噂に踊らされても意味がない
ヒーローは現実にはいない。私がそれに本当の意味で気が付いたのは中学生の頃だった。
そもそもそんな相手がいて欲しいと願うこと自体、私には許されないのだけど、それでも心のどこかでいて欲しいと願っていたのかもしれない。
だけどそんなことを求めるのは間違っている。責められるのは私の方なんだから。
なのに懲りることなく自分に差し伸べられる掌を傲慢にも求めて、優しい言葉を不相応にも想像して、ありえないとわかっていながらも心の奥底でも「もしかしたら」を今も妄想してしまう。
ありえないのに、許されないのに、それでもだ。
頭に被った毛布を外せない。ここは私室の筈なのに誰かからの視線が怖くなってしまう。体は小刻みに震えて、不思議と指先が冷たい。
あの時と同じだ、とても寂しくて残酷な時間がまたやってきた。
皆、私をどう思ってるんだろう、責任も立場も放り出して一人で震えている私を……。
キュッと、被っていた毛布の端を握りしめてより深く体を包み込む。
チクタクと、静謐な部屋の中には時計の音が広がっている。その音と心臓の音だけがとても近く感じられた。少し前にクラスメイトが部屋の扉をノックしたけれど、どこか遠くて、なにより怖い。
ぼーっと時間が過ぎるのをただ耐えていると、スマホが震えた。地を這うような気力で視線を向ければ、そこには南雲先輩からのメールが届いていた。
そのメールには「もう少しだけ待っていろ、俺がお前を助けてやる」という文字があった。
助ける……私は、誰かに助けて貰えるのを期待しているのかな?
中学時代にそんなことはありえないと思い知った筈だ。あの残酷な時間から逃げ出してこの学園に来るまでの間に、都合のいい展開なんて無かったんだから。
現実にはそんな人はいない……三分間しか戦えないヒーローも、バッタのライダーも、人々を笑顔にする魔法使いだっていないんだ。
だからきっと、この残酷な時間は終わることなく続くんだと思う。終わりの時が来るその時まで。
動かなくちゃダメだ、もっと頑張らないといけない、私はその為に……。
クラスにも迷惑がかかっちゃう、仲間たちにも失望されちゃう。
あぁ、でも、この毛布を剥ぎ取れない。指先は冷たいままだ。
「……」
けれど、不思議なことに、小指だけは変な熱を持っていた。他の指は冷たいままなのに、そこだけは温もりが残っている。
どうしてだろうと考えて、私はとある男の子の顔を思い出す。
それと同時に、無意識にスマホに手を伸ばして一つの宛先を引っ張り出した。
小指に残った熱が、そうさせたのかもしれない。
ヒーローはいない、現実はとても冷たくて都合よく誰かを助けてくれる人なんていない。ましてやクラスで争っている相手にそんなことするなんてありえない。
これはただ甘えているだけで、本当はやっちゃいけないことだと思う。
それでも、小指の熱が私にそうさせてしまった。
一月に行われた全学年共同の珍しい特別試験が終わって月を跨いで二月となり、一年Bクラスには大きなニュースが飛び込んで来た。それはこのクラスで唯一と思われるカップルの破局である。
なんと軽井沢さんと平田が別れることになったらしい。その驚きや衝撃がクラスメイトたちに広がったのだ。
「軽井沢さん、平田くんと別れたそうよ」
登校して教室に入り、何の騒ぎだろうと不思議に思いながら席に座ると、右斜め後ろに座る鈴音さんからそんなことを言われてしまう。
「そうか」
「驚かないのね」
「付き合うこともあれば、別れることもあるさ、男と女なんだから」
軽井沢さんと平田が偽のカップルであることは知っていた。それでもこのまま関係を続けていくのかと思っていたが、どうやら一歩踏み出すことにしたらしい。
ここ最近、愛里さんという強力な存在が清隆の傍に現れたことで焦りが生まれたのだろうか? 軽井沢さんの内心はよくわからないが、一つの前進であると言えるのかもしれない。
「え、え? 軽井沢さん新しい彼氏が出来たわけじゃないのに別れたの!?」
「あたしもさ、ステップアップしなくちゃって思ったわけ。洋介くんに甘えるのは簡単なんだけど、自分で色々と考えて見たくなってさ」
篠原さんとそんな会話をしている軽井沢さんの注意は、やっぱり清隆に向いているように思えるな。
もしかしたら、フリーになったと遠回しに伝えようとしているのだろうか?
