筋肉談義でグループの結束や関係を強化することになった後、この特別試験の初日は完全に自由時間となるので気楽なものであった。本格的に試験が始まるのは明日の朝からになるので楽と言えばそれまでである。
ただしのんびりとその時が来るのを待つだけというのは難しい。複雑かつ無数の考えや策略が幾つも動いているこの試験では、少しでも多くの情報を得ることが重要だろう。ましてや男女で分かれての試験なのだから、じっとはしていられない。
夜、食堂に全校生徒を集めての食事が行われる。男女が交流できる唯一の時間でもあるので、情報を集めるには持って来いだろう。
「清隆、ちょっと情報を集めて来る」
「あぁ」
「君も、そろそろ軽井沢さんに構ってあげなよ」
「……距離を置くつもりだったんだがな」
「一度出来上がった縁は簡単に切れるものではないさ。これから先は対等に接していけばいいよ」
「……」
わかったのか、わかっていないのか、何とも言えない顔をした清隆は、食器が載ったお盆を持った状態で悩みこみ、最終的には軽井沢さんがいる机付近に近づいていくのだった。
さてどうなるだろうかと観察していると。清隆が近づいて来たことに気が付いた彼女は、ピクッと体を反応させて緊張を高める。
清隆はそんな彼女の隣でも正面でもなく、背中合わせになる位置に座った……そして背中越しに何やら会話をしていく。
軽井沢さんはそんな清隆の存在に嬉しくもあり、苛立たしくもあり、納得できないものもあり、しかし最終的には歓喜に感情が寄っていった。
モニュモニュと唇を動かして、清隆に頼られている状況に喜んでいるのを必死に隠そうとしているのはとても可愛らしいと言えるのかもしれない。
清隆の今後がますます楽しみである。佐倉さんも最近は積極的になっているので、清隆を巡る関係が複雑になっていくのだろう。
なんか彼は、ラブコメの主人公みたいだな。
「さて俺も動くか」
いつまでも清隆たちを観察していても仕方が無いのでこちらも動き出す。
全校生徒が一堂に会するのはこの食事の時間だけなので、無駄にする訳にもいかない。
特に女子グループの情報は何としても欲しかった。
食堂の二階からざっと生徒たちを観察していき、目的の人物を探していくと、向こうもこちらを探していたのかすぐに視線が絡み合う。
食器が載ったお盆を持ったまま、鈴音さんはこちらに向かって来て隣の席に腰かけた。
「君を探してた」
「こちらもよ、まぁ貴方は目立つからそこまで苦労しなかったけど」
「そうかい?」
「今も、色んな所から視線を向けられているわ」
「体育祭以降はずっとそうだからもう慣れたよ」
今も一年生だけでなく、二年生や三年生からもチラチラと視線を向けられている。体育祭からこっち、俺の扱いはこれが基本となっていた。
学校で廊下を歩いていると自然と道を譲られるし、離れた位置でコソコソと話されることにも慣れてしまっている。ましてや今は全校生徒がこの食堂に集まっている訳だからな、注目はいつもより大きい。
まあ気にしても仕方がないだろう。誰かからの評価や視線を気にしても前には進めないのだから。
「それより、ここに来る前に噂を聞いたのだけど……貴方、龍園くんたちを同じグループに入れたというのは本当なの?」
「事実だよ」
そう答えると鈴音さんは少しだけ呆れたような顔をする。
「言い訳をさせて欲しい」
「何かしら」
「龍園たちと高円寺を放置するほうが危険だと思ったんだよ」
「だから一ヶ所に集めたと言いたいのかしら」
納得いかないとばかりに眉を顰める鈴音さんは、怒っているというよりはこちらを心配してくれているのだろう。
「上手く制御できるのね?」
「大丈夫だよ、任せて欲しい……それとも、俺のことは信頼できないかな?」
「そ、そういう言い方は……止めなさい、ズルいわよ」
プイッと視線を逸らす鈴音さんは、とりあえず納得してくれたのかそれ以上は言ってくることはなかった。
「龍園は責任者を自分のクラスで仕切らせるように言って来た代わりに、今回の試験で獲得したプライベートポイントを全てこちらに渡すことになったよ」
「それは……責任者になった際のメリットとリスクを両方引き受けることになるわね」
