天武と別れた後に急いで屋上へと向かう。その途中で茶柱先生を呼び出しておいたので証人はそれで十分だろう。偶には生徒の為に頑張って貰いたい。
あちらは天武がいる以上は大きな問題が起こらないことは確定している。少なくともこの学園の存在する戦力でアイツを処理できる者はいないので、深刻なことになることはありえない。
おそらく龍園も戦力の大半をあちらに回している筈なので、こちらは随分と楽ができる筈だ。
屋上に続く階段の前に、あの男に近い位置にいる石崎や山田といった戦力が待ち受けていないのがそれを証明している。階段の踊り場にいたのは伊吹である。
「そっか、アンタが来たのか……」
伊吹は階段の上から俺を見下ろして、困惑したようにそう言った。予想外の相手であったということだろうか。
「そこを通してくれるか?」
「……あんたが、龍園の言ってた策士なのか?」
「そうだ、何も問題はないだろ」
そう伝えると伊吹は納得いってないと言いたそうな顔をするが、それでも屋上への扉を開いて迎え入れた。
「あたしにだって、最後まで格好付けたいことはある!!」
最初に聞こえて来たのは軽井沢の声である。カッコいいか、天武がよく使う言葉だな。
「まだやってる……龍園、来たよ」
屋上に出ると、スプレーで塗り潰された監視カメラに視線が行く。最低限の言い訳をできる状況は作ったらしい。
龍園の、蛇のような印象を与える瞳がこちらに向いた。観察するような視線は足から顔まで移ろっていき、最後に視線が結び合う。
「はッ……面白味のねえ結果だな、やっぱりお前かよ」
「そうだ。その様子だと意外でも何でもなかったみたいだな」
「あのゴリラの近くをウロチョロしてる奴の中で、お前だけは不自然なくらいに餌をぶら下げてたからなあ。喰いついてくださいとでも言いたげによ」
それはそうだ。そうなるように龍園を誘導していたのだから。この男の嗅覚は必ずその痕跡を嗅ぎ取る筈だ。
もしかしたらこいつはオレを追い込もうとしていたのかもしれないが、この状況はこちらが作ったものでもある。
それを証拠に、ここにいるのは龍園と伊吹だけで、他の戦力は天武に向けられていた。
ここの戦力は、あまりにも薄い。
オレの視線が唖然とした顔でこちらを見つめる軽井沢に向けられた。何か言いたげにパクパクと口を動かしており、絞り出すかのようにこう言葉にする。
「何で……ここに来たの?」
「お前を助ける為だ……そういう約束だったからな」
「そう、なんだ……来るとしても、天武くんだと思ってた」
「アイツは今、佐倉たちの救助に向かってる」
「佐倉さん……あ、そっか、アンタを孤立させる為に」
「そういうことだ。少し待っていろ、すぐに片付ける……心配はいらない」
すると龍園から馬鹿にしたような笑い声が届いた。
「すぐに片付けるだとよ、どうする伊吹、随分と舐められているようだぜ」
「コイツが強いとは思えないけど……」
それはそうだろう、オレは天武ほど馬鹿げた目立ち方をしている訳じゃない。アイツの存在感が大きすぎて大抵の相手は脅威と思えないくらいに感覚がマヒするのが普通だ。
もしここに来たのが天武であったのならば、もしかしたら数と武器などを事前に用意していたのかもしれないな。
独特の笑いを響かせる龍園と、怪しげにこちらも見つめて来る伊吹、ここにいるのはただそれだけである。武装も無ければ数も揃っていない。龍園が黒幕を探しつつも、結局は一番警戒していたのが天武であるからこその状況だろう。
一歩踏み出すと、二人の警戒が強まる。嘲笑いながらも完全に油断しない辺りは、評価しても良いのかもしれない。
「やれ、伊吹」
「本気で言ってるの?」
「俺が冗談を言ってるように聞こえるのか」
