ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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師匠曰く、ご機嫌取りは大切

 

 

 

 

 

 

 ここ最近……いや、桔梗さんをデートに誘ったあの時から鈴音さんの機嫌がとても悪い。どれくらい悪いかと言うと、朝に挨拶してもツンとした表情で視線を逸らされるくらいだ。

 

 最初はそんな程度のもので、暫く時間を置けば機嫌も直るだろうと思っていたのだが、ここに油を注いだのが桔梗さんである。

 

「ねぇ天武くん、放課後って暇かな? 良ければ一緒に遊びにいかない?」

 

 ある日の放課後、右後ろから鈴音さんの不機嫌オーラを感じ取る一日を乗り越えて、ようやく開放的な時間がやってくると思っていると、桔梗さんがそんな誘いをかけてきた。

 

 俺と彼女は友人であり、ストレス解消に付き合うと約束もしているので、別におかしなことでもない。けれどここ最近はその頻度が多くなったと思う。

 

「ごめんね桔梗さん、嬉しい誘いだけどこの後はちょっと用事があるんだ」

 

「そっかぁ、じゃあまた今度だね……待ってるよ」

 

 彼女は残念そうにそう言ってから、俺の耳に口元を近づけてそう囁く。良い匂いがするしドキッとするから止めて欲しい……いや、嬉しくはあるんだけども。

 

 こんな風に桔梗さんとの距離が近くなった半面、鈴音さんの機嫌は悪くなるばかりである。

 

「ふふッ……またデートしようね」

 

 そして桔梗さんは距離を取ってから、俺の右後ろの席にいる鈴音さんに流し目を向けてそう言うのだった。

 

 すると鈴音さんの機嫌がまた悪くなる。ここ最近はずっとこんなやり取りが続いているのだ。

 

 バキッと何かが壊れる音が聞こえたかと思えば、鈴音さんが持っていたシャーペンが折れてしまっていた……恐ろしい。

 

 誇らしげに、そして何故か勝ち誇ったかのような顔で上機嫌に去っていく桔梗さんを見送った後、俺も席から立ち上がってどうしたものかと悩む。

 

 後ろの席にいる清隆はシャーペンを握り潰した鈴音さんを怖がっており、俺に「さっさとしろ」と視線で訴えかけてから、鞄を持って素早く教室を出ていく……逃げやがったな。

 

「え~っと、鈴音さん、これから暇かな?」

 

「……」

 

 机の上に広げられていた教科書や筆記用具を片付けている鈴音さんにそう声をかけると、彼女は一瞬だけピタッと体を止めてから、しかしすぐに無視して動き出す。やや強引に鞄に荷物を詰めてから席を立ちあがってしまったのだ。

 

「……」

 

 そして何とも言えない表情で俺を見つめて来る。無言のまま。

 

「な、何か喋って欲しいな……」

 

「……」

 

 う~ん、頑なだ。それでも完全に無視して立ち去らない辺り、まだ希望があるのかもしれない。

 

「そ、そう言えばさ。まだ褒めれてないよね、俺……ほら、テストで桔梗さんに勝ったから、ちゃんと褒めないとダメだよね。頑張った人にはご褒美が必要だと思うんだ」

 

「……桔梗さん? 何故、名前呼びになっているのかしら?」

 

 ようやく喋ってくれたかと思ったら、気になった所はそこらしい。

 

「俺と彼女は友人になれたからね」

 

「そう……随分と親しくなったみたいね。今日も誘われて……軽薄だこと」

 

 ダメだ、四月頃の鈴音さんが帰って来てしまった。しかもあの頃よりずっとハリネズミモードが鋭くなってしまっている。

 

 冷たくて鋭い視線を向けて来る鈴音さんは、鞄を肩にかけて教室を出て行こうとするので。俺は小間使いのようにその背中に付いていくことになった。

 

「す、鈴音さん?」

 

「なにかしら」

 

「機嫌を直して欲しいなって……」

 

「貴方は何を言っているの、私は別に機嫌が悪い訳ではないわ」

 

 それって怒ってる時の常套句じゃないか……。

 

 ダメだな、この調子だといつまでも鈴音さんはハリネズミモードを解いてくれない。それはあまりにも寂しすぎる。

 

 ムスッとした顔のまま下駄箱で靴を履き替える鈴音さんを見ていると、もしかしたらこのまま疎遠になってしまうのではないかと不安になってしまう。

 