「彼のクラスは今どん底だ。クラスポイントは入学当初から下がる一方、ならここでリスクを受け入れてでも動こうと思ったんじゃないかな」
正確には開き直ったが正しい表現だろうな。俺の財布を前提にして動くと決めたのだ。
「流石の彼も、今の現状には焦りがあるということかしら……天武くんはそれで納得しているの?」
「まぁね、利益もしっかり確保した。後、この試験はクラス全員での移動や戦略が難しくなってくる。どうしても目が届かない場所も出て来るだろうし、強気に出るには複雑すぎる状況だ」
「確かに、難しいかもしれないわね」
「あぁ、それだったら。リスクをどこかのクラスに押し付けて、ほどほどにポイントを稼ぐというのも、決して悪い判断ではない。龍園には焦りはあるけど、俺たちにはないんだからね」
「失格者が出るような状況を避けながらも、プライベートポイントとクラスポイントはしっかり確保するのね……男子の動きはわかったわ、次は女子の説明をするわね」
「あぁ、宜しく頼むよ」
共に食事をしながら方針や考えを共有していく。
「まずこちらの状況なのだけれど、女子はグループ決めが揉めに揉めたのよ」
「そりゃまたどうして?」
「Aクラスが、一之瀬さんを信頼できないと主張したのが始まりかしら……グループを決める際に彼女たちのクラスを遠ざけようとした」
「へぇ、確かに揉めそうではあるけど……なんでまたそんなことを?」
「あちらの思惑はわからないわね。けれどAクラスは14名のグループを作って一人を受け入れる形になって、残りは一之瀬さんを避けるように配置すると言ったの」
「男子とそう変わらない状況だけど、その言い方だとかなりギスギスしそうだね」
「えぇ、一之瀬さんたちのクラスはわかりやすく敵意を露わにして、今も継続しているのがわかるでしょう?」
「あぁ、そのようだ」
視線を食堂の中に走らせていくと、坂柳さんを中心としたAクラスの女子グループを睨む集団が確認できる。あれは一之瀬さんクラスの人たちだな。
「おかげでとても長引いたわ」
「お疲れさま、そしてありがとう」
労いと感謝の言葉を伝えると、鈴音さんは満足そうに頷いた。その言葉を待っていたらしい。
「君自身は、一之瀬さんを遠ざけたことに関してどう思っているかな?」
「Aクラスがどんな理由でそんな主張をしてきたのかわからないけど、そこは重要ではないわね。くだらない噂や印象操作で判断を誤ることほど、愚かなことはないもの」
「良い言葉だ、その様子だと一之瀬さんと協力関係を結んだみたいだね」
「他クラスとの協力と連携が不可欠な試験と考えたら、彼女以上に信頼できる人もいないのだから当然の選択でしょう?」
「あぁ、俺でもそうする」
色々と女子側も苦労があったようだが、一之瀬さんとの協力関係を結んだらしい。この感じだとウチのクラスがAクラスを受け持ったのかもしれないな。
そんなことを鈴音さんと話していると、さっきまでクラスメイトたちと話していた一之瀬さんが、一人になったタイミングでこちらに近寄って来るのがわかった。さっきからチラチラと視線は向けて来ていたので、接触するタイミングを探っていたらしい。
「堀北さん、笹凪くん、ここ良いかな」
「もちろんだよ、どうぞ」
少し疲れた様子を見せる一之瀬さんは、それでも朗らかな笑顔を浮かべて俺と鈴音さんの正面に座った。
「堀北さん、グループ決めの時はありがとう。本当に助かったよ」
「気にしないで良いわ。さっきも言ったけれど、他クラスとの連携が必要なこの試験では、貴女の力を借りたかったのよ……こちらの都合もあってのことだと忘れないで欲しいわね」
鈴音さんがそう言うと、一之瀬さんはとても楽しそうな笑顔を見せてくれる。
「やっぱり堀北さんって、優しい人だよね。入学した時は接し難いなんて噂もあったけど、印象が凄く変わっちゃったかも」
「だろう? 本当の鈴音さんはとても優しい人なんだ……痛い痛い、耳を引っ張らないでくれ」
俺が一之瀬さんに同調して鈴音さんを持ち上げようとすると、隣に座っていた彼女は俺の耳を引っ張った。視線を向けてみると照れた様子の表情が確認できる。
「無駄な主張を挟まなくていいのよ、もう……」