そしてそんな考えや意識は愛里さんにも伝わっているのかもしれない。ほんの少しだけ警戒と緊張を織り交ぜたような顔をしていた。
「清隆、軽井沢さんから何か聞いていないのかい?」
「オレが知る訳ないだろ」
後ろの席の清隆にそう訊ねると、何とも手ごたえの無い言葉しか返ってこない。もしかしたら既に軽井沢さんにアピールされているのではと睨んでいたのだが、無表情だからわかり辛いな。
「まあ軽井沢さんは人気のある人だ、またすぐに誰かとくっ付くかもしれないね」
それが清隆なのか、それとも別の誰かなのかまでは知らないが。
一方、もう一人の話題の人である平田は、いつも通りに優しい表情でクラスメイトたちに囲まれていた。振られた立場ではあるが惨めだと思われないのは彼の人徳と言えるのかもしれない。
寧ろ、女子たちはその瞳にやる気すら宿っている。やはり正統派なイケメンは人気があるということだろう。
池や須藤なども揶揄ったりはしていないのだが、ただ一人山内だけは無遠慮にも絡んでいた。
「よう平田~。お前軽井沢に振られたんだって~? どんまいどんまい!!」
まあ彼はあんな感じだ。流石の平田も少し困った顔をしており、女子は一斉に山内を睨みだす。このまま放置も出来なかったのか池と須藤が山内の両脇をそれぞれ抱えて遠ざけようとしていた。
「おいなんだよ。お前らも一緒に平田を慰めてやろうぜ。イケメンだって振られる!!」
「悪趣味なんだよお前は、止めとけ」
「はあ? イケメンが振られる所なんて、滅多に遭遇できないんだぜ?」
「悪いな平田、すぐ連れてくぜ」
「いいよ。事実だしね」
うん、ああいう余裕のある平田の対応がモテる秘訣なんだろう。振られたというのに寧ろ人気が上がったのかもしれない。少なくとも積極的に動き出そうとする女子はこれから多くなるのは間違いない。
そんなビッグニュースでザワつくBクラスではあるが、俺にとってはもっと気になるニュースというか、噂のようなものがあった。
「そう言えば……一之瀬さんのこと、貴方たちは何か知ってる?」
「俺もそれが気になってた、ちょっと不自然だなって」
「天武くんの所にも届いていたのね、一之瀬さんへの誹謗中傷が」
「ああ、嫌でもね」
「人気者を妬んだ嘘ってヤツじゃないのか? あるいはCクラスを陥れたい誰かの策略とかな。誹謗中傷の内容は?」
清隆の言葉に俺は耳に届いた噂や、学校の掲示板に書き込まれた内容を記憶から引っ張り出す。
「口に出すのは憚れるかな、そういう類の奴だよ」
「えぇ、あまり愉快なものではないわね」
「でもまあ噂なんてすぐに消えるさ」
人の噂も七十五日とかなんとか、意外にも長いように思えるけど、きっと人間はそれくらいの時間で新しい話題に視線を向けることになる生物なんだろう。
「一之瀬は、それに対してなんて?」
「う~ん、今朝に玄関で挨拶した時は普通な感じだったかな、あんまり気にしてる様子はなかったけど」
偶々、登校している時に玄関で挨拶したのだが、いつもと変わらない様子だったのは間違いない。
実際に朗らかに笑って見せてくれたので、本当に気にしていないのだろう。
「下手に関わってこちらに火の粉が飛んで来られても困るわ。それにこの手のことは放置が一番よ。どうせすぐに消えてなくなるのだから」
