もある」
どうやら啓誠の中ではもう龍園クラスはそこまで強敵といった印象がないらしい。ポイントに大きな差がある上に目の前にはAクラスの背中が迫っているのでわからなくもない。
「それがみやっちに絡み始めた原因?」
「そこまではわからない……そもそも龍園の行動に理由があるのかどうかも曖昧だ。アイツは突飛なことをすることがカッコいいと思っている男だからな」
「まぁ普段偉そうにしてるって言うか、リーダーだもんね龍園くん。面子丸つぶれかぁ。テンテンはどう思う?」
「俺は龍園を高く評価しているよ」
「へぇ、意外かも、そうなんだ?」
「あぁ、突飛な行動や常識外れの戦略をしてくるが、参考になる部分もある……思考力も瞬発力もある男だからね」
俺がそう言うと清隆を除く全員が意外そうな顔をした。あの男の本質は簡単には理解できないということだ。
「彼は強敵だ……一之瀬さんや葛城よりずっとね。だから皆も気を付けて欲しい。龍園の本領発揮は、きっとここからだろうからね」
「そうだな、アイツは危険な男だ」
元ヤン疑惑のある明人だけは俺の言葉に納得して大きく頷く。きっと龍園のやんちゃぶりは色々と知っているのだろう。
「龍園クラスに関しては今は放置するしかないな。学校側に訴えてもただ見られているだけならどうしようもないよ。わかりやすい隙を晒すほど馬鹿じゃないしね」
「アイツらが飽きるまで我慢するしかないってことか」
「そうだね。苛ついて殴り返すとか絶対ダメだ」
「須藤じゃないんだ。そんなことはしないって」
まぁ明人は落ち着きのある男なので心配はいらないだろう。須藤に関しても鈴音さんに嫌われるようなことは避けるだけの冷静さはもうあるだろうから問題はないと思う。
「だが、つけ回されてるのは俺たちだけじゃないようだね。今、平田からメールが来たんだけど、どうやらあっちも同じみたいだよ」
手元にあったスマホに届いたメールは平田からのものであった。内容は龍園クラスの生徒に監視されているというものだ。あちらの様子が気になってメールで状況を確認してもらったのだが、どうやら彼も監視の存在には気が付いていたらしい。
「この分だとクラスの主要なメンバーには監視がついてそうだね。鈴音さんとかも同じかもしれない」
「堀北さん大丈夫なの? テンテン、一緒にいたほうが良いんじゃない?」
「俺がやらなくても須藤辺りが頑張ってくれるさ。そうでなくとも彼女は強い人だ」
「お、余裕だねぇ、取られちゃうかもよ?」
「取られるも何も、俺と彼女はそんな関係じゃない。別に心配しないという訳でもないけどね」
気を付けるようにメールを送っておこう。
「でも内心では心配で仕方がないとか?」
「もちろん心配だ」
「少しは照れて欲しいかも……はぁ、まぁテンテンもこんな感じだと、私たちはロンリー決定っぽいなぁ」
「ロンリー?」
「周りを視てよ、もうすぐクリスマスでしょ?」
確かに専用の電飾が目立つ、クリスマスツリーもある。腕を組んで歩くカップルも多い。
「別に特別な日でもないだろ。普通の一日だ」
「ゆきむーにとってはそうかも知れないけど、女子の間では意外と大変なんだって」
「う、噂とか色々出るもんね……」
愛理さんも反応する辺り、女性陣にはやはり意識してしまう日のようだ……いや、それは男子も同じなんだろうな。
「そうそう。誰々と付き合ってるとか付き合ってないとか。一夜を共にしたとかしてないとか? 好んで独り身をやってるのに、妙に可哀想な目でみられたりね」
「駆け込みカップルとかいう話も聞くよね」
「でしょ? クラスでも色々と動くんじゃないかって思ってるんだよね」
「恋人かぁ……そういうのも良いけどイマイチ想像できないなぁ。屋上での告白とかにも憧れてはいるんだけど」
恋を知りたいとは思うけど、恋人が欲しいとは不思議と思わない。きっとそんなんだから俺は一人前には遠いんだろうな。
「まぁテンテンはアレだしね……」
「アレとは?」
「ちょっとアレ過ぎて女子は隣に並んでるのが想像できないんじゃないかなって……そう考えるとテンテンって不思議な立ち位置かもね」
「俺は女子にもしかして嫌われているんだろうか?」
「そうじゃないって、人気はあるんだろうけど、付き合うとなるとどこか現実味がない感じになるんじゃない?」
「そういうものか」
「何となくそんな立ち位置になってるかな」
すると波瑠加さんの隣の席に座っていた愛理さんは、どこか納得したように頷いて見せた。どうやら俺は女子たちから現実感のない男と思われているらしい。付き合うというのがどうにも想像できないとは、悲しい事実である。
櫛田さんから付き合ってみないかと提案されて、すぐにちゃぶ台をひっくり返されてしまったのは、その辺が関係しているのだろうか?