「すまない、鈴音さんが褒められてると嬉しくてつい……」
彼女に耳を引っ張られるのもなんだか久しぶりな感触である。無人島でも似たようなことをされたと思い出した。
ただ彼女も俺を痛めつけたい訳ではなく、照れ隠しの延長なので少し可愛いと思ってしまうな。これはこれでコミュニケーションの一つなのかもしれない。
「二人って、仲が良いんだね」
俺と鈴音さんのやり取りを見ていた一之瀬さんが、少しだけ驚いたかのようにそう言った。
「まぁ鈴音さんにはいつも力を貸して貰っているからさ」
「そっか……うん、仲良しなのは良い事だと思うよ」
一之瀬さんは少しだけ首を傾げるような動作と共に、自分の胸に手を当てて不思議そうな顔をした。
「……なんだろ、これ?」
「一之瀬さん?」
「えッ、あ、うぅん、何でもないよ。それよりも、笹凪くん……神崎くんから聞いたんだけど、龍園くんたちと一緒のグループになったんだよね?」
大丈夫なのかと言いたそうな視線を真正面から受け止めて、何も問題はないとばかりに頷きを返す。
「考えても見てくれ、龍園とウチの高円寺を好き放題させていると、ジョーカーの押し付け合いでいつまでもグループ決めが終わらないだろう?」
「あはは、確かにそうなりそう」
流石の一之瀬さんも「そんなことないよ」とフォローをしなかった辺り、龍園や高円寺の学校での評価がよくわかってしまうな。どちらも決して悪い奴ではないと言いたいんだけど、残念ながらその言葉は呑み込むしかない。
「まぁ神崎に押し付ける訳にもいかなかったからね。誰かが引き受けないといけないのなら、俺がやるべきだと思うよ。神崎から預かったそちらの生徒もしっかりと守るつもりだから安心して欲しい」
「笹凪くんが守ってくれるなら安心だね。もちろんこっちで預かってる子たちもしっかり守るよ」
「そこは疑ってなんていないさ、何せ一之瀬さんだからね」
「そこまで信頼されるとちょっと照れちゃうな」
信頼という点では間違いなく学年トップなのが彼女だからな、こればっかりは誰にも真似することはできないだろう。
「まぁ今回の試験はどうしても協力が避けられないものだ、手を取り合えることもあるさ」
「うん、一緒に頑張ろ、堀北さんも宜しくね」
「えぇ、もちろんよ」
二人はそのままこの試験の意見交換や情報交換を行い始めたので、女子チームは任せて食事を終えた俺は断りを入れてから椅子から立ち上がって食器とお盆を返却する。
まだ食事の時間は残されている。なので二階に上って改めて食堂全体を観察していった。
南雲先輩は、2年CクラスやDクラスの男子たちと一緒に行動しているようだな。穏やかに会話しながらも視線は堀北先輩に頻繁に向けており、やはり強く意識しているらしい。
そして堀北先輩は同じように仲間に囲まれながらも、南雲先輩に視線を向けることはない。同様に橘先輩を視界に収めることもなかった。
自分たちはこの茶番劇を演じており、南雲先輩の思惑に踊らされている演技を続けているのは間違いない。どちらも騙す気満々であり決められた台本を辿っているだけなのだから、本当に茶番劇である。
ここから観測する分には、南雲先輩がこちらの思惑に気が付いている様子はないな。とても面白そうな含み笑いをするだけだ。
「あ、いた」
食堂の2階から全体を俯瞰して観察を続けていると、背後から声をかけられる。この気配は朝比奈先輩のものだと思って振り返ると、予想通りそこには彼女が立っていた。
ひまわりの髪留めが特徴的な朝比奈先輩は、この茶番劇の参加者でもある。
「朝比奈先輩、調子はどうですか?」
「調子って、こんな茶番劇に巻き込んだ君がそれを訊いてくるかなぁ」
「南雲先輩を落ち着かせたいのなら、絶好の機会だと思いますけどね」
「そりゃそうだけどさ……」
この作戦に参加しながらも、完全には納得いっていない様子である。自分のクラスに大きな損害を与えることに協力しているので、当然のことでもあるのだが。
朝比奈先輩もまた複雑で面白い人だ。南雲先輩を好んでいながらも決して彼に染まっていない。実力を認めながらも危険視もしている。
好意と憂慮を同時に併せ持った感情を向けている訳だ。とても複雑な人だった。