鈴音さんの言葉も尤もだ。これがただの暇つぶしの噂話程度ならばすぐに消えて無くなるだろう。言ってしまえばよくあることなんだから。
ただ、少しだけ気になることもある。混合合宿での坂柳さんの言葉だ。
彼女は一之瀬さんクラスへ攻撃をするようなことを匂わせていた。今回の誹謗中傷がそれであるかどうかは現時点でわからないが、不穏な影もあるのは間違いない。
「天武くんの方から、クラス全体にくだらない噂に翻弄されないように言っておいて貰えるかしら」
「わかったよ」
スマホからBクラス全員が登録している全体チャットを開いて、噂話に惑わされて無意味な火傷を負わないように注意喚起をしておこう。
おそらく現時点で、それが一番の一之瀬さんへの援護になる筈だ。
ただし、情報収集や事実確認を行わない訳ではない。
自分たちには関係が無いという考えは慢心であり、眺めているだけは性に合わない。もちろん引っかき回すつもりもなければ、噂話を加速させるつもりもないが、しっかりと状況を見極める必要があった。
そんな訳で情報収集だ。おそらくは噂の発生源であるAクラスが最も適しているだろう。
「そんな訳で神室さん。色々と教えて欲しいな」
「……はぁ?」
放課後になり、美術部らしく今日も文化的活動に勤しんでいるのだが、今日は久しぶりに神室さんが顔を出してくれたので、せっかくだから声をかけてみた。
この子は最近幽霊部員気味であったのだが、ここ最近は頻繁に部活に出るようになってきたな。具体的には一之瀬さんの噂が出始めたくらいから。
美術部の端っこで絵具を適当に伸ばしていると、近くの席に座った神室さんも同じようにキャンパスを弄りだしたので、きっと話しかけて欲しいのだろうと思ったのだが、彼女から返って来たのはどこか不機嫌な表情であった。
「いやさ、ここ最近、一之瀬さんの変な噂が広がってるじゃないか……Aクラスはどう思ってるのかなって思ってね」
「そんなこと、私に訊かれても困るんだけど」
「そうかな? わざわざ美術室の隅っこにいた俺の近くに座って、どう話を切り出そうかとチラチラ視線を向けて来ていたから、お話でもあるんじゃないかと」
観察して出した結論を伝えると、神室さんはわかりやすく眉を顰めた。
「アンタらの、そういう何もかもを見透かした感じが凄く嫌い」
「ふふふ、坂柳さんからも似たような感じに扱われてるってことかな」
「……」
神室さんは奥歯を噛むように頬を歪める。以前に坂柳さんが言っていたけど、彼女は揶揄うと凄く可愛らしい反応を見せる。確かについ意地悪したくなる気持ちはわからなくはないな。
「まあまあ怒らないで……それで、神室さんは何か知らないかな?」
「どうせアンタのことだから、ある程度は把握してるんじゃないの」
「そうだね。けれどどこまで行っても想像でしかないから、第三者からの情報も欲しかったりするんだ」
そこまで部活動に積極的でない彼女がこうして頻繁に参加するようになったのは、何かしら理由があると思っている。例えば俺に情報を流したいとか。
それが彼女の意思によりものなのか、或いは坂柳さんからの指令なのかはわからないけど、そのタイミングを見計らっているのは間違いないと思っている。
「アンタは一之瀬の噂についてどう思ってる訳?」
「ん、特にどうとも、結局は噂でしかないから」
「ふぅん、もしかしたら本当のことかも知れないのに?」
