始まる前に終わらせることが本物の戦略
「猪狩先輩、教えてくださいよ。一体誰を道連れにするのか皆さん気にされていますよ」
南雲先輩の楽しそうな声が聞こえて来る。それはとびっきりのドッキリが成功したかのように誇らしそうで、同時に隠し切れない快楽を感じさせるものであった。
実際にそうなのだろう。彼にとってこの状況は夢にも見るほどに待ちわびたものであり、胸を高鳴らせながら今か今かと妄想した瞬間でもあるのだろう。
ならば笑みの一つでも浮かべるのが自然だろうし、面白くて仕方がないと興奮するのも当然なのかもしれない。
南雲先輩の言葉にザワザワと生徒たちに動揺が広がっていく、その中心人物の一人でもある3年の猪狩先輩はこう言った。
「決まってるでしょ。私たちのグループの平穏を乱した、Aクラスの橘茜さんよ」
そして彼女はわかりきっていた言葉を発する。こうなると一週間以上も前にわかっていた言葉を。
ここに橘茜先輩は不合格となり、この試験で失格することになる。全ては南雲先輩の想定通りに。
自分の計画が完璧に終わったと確信したのだろう。彼は大仰に手を叩いて堀北先輩に賞賛を贈り、勝者を称えている。
「奇想天外、いや規格外の戦略とでも言っておきましょうか。俺の手を読める人間なんて一人もいません。堀北先輩、貴方を含めて誰にもね」
楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。生徒たちの困惑を他所に南雲先輩の煽りは続いていった。
彼の中ではまさに完璧であり、この場の支配者という図式が出来上がっているらしい。どうやらまだ、自分がピエロになっていることには気が付いていないようだ。
「教えてくださいよ橘先輩。生徒会役員を務め上げ、3年Aクラスの卒業を間近に控え、そして退学していく気分はどんな気分ですか。そして、堀北先輩。今の気持ちは? きっとこれまでに感じたことのない、苛立ちに包まれているんじゃないスか?」
まだ結果発表が完全に終わっていないことに気が付いていない南雲先輩は、堀北先輩にそんなことを訊いている……そろそろ口を閉じた方が良いかもしれない。喋れば喋るだけこの先が惨めになるだろうから。
「堀北先輩、どうしました? もしかしてショックで唖然としていらっしゃいます?」
「南雲、まだ結果発表は終わっていないぞ」
堀北先輩は冷静そのものであった。当たり前だ、こうなることをわかっていたのだから、苛立つことも焦ることもない。心構えは出来ていたのだから。
「どういうことスか?」
「そのままの意味だ、まだ結果発表は終わっていない」
生徒たちの混乱とざわめきで中断されていた試験の結果発表を促すかのように。堀北先輩は教員に視線を送った。
「え~、不合格者はもう一人いる……2年D組にもだ」
そう、不合格者はもう一人いた、ただそれだけのことである。そしてこの試験のルールでは、足を引っ張ったとされるもう一人を指名して道連れにして退学にすることができる。
だから橘先輩は退学になり、そしてこの人もまた同じ状況に追い込まれることになるのだった。
道連れとして指名される人物は――――。
「私は、2年Aクラスの朝比奈さんを道連れにします」
わかりきっていた言葉を彼女もまた口にした……最初から最後までこの試験は茶番に満たされていた。それだけの話である。
「え、は? な……ど、どういうことだ? なんで……へ?」
その発表に南雲先輩は唖然として困惑している。完全に予想外の状況だったのだろう。
「茶番だな」
「ん、そうだね」
大勢の生徒たちに交じってこのやり取りを眺めていた俺と清隆はそんな会話をしていた。
さて、時間を戻すとしよう。このどうしようもない茶番劇が始まったのは、この合宿試験が始まるよりも前のこと、三学期となり全学年合同で合宿があると告知された時まで遡ることになる。
「殴りかかって来るのなら、殴り返そう作戦」が動き出したのは、俺に届いた一通のメールからだった。
「ふむ」
冬休みも終わって三学期が始まってすぐのこと、俺のスマホには上級生からとあるメールが届いた。
「天武、どうした?」