「一応、最終確認だけど。ちゃんと今回の作戦に参加した人たちを守ってくれるんだよね?」
「朝比奈先輩を道連れにする人のことなら大丈夫です。南雲先輩の報復を躱す方法もちゃんと考えてありますので安心してください」
「本当に?」
「俺はできないことを口にはしませんし、無意味な嘘もつきませんし、わざわざ退学者を量産するほど暇でもありませんよ」
「良い方法があるって一点張りだったけど、私は具体的な方法を教えて欲しいの」
「Aクラスに移動させれば良いんですよ」
「……は?」
「ついでに反南雲派の人たちも全てAクラスに移動させましょうか。それなら南雲先輩も彼等を処理したくてもできないでしょうからね」
そうなったら最後、南雲先輩は反南雲派の人たちを守らなくてはならない。だって彼らが退学したら困るのは彼自身なのだから。
もし追い込んで退学させてみろ、Aクラスのポイントは全て吹き飛んで一気にDクラスとなってしまう。
凄く面白い状況だ。南雲先輩は自分に反意を持った存在を処理したいのに、絶対にできない状況になるのだから。
そして同時にAクラスに移った反南雲派の人たちは強気になれるだろう。だって自分たちに消えられたら一番困るのが南雲先輩だ。
極端な話、あくまで仮にだが、反南雲派の人たちが南雲先輩を堂々とリンチしたとしても、彼らを庇わなければならないのがAクラスのリーダーの立場である。
きっとこれから沢山の苦労をするんだろうな。自分に敵対的なクラスメイトを守らなければならないんだから、彼の苦労はとんでもないことになるだろう。
清隆、君は本当に性格が悪い、完全にラスボスであった。
「つまり雅に、守らせるってこと?」
「えぇ、彼らを処分したくても、一度Aクラスに上がった以上は難しいでしょうね。Dクラスに陥落しても構わないと開き直らないことには」
「う~わ……君、とんでもないこと考えるね」
「退学者が大勢出るよりもずっとマシだと思いますけど」
「そりゃそうだけど……そもそも本当に可能なの? 何億って額が必要になると思うけど」
「2、3億程度でしょ? 俺にとっては誤差みたいなものですから何も問題はありません」
「とんでもない量のポイントを持ってるって噂は私にも届いてるけど、本当だったんだ。実際にどれくらい持ってるの?」
「さぁ、額が多すぎて俺にもわかりませんよ」
朝比奈先輩はスパイではあるが本質的に南雲先輩側なので重要な情報は渡さない。もし仮に俺が本格的に南雲先輩を処理するように動けば、おそらくこの人は敵になるんだろう。そういう関係である。
「そう、話したくないなら別に良いけど」
朝比奈先輩は俺と並んで食堂の二階から一階にいる南雲先輩を眺め始めた。
複雑な思いが込められた視線に、彼は気が付いていない。
「雅はさ……私を助けてくれるかな?」
「助けてくれますよ、あの人だって男に生まれたんですから。カッコつけなければならない場所くらいわかる筈だ」
「だといいけど……」
「ん、貴方たちはとても複雑な関係のようですね」
「まぁ、一言では言い表せれないくらいにはね」
朝比奈先輩はクスッと笑って視線を南雲先輩から俺に向けて来る。
「君みたいな子がいれば、雅も少しは落ち着いてくれるかもね」
「寧ろ、余計にやる気を出すんじゃないですか」
「それならそれで良いんじゃない、楽しそうだしさ」
「迷惑なのは俺ですけどね」
「嘘、君はそんなことで挫けるような子じゃないでしょうが」
「いえいえ、後輩イビリに怯える高校一年生ですから」
「どの口が言うんだか」
朝比奈先輩はどこか楽しそうに笑ってから、俺にこんなことを言って来た。
「雅にとって最高の幸運は君が同い年じゃなかったことで、それが最大の不運でもあるのかもね……堀北先輩も一年上だし、色々と噛み合わないなぁ」
「人生なんてそういうものですよ」
「何を知った風に」
最後に彼女は笑顔を見せてその場を去っていく。残された俺は改めて南雲先輩を二階から眺めてみた。
朝比奈先輩の内心や考えを彼が理解しているのかどうかはわからないが、少なくとも今の南雲先輩は、楽しそうに笑っているのが確認できる。
最後の瞬間まで、きっと彼はそのままなのだろう。