「仮に本当だったとして何の問題があるのさ。彼女が彼女であることに変わりはないだろう。裏切られたと声を荒げても意味はないし、信じられないと泣くことにはもっと意味がない」
「そう? もしかしたらCクラスの仲良し連中は一之瀬を信じられなくなるんじゃない」
「そうはならないと思うけど……」
寧ろ積極的に一之瀬さんを庇いそうである。彼らはこの学校では不似合いな程に仲が良い。いっそ心配になるほどに。
「まぁなんだっていいけどね……私は別に坂柳も一之瀬も好きじゃない。何がどうなっても興味はないけどさ」
「それでもこうしてわざわざ近くの席に腰かけたんだ。何か話があると思ってたんだけど」
神室さんはその言葉にまたムスッとした顔を見せて来るのだが、最終的には迷うようにこう伝えて来た。
「坂柳を止めてよ。あんたならそれが出来るんじゃないの」
「ただ噂が流れているだけだ、俺に出来ることなんて何もない」
「今のままならそうかもね、すぐに噂も消えてまた別の話でもちきりになるかも」
今のままなら、ね。ここから先は更に深刻な事態になるかもしれないと含みを持たしている辺り、やっぱりこれはAクラスからの攻撃なんだろう。
問題なのは、この神室さんの行動や発言が、自発的なのか坂柳さんからの指示なのか判断に迷う所だろうか。おそらくは後者だと思っているんだが。
だとすると、坂柳さんは一之瀬さんを攻撃しながらも、どうした訳か俺に介入させようとしていることになる。そんなことされれば邪魔に思うのが普通なのだと思うけど、神室さんを動かして間接的に俺を動かそうとしている辺り、狙いが読めないな。
「けどこのままだと一之瀬は潰される。肉体的にじゃなくて心がね」
「そう言われると弱いな。女の子には悲しんで欲しくない」
「だからアンタが頑張りなさいよ」
「ん……とはいえ、第三者の俺が何を言った所で噂話なんて消えはしないだろう」
「じゃあ一之瀬を見捨てるんだ」
「俺はそんな薄情な男に見えるかな……それに一之瀬さんだってそこまで弱い人じゃないさ。案外、噂話なんて蹴り飛ばしてしまうかもしれないよ」
「かもね、でもどうしようもなくなったらアンタが動くのよ、わかった?」
やたらと念を押してくるな、これは坂柳さんの指示なんだろうか? 彼女と一之瀬さんの戦いにどうして俺を踏み込ませようとしているのかわからないな。
ただまあ、別に一之瀬さんを援護したり助けたりすること自体はなんの戸惑いも無い。両者の戦いに介入するのは無粋かもと思うけども、どうしようもなくなったら手を出すとしよう。
どうやら坂柳さんも、理由はわからないがそれを望んでいるらしいからな。
「了解した、せっかく坂柳さんがそう言っているんだ。状況を見極めて動くとするよ」
「い、いや、坂柳は関係ないんだけど……」
うん、今の神室さんの動揺でハッキリした、彼女は間違いなく坂柳さんの指示で動いている。だとしたら介入するのも無粋ではないか。
なにせ、あちらから横槍を入れて来いと言っているのだ、招待には応じるとしよう。
「ん、そうだったね。君の行動に坂柳さんは何も関係が無い、そういうことにしておこう」
彼女はその言葉にまた不機嫌になってしまう。やっぱり揶揄うととても面白い人であった。
知りたいことも知れたので、今日は早めに部活動を切り上げて美術室を後にすることにした。スマホのグループチャットを確認してみると、清隆たちは放課後に集まって遊んでいるらしいので、そちらに合流することにしよう。