「アンタがやりなよ……そもそも、私は完全に納得してる訳じゃない」
「そうかよ、だがあちらはもうやる気だ、ほら構えろ」
「ッ!? このッ!!」
天武の動きを真似て貫手を伊吹に放つ。武術の心得がある者特有の、怯んで硬直するのではなく、体を脅威に反応させて対処に動こうとするのだが、何もかもが遅かった。
確か、こうだったかな……。
こちらの貫手は伊吹の頬を滑るように回避されてこめかみを掠める。そしてその動きはかつてオレが天武にやったことと同じだ。あれから幾度か模擬戦もしているので、ここからの流れもわかる。
こめかみを掠めた貫手はそのまま伊吹のうなじに回されてそこを摘み取る。アイツが言うにはそのまま首を引きちぎる技であるらしいが、流石にそこまではできないので強引に引き寄せた。
伊吹からしてみれば、攻撃を躱したかと思えば突然にこちらに引き寄せられたような感覚なのかもしれない。
一度見て基礎とする、二度見て応用に至り、三度目で盤石となる。天武はオレを見てそんな感想を言っていたが、まさにそれこそが本質であり根底にあるものだ。
学習と反復を体に染み込ませることこそが、最もオレという存在の在り方だと思う。だからこうしてあの動きを再現することもできた。
うなじを掴まれてこちらに引き寄せられる伊吹の鳩尾に膝を叩きこめば、一瞬で意識を飛ばして無力化できてしまう。
天武の動きを実際に再現する実験台としてはこれで良いだろう。まだ完璧とは言えないが十分に通用する動きである。この動きはこの学園に来てから学習したものなので、いずれ来るであろうホワイトルームの後輩たちにも初見の動きとなるので使いやすい筈だ。
鳩尾に膝を打ち込まれて吹き飛んだ伊吹は、そのまま壁に背中をぶつけてずるりと倒れこむ……後は龍園だけだ。
一瞬で伊吹を無力化されたことで奴は驚き、それ以上に軽井沢が驚いた様子を見せている。
「なるほどなぁ。大したもんじゃねえか、暴力も一級品とは御見逸れしたぜ」
「天武を意識しすぎたな……オレ程度なら二人もいれば十分だと思ったお前の負けだ」
「舐めたこと抜かしやがる。確かにテメエは強い、この状況は寧ろお前の得意分野だった訳だな……だが勘違いしちゃいねえか? 暴力の勝敗を決めるのは、何も腕っぷしだけじゃない。心の強さも関係する」
倒れ伏した伊吹を尻目に龍園が前に出て来る。
心の強さか、そう言った点で見れば確かにこの男は高い位置にいるのかもしれない。
伊吹のような武道に精通した動きではなく、ましてや天武のような異質異常極まる動きでもない、喧嘩慣れした者特有の動きで距離を詰めて来て暴力的に殴りかかって来る。
ここ最近は天武基準で動きを整えていた為に、龍園の拳はやけにゆっくりと感じられるな。
「……悪いな。負けるのは想像つかない」
煽っている訳でもなく、調子に乗っている訳でもなく、冷静な戦力評価でそう伝えると、目の前の男はやってみろとでも言いたげに鼻を鳴らした。
言葉を証明するかのように、拳を掻い潜って拳を打ち付けていく。やはりどうしても天武の動きを真似してしまうな。
腹部から鳩尾、喉と鼻の下、最後に頬、その度に拳が肉を打つ音が屋上に響いていった。
「がッ、ぐッ!!」
急所を交えた幾度かの攻撃に痛みと衝撃が広がったことだろう。それでも膝を突かなかったのは意地か信念か、どちらにせよ長くは持たないのは、今の一瞬の攻防で龍園も理解した筈だ。
根性論だけで勝てる相手ではないと。
噴き出した鼻血を拭い去り、小さくはない痛みに耐えながらもこの男は唇を歪めて見せる。
「この場ではお前が勝つだろうな。だが、明日は? 明後日はどうだ」
「繰り返していれば、いずれ勝てると?」