 どうしようもないので、どうやら俺も切り札を出す時が来たらしい。

 

「鈴音」

 

「ッ!?」

 

 必殺、師匠モードの俺に丸投げだ。

 

 そしてこの状態だと鈴音さんは大好きなお兄さんの雰囲気や面影を重ねることはもう知っている。突くならばやはりこの隙だろう。

 

 効果はやはり覿面で、靴を履き替えて歩き出そうとした鈴音さんは足を引っ掛けられたかのように面白く揺れ動いた。

 

 それでも鈴音さんは完全には陥落した様子はない……なるほど、師匠モードでお兄さん風の雰囲気を出してもこの程度とは、彼女の不機嫌はそれだけ強いのかもしれない。

 

 だがここで手を緩める訳にはいかないだろう。師匠曰く、追撃は大切。

 

「鈴音、俺に謝罪をさせてくれ……お前に許して欲しいんだ」

 

「くッ……」

 

 苦し気な声を上げる。どうやらこちらの攻撃に翻弄されているようだ。

 

「そうだな、こちらも悪いとは思っているんだ……お前が機嫌を直してくれるのなら、何でもしよう」

 

「えッ……な、なんでも?」

 

 そこで彼女は通学路の途中で振り返って、驚きながらそう言う。こちらの譲歩と謝罪の気持ちはしっかりと伝わったらしい。

 

「ああ、何でもだ。俺はお前に許して欲しい……このまま疎遠になるのは寂しいからな」

 

「そう……そうね。そこまで言うのなら、考えてあげなくもないわよ」

 

「よし、そちらの要求を聞こう」

 

「……付いてきなさい」

 

 こうして対話が成立して譲歩を引き出せたことは前進と言えるだろう。このまま油断することなく推し進めて彼女と仲良くなるしかない。

 

 鈴音さんに付いていって案内されたのは、寮にある彼女の部屋である……女性の部屋に通される日が来るとは、ただこんな時じゃなくてもっと甘い雰囲気の時が良かったな。

 

 寮では上階と下階で男女にわかれており、男子が女子の階に行くのは基本的に推奨されることではない。確か時間によっては罰則があった筈だが、今はまだ放課後になったばかりなので問題はないだろう。

 

 さて何をやらされるのかと戦々恐々としながら鈴音の部屋に入る。

 

 彼女の部屋の印象は、うん、凄く鈴音らしい部屋だった。

 

 無駄な物は無く余計な飾りもない。そして清潔で乱れが無い。機能性を追求した雰囲気である。俺の中にある女子生徒の部屋の印象はもっと小物が多くて可愛らしい色合いが目立つものであったが、これはこれで良いと思う。

 

 僅かに甘い匂いを感じ取る。なんてことを考えてしまうのは変態っぽいので思考の中から蹴り飛ばした。

 

「座って頂戴」

 

 女の子の部屋にいる事実に慣れない感覚を覚えていると、鈴音は勉強机の椅子を引いて、俺に座るように進められる。

 

「それで、鈴音は俺に何をさせたい?」

 

「少し待っていて、用意するから」

 

 彼女はこの状況に少しだけソワソワした様子であり、もしかしたら俺以上に緊張しているのかもしれない。まぁ部屋に異性がいればどうしたってそうもなるだろう。

 

 勉強机の引き出しに手をかけて、中から取り出したのは眼鏡ケースである。

 

「お前は眼鏡を使うのか?」

 

「いいえ、これは視力補正の物じゃなくて、パソコン用の眼鏡よ」

 

「あぁ、ブルーライトカットとかそういう奴か……」

 

 勉強机の上にはノートパソコンも置かれているので、使用することも多い筈だ。

 

「これをかけて」

 

「俺が?」

 

「えぇ、許して欲しいのなら早くしなさい」

 

 そう言われると何も言い返せないので、差し出された眼鏡を装着する。

 

「髪も少し弄るわよ」

 

 次に彼女が取り出したのは櫛、有無を言わせずにそのまま髪を弄られることになった。

 

「天武くんの髪って柔らかくて艶があるのね……ふふ、なんだか女子みたいな髪質をしているわ」

 

 椅子に座るこちらの背後に回って櫛で整髪されていく様子は、もしかしたら人形遊びに見えるのかもしれない。或いは散髪屋だろうか。

 

 彼女は何をしたいんだろうか? 俺に眼鏡をかけさせて、髪型を変えさせて、なにやら鼻歌を奏でているので上機嫌なのはわかるのだが……。

 