そんなことを考えながら靴を履き替えていると、前方に友人の姿を発見する。同じく部活動帰りの三宅明人であった。
「明人、帰りかい?」
「あぁ、今から合流しようと思っていた、そっちもか?」
「同じくね」
共に部活に所属しているので、こうして放課後にグループに合流する時には一緒になる時が多い。今日もまた同じであった。
「部活の調子はどうかな」
「悪くはない、少なくとも龍園クラスの連中に監視されてた時よりはな」
ペーパーシャッフルの時のことを言っているのだろう。あの時はつけ回されてかなりストレスを溜めていたからな。
「そっちはどうなんだ……と言っても、美術部に調子を訊ねるのも変な話か」
「確かに体を大きく動かす感じではない」
「天武の身体能力なら運動系の部活でも良いと思うんだがな、弓道部はどうだ?」
「弓道かぁ……多少は心得があるけど」
「なんだ、経験者だったのか」
「本当に齧った程度のものだよ。それ以上でも以下でもないさ」
師匠から武器術や暗器術は教えられている。弓もその一つだ。ただし弓道ではなく弓術であったが。
そんな会話をしながら歩いていき、ケヤキモールにいるであろう皆と合流しようと思っていたのだが、その前に少しだけ異変に明人が気が付いた。
「アイツら……不穏な雰囲気だな」
「あれは、橋本と神崎かな」
俺たちの視界に入ったのは、校舎の片隅で向かい合う橋本と神崎の姿である。
お世辞にも穏やかな雰囲気ではなく、何だったら神崎からは苛立ちすら感じられる程であった。
「ここ最近、色々な噂が飛び交っているから、まぁあの組み合わせもわからなくはないけど」
「それで神崎が詰め寄ってる訳か……少し様子を見よう」
「わかった、グループの皆には明人から連絡しておいてくれ」
彼はスマホを取り出して波瑠加さんたちの連絡を取り、事情説明を行い始める。俺は俺で剣呑な雰囲気の神崎と橋本に近づいていった。
「二人とも何をしているんだい?」
「笹凪と、そっちは三宅か。なんでもない、何か神崎がイチャモン付けて来てるだけさ」
橋本がいつものチャラチャラした様子でそう言うと、神崎の視線は強く鋭いものになっていった。
「そのような事実はない。ただ橋本に話を聞きたかっただけだ」
「その割には随分と目つきが鋭い気がするけどな」
挑発、とも取れる橋本の言葉に、神崎は黙り込む。
「橋本、お前に訊きたいことがある……ここ最近出回っている一之瀬の噂についてだ」
「一応言っておくけど、俺は何の関係もないぜ」
「本当にそうなのか? とても信じられないな」
「おいおい、何の根拠もないってのに、決めつけはよくないっての」
「噂の出どころの多くはAクラスからだ、関係が無いとは言わせない」
「いいや言うね、噂がどうのこうのだなんて、俺にはなんの関係もないんだからな」
あくまで余裕の態度を崩さず、それどころか僅かな笑みすらも浮かべる橋本に、神崎の苛立ちが増していったように思えた。
明人と視線を合わせて、殴り合いになったら止めるという意思を交わして様子を見守るしかないだろうなこれは。
その後も神崎が放つ言葉のジャブを、飄々とした態度で受け流す橋本に、いよいよ苛立ちが抑えきれなくなったのか、一歩踏み出して距離を縮め始めた。
これは、いよいよか?