「しょんべんしてる最中は? クソしてる最中は? どこからでも狙ってやる」
「負けることが怖くないのか?」
「恐怖なんて俺にはないのさ。一度も感じたことがない」
「嘘だな」
「……なんだと?」
心の強い男ではあるのだろう、そして恐怖が薄いことも事実の筈だ。しかし恐怖を感じたことがないという言葉は完全な嘘だとわかった。
「お前はもう恐怖を知っている……天武を恐れているんだな」
「はッ……何を言ってやがる」
「それならなぜ、お前はここにいる? 軽井沢のスマホからわざわざメールをしてきた? お前が本当に恐怖を感じていないのならば、まずはアイツと戦うべきだった筈だ。だが呼び寄せたのはオレだ、天武じゃない」
そこにあるのは畏れであり恐怖だ。きっと内心では理解しているのだろう、天武には勝てないと。
だからオレを呼び寄せた、潰しやすいと判断したのだろうが、その行動の根底にあるのはやはり恐怖である。
いつ、どこで、どうやってかはわからないが、既に龍園は天武に勝てないと思ったのだろう。きっと認めることはないのだろうが。
「心の強さ? 恐怖を感じない? 強がりにしか聞こえないな」
「上等だッ!!」
また龍園が喧嘩慣れした動作で突っ込んできて蹴り上げようとするが、以前に高円寺と龍園のやり取りの中で天武が見せた動きを再現して、その前に靴先を踏みつけた。
そしてまた殴打を押し付ける。何度も何度も、この男の心が折れるまで。
「がはッ!?」
鳩尾への攻撃が最も響いたのか、遂に膝から崩れるように体幹が傾いた。
「既に勝てないと認めてしまったお前が、何をどうした所で勝てはしない」
認めたくないからなのか、それでも立ち上がろうとするので追撃を加える。
「あッ、がッ……痛てえじゃ、ねえか」
びちゃびちゃと音を立てて鼻血が地面を汚していく。それでもまだ折れることはなかった。
後、もう一撃だな……それで終わりだ。
容赦も躊躇もいらない、意識を混濁させている龍園の顔に踵を落とす。
「終わりだ、龍園」
根性論ではどうしようもない、立ち上がることも難しいと言えるだけの痛痒を受けて、ついに完全に倒れ伏すことになった。
心を折るつもりであったが、既に折れていたのならばわざわざ恐怖を演出する必要もないだろう。これで決着だ。
意識を失ったことを確認してから軽井沢と向かい合う。唖然とした顔は以前に船上試験の時にも見た顔だな。
「悪いな、随分と辛い状況で待たせてしまった。怪我はないか?」
「それは……大丈夫。ちょっと寒すぎて感覚はなくなってきたけど……」
軽井沢は水浸しの状態だ。掴み取った腕は凍ったように冷たい。
「オレに幻滅したか?」
「当たり前、でしょ……最初から裏切ってたんだから」
「そうだな。なら、どうして龍園に売らなかった」
「……自分のため。ただ、それだけ」
「すまなかった」
「何それ、素直に謝るとか、清隆らしくないんだけど……というか、本当に助けにきてくれたんだ」
そうかもしれないな、だがオレなりのケジメを付けないといけないとは思っていた。
「お前を巻き込んだのはオレだから、最低限のケジメは必要だと思ったんだ……またデコピンをされるかもしれないしな」
「どういうこと?」
「オレがお前にもう関わることはないということだ。これから先は連絡することも、都合よく動かすこともない」
「……え?」
「守らないと言っている訳じゃない、約束はこれからも守る……だが、関わることはもうないだろう」
「なに、言ってるの……」
最初は都合よく動かせる戦力になることを期待していたが、天武や堀北がいる以上はそこまで重要でもなくなっている。それに加えて、申し訳ない気持ちもあった。