「いやね、二年に作ったスパイから情報提供があってさ。あ、三年の先輩からも来たな」
「三年にも作ってたのか」
「いや、俺が大量のポイントを持ってることを嗅ぎつけて来たみたいだからさ。面白い情報があれば買い取るって話をしたんだよ」
「二年のスパイはあれか、ひまわりの髪留めをした、あの女子生徒か?」
「そっちじゃなくて買収した方だよ……メールによると、近々行われる試験で南雲先輩が動くらしい。狙いは堀北先輩ではなく橘先輩みたいだけどね」
「あの変な髪型した方か……特定の生徒をピンポイントで退学させるのは難しいと思うけどな」
放課後になり、清隆の部屋でチェスでもしながらどっちが飯当番をするのか決めようとしている時に、こうしてメールが届いた状況である。
「そうだね、難しいだろうけど、生徒会は試験の内容やルールに多少なりとも介入できるらしいから、学校側に咎められないような隙間でも作って上手いことやるんじゃないかな」
「そういうものか」
「試験の内容がわからないことには何とも言えないけど。直接狙えばどうしても目立つし、堀北先輩が阻止しない訳もない……だとしたら、物理的な距離を取ってフォローできない状況を作るだろうね」
「ホームルームで告知された合宿は、そういった状況が作りやすいかもしれないな」
詳しい説明こそ無かったが、クラスどころか学年全体で遠出をするという話は聞かされている。
「まぁ今回は二年と三年の……正確には南雲先輩と堀北先輩の争いだ。一年は蚊帳の外にいられるかもね。狙われていると忠告だけはしておこうか」
この情報を事前に堀北先輩に渡しておけば、どうにでも対処するだろう。来るとわかっている作戦なんて何の脅威にもならないんだから。
そんなことを考えながらチェスの駒を動かしていると、清隆の手が動かなくなった。
視線を盤上から彼の顔に向けてみると、顎に手を当てて考え込んでいるのが見えた。チェスでの長考ではなく、別の方向に思考を広げているらしい。
「清隆、どうした?」
「いや、せっかく相手の出す手がわかっているんだ。あいこで終わらせるのもな」
「なるほど、良い機会であるとも言えるのかもね」
「現状わかっているのは、近い内に特別試験が行われること、そこで生徒会長が堀北兄に近しい女子生徒を狙うことだな」
「あぁ、けれどあからさまなことをすれば目立つ。堀北先輩だって阻止するだろう……ふむ、もう少し詳しい情報や動きを集めておくか」
「そうしてくれ、ある程度の情報が出揃ったら、作戦を立てよう」
「清隆、なんだかラスボスみたいな顔になっているよ」
こうして届いたメールを起点に俺たちは動き出すことになる。二年と三年に作ったスパイから情報を仕入れて、より南雲先輩の動きを把握していくことになるのだった。
これが合宿が始まる数日前のこと、そしてここから先が二日前のことになる。
「急にお呼びしてすいません。直接会って話しておきたいことがありまして」
「構わない、南雲の動きがわかったと電話では話していたが、詳しく聞きたい」
時刻は深夜零時、この時間になると学園も明かりが少なくなって随分と暗くなる。街頭の光はあるがケヤキモールも学校も寮も明かりが抑えられる、そんな時間帯であった。
以前に龍園を呼び出した時に、四人で話したあのベンチで待っていると堀北先輩が姿を現して隣に腰かける。
「本当に、橘が狙われるのか?」
「こちらがスパイから仕入れた情報ではそうなっていますよ」
「……」
「信じたくないと、そういった顔をされていますね」
「そうだな。俺は南雲を信頼している。考え方や方針の違いこそあれど、その実力は認めている。それにこれまで南雲はこちらの信頼を裏切ったことはない」
「俺の知らない時間と信頼を積み重ねて来たのは容易に想像できますね。けれど彼は次の試験でそれをやるつもりのようです」
「いや、それは……」
南雲先輩を危険視しながらも、その実力はしっかり認めていているのだろう。きっと様々な信頼を積み重ねていた筈だ。けれど俺からしてみるとイマイチその考えがわからない。
大量の退学者を意図的に出している相手に向ける信頼とは、一体どんなものなのだろうか?