「お前ら、喧嘩するな」
明人もやんわりと忠告するのだが、二人の態度は変わることは無い。
「おいおい誤解すんなって、俺はただ一方的に詰め寄られてるだけで、問題は神崎の方にあるんだからな」
「本当に喧嘩って訳じゃないんだな?」
「しつこいぜ三宅。そもそも因縁をつけてきたのは俺じゃなくて神崎の方さ」
絡まれて参っている、とでも言いたげな態度を見せる彼は、俺と明人の背後に視線を向ける。
「お仲間も到着みたいだぜ」
振り返ると、そこには清隆たちグループメンバーがいた。どうやら明人から電話を受けて興味を持ったのか、わざわざ探しに来たらしい。
もし喧嘩沙汰になった時は巻き込まれないようにすればいいか。それに目撃者が多い方が話も複雑にならなくて済むだろう。
「……お前ら、来たのか」
「みやっちとテンテンが変なことに首突っ込むからでしょ。助けに来てあげた訳」
「助け……ね。天武がいる以上はなんの心配もいらないとおもうが」
「テンテンはゴリゴリだもんね、でもそういう問題でもないかも」
そこで波瑠加さんは少しだけ意外そうな顔を見せる。
「なに、この二人が喧嘩してたわけ?」
神崎も橋本もそういったタイプではないので、確かに意外かもしれないな。
「そいつは勘違いだ。険悪なのは神崎だけさ」
相変わらず飄々とした様子の橋本に、目撃者が増えて来たことからバツの悪そうな顔をした神崎は、居心地が悪そうな顔をしていた。
暴力こそ振るっていないが、他者に詰め寄っている場面を誰かに目撃されるのはあまり良い印象を与えることはない。例えばこの先、一之瀬さんクラスと坂柳さんクラスの間で審議などがあった場合、この一件が出される可能性もあるからだ。
印象、というのは決して馬鹿にできる要素ではない。
まあ尤も、詰め寄らねばならない事情があるのも確かなようだが。
詰めた距離を戻すように一歩後退した神崎は、そこからも橋本に言葉を投げかけていく。曰く、噂の出所はAクラスの生徒で、これは悪質な誹謗中傷でありどうして坂柳はそんなことをするのかと。
それに対して橋本は変わらずチャラチャラした雰囲気を維持したまま、勝手に決めつけるな、俺に訊かれてもどうしようもないことだと回避する。
どこまで行っても平行線な二人の話は交わることもなく、それどころか亀裂が深まるばかりであった。
「なぁ神崎。お前は頭も良いし、思いやりもある男さ。けどな、だからこそこういったことには深入りしない方が良いぜ。信じるしかできない人間にはどうすることも出来ない一件なのさ」
「つまり、噂を取り消すつもりはない、と?」
「勘違いするなよ? 噂を取り消すもなにもない。噂は右から左へ、どこからともなく流れて来るだけなんだ。俺もまたそれを聞きつけ、左へと流しただけのこと」
そう言って橋本はもう話は終わったとばかりに、踵を返す。
「ま、噂なんてすぐに消えるだろ。騒ぎ立てずに放っておけばな」
「まだ話は終わってない」
「終わったっての、それともお前に詰め寄られてるこの状況をこれだけの目撃者の前で続けるってのか?」
「……」
神崎たちがグループメンバーを見て眉を顰める。冷静な男なので嫌な状況であるとはわかっているのだろう。
「じゃあな」
最後の最後まで橋本は余裕の態度を崩すこともなく、去っていくことになる。
「神崎、苦労しているみたいだね」
「……少しだけな」
「橋本の言葉を正しいと言うわけではないが、噂なんてものはすぐに消えるさ。あまり騒ぎ立てるのもそれはそれで面倒ごとに繋がるかもしれないぞ」
「それは、わかっている……ただの噂話ならばそうだろうな」
けれどこれはただの噂話ではなく、悪意と共に広げられていると神崎は言外に含ませる。だからこそ彼らのクラスも困っているのだろう。
「何かあったら言ってくれ、可能な限り協力しよう」
「すまないな、もし手が必要になったらその時は頼む」
僅かに意気消沈した様子の神崎は、そう言ってから背を向けて去っていく。
なんだか一之瀬さん以上に振り回されている様子だな。
このまま噂や誹謗中傷が消えてくれればいいのだが、そうはならないのだろう。これは只の噂ではなく坂柳クラスから一之瀬さんクラスへの攻撃なのだから。
さて俺はどう動くべきだろうか、わざわざ神室さんを動かしてまで横槍を入れて来いという誘いまであったのだ、目的を見極めながら慎重に動くとしよう。
まあ最終的には我を押し通せばそれで済む話だ。シンプルに考えておくとしようか。