「だとするとクリスマスは寂しく過ごすことになるかもしれないね、悲しいことだ」
「清隆くんは、ク、クリスマスの予定とかあるの?」
「うわ愛理それってきよぽんを誘ってるわけ? だいた~ん」
「ち、違う、そういうのじゃなくて、違うからね!?」
そこから始まるのはこのグループがどうやってクリスマスを過ごすかどうかだ。残念なことに誰にも恋人がいないので何とも熱の無い展開しか出てこない。
啓誠は勉強、明人は部活、俺はたぶん彫刻で、暇なら清隆はこっちの手伝いをしに顔を出してくるだろう。
なんとも寂しいクリスマスの予定ではあるが、こういったことを喋ってダラダラと過ごすのはとても高校生っぽいので、実は嫌いではない。
俺が入学する前に妄想していた、高校生とはこれだという光景の中にいるのだ。友達とくだらないことを話しながら、ああでもないこうでもないと笑い合い、非生産的な時間を過ごす。
素晴らしい高校生活だと思う。こういった時間を守りたいとも思う。
いつまでも続けばいいなと考えても贅沢ではないし、罰当たりでもないんだろう。
改めて思う、高校生が当たり前に受けることができるこの青春を守ろうと。
俺はまだまだ未熟者……いや、半端者だが、それくらいの力はあると信じたい。
なんてことを考えてやる気を出した数日後のことだ、俺が守りたいと思っていた日常に早速影が差したのは。
「やぁ、初めまして……笹凪天武くんだね?」
いつもの放課後、今日もグループの面子で集まって色々と非生産的な時間を楽しもうと思っていた時に、俺に声をかけてきた人物が現れる。
頭の中にすぐさまこの学校に存在する人物を思い出して目の前の男性と一致させようとするのだが空振ってしまう。俺はこの人を一度もこの学園で見たことがないということだ。
「初めまして、どちら様でしょうか?」
「僕はこの学園の理事長を務めている者だ」
理事長、実質的に学園の最高責任者ということだ。そう聞くと入学前に眺めていたパンフレットに名前が載っていたことを思い出す。確か……。
「あぁ、確か……坂柳理事長でしたか」
「その通りだよ」
目の前にいる男性は柔和に微笑んで見せる。
「坂柳……もしかして坂柳有栖さんの関係者でしょうか?」
「有栖は私の娘だよ。もしかして交流があるのかな?」
「友人です。偶にお茶したりチェスで遊んだりしますよ」
そう伝えると坂柳理事長はまた穏やかに微笑んだ。
「それは良かった。君さえ問題ないのならこれからも親しくしてあげて欲しい。あの子は昔から……いや、こんな話をしたい訳じゃなかったな。笹凪くん、君はこの後、何か予定はあるかな?」
「友人と過ごすつもりではありますが、別に急ぎという訳ではありません」
「では少し時間を借りよう。君を交えて話をしたい人がいるんだ、構わないね?」
「わかりました」
ここで嫌だと言うと学園の権力者からの印象が悪くなるかもしれないという打算と、純粋にどんな話をするんだという興味を半々にして。俺は坂柳理事長に付いていくことになるのだった。