「堀北先輩、こんなことを言いたくはありませんけど、信頼と信用を重ねてはいませんか? 南雲先輩の実力を信用する事と、彼を信頼することはまた違いますよ? 貴方は以前に南雲先輩は大量の退学者を出すかもしれないと言っていましたけど、そんな人に向ける信頼ってなんでしょうか」
だがこれは南雲先輩の振る舞いがそれだけ上手いと言うことなのかもしれないな。長い時間をかけて信頼と信用を混ぜ合わせていったんだろう。
悩む様子の堀北先輩は、こう言ってはなんだが普通の学生のように見えるな。当たり前のことだけど完全完璧な存在なんている筈がないので、自然なことでもある。
「橘先輩が狙われている。これは間違いありません。それを踏まえた上で作戦を立てたんですけど、とりあえず耳を傾けてください」
「わかった……聞こう」
「あちらが橘先輩を狙ってくるのなら、こちらは朝比奈先輩を追い込みましょう」
「おい」
「落ち着いてください。別に退学させようって話ではありません。そういう台本を作ったんです。疑問や問題点は全て聞いてからにしましょう」
「……」
「まず次の合宿で何らかの特別試験が行われる、そうですよね?」
「それを答えることはできない。元生徒会長として特定の生徒に有利な情報を流すことはできないからだ」
「現生徒会長はその試験をしっかり把握して自分に都合よく動かしているというツッコミを入れたいんですけど……いや、まぁそこはどうでもいいか。ではこちらが集めた情報から組み立てた推測で良いので聞いてください」
「あくまで推測だな?」
「えぇ、貴方は何も情報を漏らしてはいませんよ……それで推測なんですが、次の試験では全学年合同で何らかの試験が行われる。林間合宿という状況から考えるに大規模かつ複雑なものが」
「……」
「きっと大規模過ぎて細かい所まで目が届かないんでしょうね、それこそ男女に分かれて行動するとかなら尚更だ。しかもこちらが入手した情報では、妙なルールやペナルティも多く、南雲先輩は細かく口を出しているとか。俯瞰してこの状況を見てみると、橘先輩を孤立させて狙えると思いませんか?」
「確かに、できなくはないだろう……だが解せないな、それがどうして朝比奈を狙うことに繋がる?」
まぁそこは疑問に思うだろう。俺としては情報だけ堀北先輩にわたして後は丸投げでも良いと思うけど、ラスボスっぽい顔をした清隆がやけに楽しそうに作戦を立てていたので邪魔するのも悪い気になってしまった。
「そこに関してもしっかり説明しますよ……もし橘先輩が退学になりそうなら、貴方はどうしますか?」
「救済する、当然だ」
「その際の罰則は……聞くまでもありませんね」
「あぁ」
「それこそが南雲先輩の狙いなんでしょうね。救済するのなら少なくない損害が、見捨てたら見捨てたで貴方には深い傷を負わせられる。どちらに転んでも南雲先輩に損はない」
「そんなことの為に、橘を狙うか……」
「でもそれって、なんだか悔しいじゃないですか、やられっぱなしで相手は高笑いしてるんですよ? ならこっちから殴っても良いじゃないですか、同じ方法でね」
「だから朝比奈か……」
「殴ろうとするのなら、殴り返される覚悟を持たなくてはならない。そんな当たり前のことを教えましょう。けれど俺は朝比奈先輩を追い込みますけど退学にさせるつもりはありません。こちらも救済して貰いましょう、当然南雲先輩が身銭を切って」
「言いたいことはわかった。だが、もし南雲が朝比奈の救済を行わなかったらどうするつもりだ?」
確かに、ありえない話ではない。けれどあの人はプライベートポイントもクラスポイントも潤沢だろうからそこまで大きなリスクという訳でもない。
「五分五分って所ですかね」
「だとしたら協力はできない。故意に退学に追い込むことなど賛同はできないからだ」
「ですが、この可能性を九割九分に上げる方法がありますよ」
「それはなんだ?」
「同様に橘先輩を退学するかもしれない状況に追い込むことです」
「……意味がわからん」
「南雲先輩の前で、貴方が橘先輩を救済するんですよ……貴方にできて、自分にはできない、それは彼にとって最大の屈辱であり、完全敗北を認めることになりますから」
「だから同じ状況の朝比奈を救済するか……お前は俺以上に南雲を理解しているのかもしれないな」