 そこでふと、視線が机の上にある写真立てに移る。中学の入学式の写真だろうか、お兄さんである堀北学先輩とのツーショットだ。

 

 あぁ、なるほど、彼女の思惑が何となく理解できた。

 

 つまり彼女は俺にお兄さんのコスプレをさせたいのだろう。ブラコンもここに極まれりだ。

 

 だがまぁ、これで機嫌が直るのなら甘んじて受け入れるべきだ。

 

 鼻歌を奏でる鈴音さんはとても楽しそうではあるし、桔梗さんではないがストレスを溜めさせるのも悪い気もするから、良い機会なのかもしれない。

 

「よし、これで良いわね」

 

 眼鏡をかけて、髪型もお兄さん風に整えられて、鈴音さんはどこかハラハラしながら正面に戻って来る。

 

 緊張と、照れと、興奮と、強い願望が入り混じった表情は、なんというか妖艶ですらあった。鈴音さんはもしかしたらコスプレ趣味でもあるのだろうか。

 

 お兄さん風に褒められるだけでなく、お兄さんのコスプレまでさせるとか……この子は本当にあの鈴音さんか? なんだかここまで来ると驚きを通り越して心配にすらなってくるな。

 

 堀北学さん、貴方はとんでもない怪物を生み出してしまったのかもしれない。

 

 鈴音さんは眼鏡をかけて髪型を変えた俺を見つめながらモジモジとその時を待っている。頬を赤くして可愛いと思うのだがとても複雑な気持ちになってくるんだよね。

 

 それでも断れない、俺は彼女に嫌われたくないのだから。

 

「さぁ褒めなさい、できるだけ労わるように」

 

 う~ん……やらなきゃダメだよな。俺が悪いんだ、ここは覚悟を決めよう。

 

「鈴音、よくやった……お前は俺の誇りだ」

 

「……」

 

 精一杯お兄さんの雰囲気を真似しながらそう伝える。これで彼女も機嫌が直るだろうと思いながらだ。しかし思っていたような反応はなく、それどころか鈴音さんは難しそうな顔をしながら首を捻るだけである。

 

 これは、どういう反応だ? 彼女にもよくわかっていないようだが。

 

「おかしいわね……思っていたよりも、響かないわ」

 

 顎に指を当てて深く考え込む様子は、まるでテストの問題がわからないかのようにも思える。どれだけ計算してもゴールまで辿り着けないような感覚なのかもしれない。

 

 いや、それはオレも同じだ。鈴音さんが何を考えているのかよくわからない。

 

「もっとこう……来るものがあると思っていたのだけど」

 

「更にお兄さんっぽくやってみようか?」

 

「……いいえ、きっと幾らやっても無駄よ。おそらくね」

 

「いや、それは困る。俺は君と仲直りしたいんだから」

 

「そ、そう……そこまで言うのなら考えてあげなくもないけど、ちゃんと反省しているのよね?」

 

 正直を言わせて貰えば、鈴音さんがどうしてここまで怒っているのかイマイチわかってなかったりする。褒めるのを後回しにしただけなのに、ちょっと大袈裟だとさえ思っている……言葉にはしないけど。

 

「もちろんだ。俺はとても反省している」

 

 眼鏡越しに彼女を見つめて真摯にそう伝えると、彼女はようやくハリネズミモードを解除してくれた。

 

「いいわ、そこまで言うのなら許してあげる」

 

 ようやく機嫌を直してくれたか、本当に良かった。

 

 装着していた眼鏡を外してお兄さん風に整えられていた髪型も慣れないので元に戻す。そこでようやく肩が軽くなったような気がする。

 

「ありがとう、鈴音」

 

 そして改めてそう伝えると、先程とは大きく異なる反応を見せた。

 

「ッ!? ち、ちょっと良いかしら、今のをもう一度お願いできる?」

 

「え、まぁ構わないが……ありがとう、鈴音」

 

 しっかりと思いを込めて感謝の言葉を繰り返すと。目の前にいる鈴音さんは照れたように視線を逸らす。さっきまでと大きく異なる反応である。

 

「変ね、眼鏡をかけていないのに凄く来るものがあるわね……どうしてかしら」

 

「そ、そうか……」

 

「兄さんの装いに近づけて褒められればとても満たされると思っていたのだけれど、そう簡単にはいかないわね。考えてみれば当たり前のことだけど、天武くんは兄さんじゃないのだから」