申し訳ないか、オレには似合わない言葉かもしれない。
「ね、ねぇ、嘘だよね……清隆ッ」
「いや、事実だ」
「そんな……なんで、今更……あッ!! 後ろ!?」
顔を青ざめさせる軽井沢は動揺した瞳で俺を見つめて来ると、それと同時に何かを見つけたかのように驚きの声を上げた。
オレもまた、背中に感じ取る気配に振り返る……するとそこには倒したと思った筈の龍園が、再び立ち上がっているのが見えてしまう。
立ち上がったか、これは予想外だな。
「綾、小路ッ……なに、勝った気でいやがる、まだ何も終わってねえぞ!!」
「まだ続けるつもりか? 何をどうしようが勝てはしないぞ」
「ごちゃごちゃうるせえヤツだなッ!! お前を潰した後に、ゴリラも潰さなきゃいけねえんだよ、後がつかえてんださっさとやるぞ!?」
なるほど、立ち上がれたのは意地と信念か……根性論というのも馬鹿にはできないのかもしれない。
「もう一度言っておくが、お前ではオレと天武には勝てない、それでもやるのか?」
既に内心では勝てないと理解している筈だが、それを認めたくないのか、あるいはまだ諦めきれないのか、どちらにせよ理論だった行動ではないだろう。
「だから、黙って震えて寝てろってか? 見なかったフリして視線を逸らせってか? 舐めんのもいい加減にしろ……」
鼻から大量の血を流し、痛む体をそれでも前に進めようとする龍園は、しかし瞳だけは死んでいない。
諦めたくないと、そう訴えていた。
「こっちはなぁ!! 曲がりなりにも王様名乗ってんだ!! きっちり意地張るんだよ!!」
「そうか、天武の言葉を借りるなら、カッコつけるという奴か……」
立ち上がったのは見事だと言うしかない、オレが思っていた以上に龍園は強く、そして計算の外にいたという証明に他ならないからだ。
けれど、やはり根性論だけで全てが解決する訳ではない。最後の力と意思を振り絞って立ち上がったが、その体と拳はこちらに届く前に膝から崩れ落ちてしまう。
「クソッ……立てよ、まだだ、まだ……俺はッ」
「素直に賞賛する。あそこから立ち上がるとは思わなかった……だが、これで本当に終わりだ」
トドメの一撃を打ち込む。もう意地と信念でも立ち上がれないように。
倒れこんで大の字に転がった執念の男は、顔中を血だらけにしながら動かなくなった。
その瞳も、ようやく諦めの色が宿っている。
「お前の負けだ、龍園」
「……」
言葉は返ってこない。しかし瞳だけはこちらに向けられた。
意識は朦朧としているだろうが、それでも気絶する前に訊いていきたいことがあるらしい。
「一つ……聞かせろ、あのゴリラは、どこを目指している?」
「24億集めるつもりらしい」
「はッ……不可能だ、そんなバカげたこと。できる訳がねえ」
まるで、そうあって欲しいと懇願しているかのようにも聞こえるな。
「いや、もう王手をかけている」
その言葉に龍園はついに瞼を閉じた。そしてようやく弱気を見せることになる。
「そうかよ……クソが」
何を思ったのかはわからない、どう感じたのかも知らない、だが意識を失う直前に呟くようにこう言った。
「発想のスケールでも負けたか……完敗だな」
その言葉を最後にこの男は意識を手放すことになる。
どれだけ殴られようとも、何度蹴られようとも、圧倒的な力を見せつけようとも、それでも挑もうとした。そんな信念と意地を張り続ける男の心を折ったのは、圧倒的な暴力でもなければ、聞こえの良い言葉でも無かったということだろう。
誰かを率いる者として立場にある、目指すべき場所、思い描く未来、その差が、ついに龍園に敗北を認めさせたのだった。
恥ずかしげも無く王を名乗ったのだ、或いはその差が最も大きな心を折る一撃となったのかもしれない。