「意外に人間臭い所がある人ですよね、面白い人だ」
そこで堀北先輩はベンチに座った姿勢で深く考え込む、こちらの作戦を吟味しているようだ。
「先輩、貴方は以前に俺たちに南雲先輩の抑止になって欲しいと言いましたよね?」
「そうだな」
「後輩にだけリスクと負担を押し付けるのは、先輩としてどうなんですかね?」
「ほう、だから俺にも同様の物を背負えと?」
「はい。具体的には、罰則を受け入れてこの茶番劇に橘先輩と一緒に参加してください。そして一緒に南雲先輩に教えてあげましょうよ、殴るのなら殴り返される覚悟を持てと」
「クラスメイトたちに迷惑をかけてしまうだろうな」
「絶対に嫌だと言うのならば強制はしません。橘先輩を守ってそれで終わりでも全然構いませんよ……けれど貴方は南雲先輩の抑止になれと俺に言った。違いますか?」
「今、少し後悔している所だ」
「清濁も良し悪しも利益も不利益も飲み込んで、進んで行くことも重要です……そうですね、踏ん切りがつかないと言うのならば、もし今回の一件で貴方のクラスが被った被害から立ち直れそうにないのならば、こちらがバックアップするというのはどうでしょうか?」
「いや、そこまでは頼めない……」
瞼を閉じて深く考え込む堀北先輩は、暫くしてから溜息と共にこう言った。
「ふぅ……良いだろう。確かにお前の言う通り、後輩にだけリスクを押し付けることはできない。この茶番劇に乗ろう」
「決まりですね」
「だが最後の疑問がある。朝比奈は、お前の予想通りに動くのか?」
朝比奈先輩が南雲先輩に助けを求めれば、確かに追い込むことは難しくなるかもしれない。けれどそこも問題はなかった。
「安心してください。必ず朝比奈先輩は橘先輩と同じ状況になります。だってこの茶番劇の参加者なんですから」
「なんだと……まさか」
「えぇ、話は通してあります。何も知らないのは南雲先輩だけだ」
「……南雲が哀れだな」
「彼から始めた戦いですからね、何とも言えませんよ」
堀北先輩はまた深く考え込む。
「笹凪、一つ誓いを立てろ」
「何でしょうか?」
「もし、この台本通りに進まず。南雲が朝比奈を切り捨てた時は、お前が必ず救済しろ……平たく言えば、絶対に退学者を出すな」
「言われるまでもありません」
俺はベンチから立ち上がって姿勢を正して自分の心臓に拳を持っていく。
「俺の名と、矜持にかけて、万が一の時は必ず救済します。誰一人として退学者はだしません」
「具体的には?」
「朝比奈先輩の救済に必要なプライベートポイントとクラスポイントを俺のクラスから出します……もちろん好きでやりたいことではありませんが、俺もまたリスクを背負いましょう」
「お前のクラスメイトが納得するとは思えないがな」
「全員に2000万配れば納得してくれますよ」
「なるほど、確かにお前の資金力ならばそれも可能だろうな……良いだろう、その誓い、決して忘れるな」
「矜持を掲げた誓いです、死んでも汚すことはしません」
「二年の協力者に関してはどうするつもりだ?」
「そこは安心してください。南雲先輩が掲げるあるかどうかもわからない実力主義よりも、目の前にある2000万ですよ」
「既に買収済みか」
「えぇ、二年はあの人を中心に纏まっているって話でしたけど、それは信頼からではなく諦めと妥協の先にあるものですからね、ポイントを目の前に持っていけばすぐに食いついてきました」
こうして、この茶番劇が始まることになるのだった。橘先輩を嵌め殺そうとしている南雲先輩をぶん殴る為に、朝比奈先輩を嵌め殺すという茶番劇だ。
ここに結末が確定することになる。何も知らないのは南雲先輩だけになる。
つまり彼は、約束された敗北に突き進んでいくことになるということだ。
だがまあ仕方がないんだろう、殴りかかって来るのだから、殴り返すだけである。
そんなことすら理解できていないのならば、彼は戦いの場に立つ資格すら持っていないということになってしまう。そんなことはないと信じたい。
始まる前に全てを終わらせる。どう勝つかではなくどう終わらせるかを考える。
師匠曰く、戦術ではなく戦略的思考こそが大事。
こうして南雲先輩は、敗北が確定した戦いに挑むことになるのだった。世は無常である、せめて少しでも悲しみが減るように願って仏像でも彫るとしよう。