 

「そこに気が付いてくれてとても嬉しいよ。これからは俺が代わりにならずとも、実際にお兄さんに褒めてもらえるように努力すればいいさ」

 

「それはそれで……なんだか物足りない気分になるから嫌よ」

 

 お兄さん風の恰好で褒めるよりも、そこまで飾らない方が彼女の好みということだろうか? 以前はそんなことも無かった筈なのだが。

 

 俺が返した眼鏡を手に持って難しそうに考え込んでいる様子は、いつもの鈴音さんに戻っておりハリネズミの気配が無くなっているので、ようやく機嫌を直してくれたらしい。

 

 それなら俺は何でもよかった。お兄さん風であろうがなかろうが、怒っていないのならその方がこちらは気楽である。

 

「まぁ良いわ、今はね……それよりも訊きたいことがあるの、龍園くんの動きについてよ」

 

「ん、相談しておこうか」

 

 普段のキリッとした表情に戻ったのだが、先ほどまでのブラコン全開な様子を目撃していると、思わず笑いそうになってしまう……実際にそれをやるとまた怒りそうなので笑ったりはしないけど。

 

「ここ最近、あちらのクラスの生徒が、こちらをつけ回しているとよく相談を受けるの、貴方の所はどうかしら?」

 

「こっちも似たようなものかな。明人の……三宅の話なんだけど、見学と称してずっと監視されているらしい。何かするって訳じゃないんだけどね……なんでも彼らはこちらのクラスにいる黒幕を探しているらしい」

 

「黒幕?」

 

「体育祭の時、龍園にメールを送った人さ」

 

「そう、綾小路くんをね……そんなことをして、どんな意味があるのかしら?」

 

「意味はあるだろうさ。例えばだけど、もし龍園たちのクラスに、彼よりも強かったり、頭が凄くキレる人がいて姿を隠していたら大変だからね」

 

「なるほどね。仮に戦うにしても、相手の戦力を把握しないで挑むのは愚行になってしまう」

 

「あぁ、何をするにしても、不透明な部分を把握してからという考えは、よくわかるよ」

 

「……彼は大丈夫なの?」

 

「問題はないよ。何一つとしてね」

 

 ジッとこちらを見つめて来る鈴音さんに、俺もまた見つめ返してそう伝えた。

 

 そのまま数秒ほど時間が過ぎてから、彼女は少し照れたように視線を逸らす。どうやら納得してくれたらしい。

 

「こちらに出来ることは何かあるかしら?」

 

「清隆が心配かい?」

 

「勘違いしないで頂戴。彼は私のライバル、越えなければならない存在なのよ。こんな所で倒れられても困るの」

 

 これはあれなのだろうか? ツンデレに分類しても良いのだろうか?

 

「本当に大丈夫。龍園は俺たちに任せて欲しい……決して仲間外れにしている訳じゃないんだ。俺はいつだって、君を頼りにしているよ」

 

 腕を組んでムスッとしたままの鈴音さんの肩に優しく手を置いてそう伝えると、彼女は納得してくれたのか、静かに溜息を吐くのだった。

 

「警戒すべき点はどこかしら?」

 

「基本的に一人での行動は止める、それが駄目なら監視カメラの死角に入らないこと」

 

「他には?」

 

「俺を信じてくれ」

 

「そういうことを言うのは……少しズルいわね」

 

「ん、かもしれないね」

 

 もう一度溜息を吐いた彼女は、話は終わったとばかりに緊張を解く。どうやら俺たちに龍園を任せてくれるらしい。

 

 そして穏やかな表情になると、クスリと笑ってこう言ってくれた。

 

「ねぇ、夕飯はどうするつもりなのかしら?」

 

「部屋に帰って何か作ろうかと思っているけど……」

 

「予定が無いのなら食べていきなさい。私も少し、大人げなかったと思っているのよ」

 

「おや、ごちそうしてくれるのかい?」

 

「馬鹿ね、食材をこちらで用意するだけ、しっかりと手伝って貰うわ」

 

「よし、なら頑張るとしよう」

 

 その日は鈴音さんと夕飯を共にすることになった。龍園だとか南雲先輩だとか清隆の父親とかホワイトルームとか、そういう話や状況よりも、こういった時間の方が俺は安心するし心地が良い。

 

 清隆グループでも同じ気持ちになるな。高校生らしい時間がとても尊く思う。

 

 

 

 

 

 

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