ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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綾小路「こいつマジか」


彼と彼女に足りないもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 須藤を説得してなんとか勉強会への参加を受け入れさせたことでとりあえずの不安は消え去った。決して愚かではないしやる気さえあればあとはどうとでもできる自信もある。

 

 明日朝一で堀北さんへと謝罪の場を設けて、上手く彼女からも謝罪を……それは無理そうだから譲歩を引き出さないといけない。

 

 日々の日課であるランニングをしながらどうしたもんかと考えていると、遠くから何やら言い争う声が聞こえて来る。

 

 師匠イヤーは地獄耳だからな、ある程度の距離なら耳に届いた。

 

 痴話喧嘩程度ならば見なかったことにしてそのまま寮に帰るのだが、争っている人物がクラスメイトで、しかも生徒会長とくれば無視することもできない。

 

 そういえばあの人も堀北だったな、もしかして家族なんだろうか?

 

「愚かだな、昔のように痛い目を見ておくか?」

 

 鋭い目つきがよく似ているなと思いながら話を聞いていると、言い争いを続けていた生徒会長は堀北さんの頭を掴んで強引に投げ飛ばそうとしたので、さすがに待ったをかける。

 

「その辺にしておいたらどうです?」

 

 堀北さんを投げ飛ばそうとしていた腕を掴んで固定すると、二人の視線がこちらに向けられる。

 

「さ、笹凪くん!?」

 

「……お前か」

 

「どうもこんばんは堀北さん、それと生徒会長……妹さんを投げ飛ばすのはどうかと思います。下、コンクリですよ?」

 

「部外者は下がっていろ、これは身内の問題だ」

 

「俺が今から生徒会長のクラスメイトに暴行を働きにいって、貴方はそれを黙って見逃すんですか? 自分にできないことを他人に強制するもんじゃない……手を放してください」

 

「……」

 

「……」

 

 生徒会長さんと俺の視線がぶつかり合う。最悪の場合はここでこのまま腕を握りつぶすことになってしまうので、それは避けたいんだが。

 

「や、やめて、笹凪くん……」

 

 今にも殴り合いを始めそうな俺たちを止めたのは堀北さんであった。普段からは想像もできないほどに弱弱しいその声と懇願に、俺は拘束していた生徒会長の手を開放する。

 

 その瞬間、鋭く力強い裏拳が顎先に迫った。

 

 体幹と筋肉の動きでそれを予期していたので躱すのは容易かったが、続けざまに攻撃が続いたことで徐々に思考が師匠モードに近づいていく。

 

 掴んだら壊せ。いつも言われていた言葉が脳裏に鳴り響き、思考が薄まっていけば、プールでの水泳授業の時のように結果に向かって体が勝手に動くような感覚が近づいてくる。

 

 

 だが、その感覚に身を委ねることはできない、委ねたら最後、俺は多分、この人を握り潰してしまうから。

 

 

 なので師匠モードを遠ざけるように意識しながら攻撃を躱して、あくまで俺の意思で貫手を放つ。

 

「ッ!?」

 

 生徒会長も驚いたようだ。避けるばかりだったので反撃が来ると思っていなかったのか、それとも反応が出来ない程の速度であったからなのか、おそらくその両方だろう。

 

 貫手で奪い去ったのは生徒会長の目玉でも内臓でも喉でもなく、彼がかけていた上質なメガネである。

 

「生徒会長、もうこの辺で止めにしましょう、これ以上は無意味です」

 

「……なるほど、そのようだな。大した貫手だ、なんの流派だ?」

 

「古武術の一種です、空手ではありませんね」

 

 主に相手の内臓や目玉や喉を引き抜く技術だった筈。師匠の得意技なので俺の一番得意な技でもある。

 

 まだこの学校に来てそう長くもないのに、既に懐かしいなぁ。

 

「ほう? 古武術か、興味深くはあるが……まぁ、良い、眼鏡を返せ」

 

「堀北さんに暴行しないと約束してくれますか?」

 

「どうせお前が止めるだろう?」

 

「そりゃ止めますよ、貴方だってクラスメイトが同じ状況ならそうする筈です」

 

「そうだな、まさか一年生に諭される日が来るとは、俺もまだまだ未熟ということか」

 

「日々精進を心がけていればそれで良いと思います」

 

「ふッ、お前がいれば多少は面白くなりそうだ」

 

 生徒会長の視線が妹に向かう。その瞬間に堀北さんはビクッと体を硬直させる。

 

 なんていうか、虐待を受けた子供のような反応であった……遠くはないんだろうけど。

 

「鈴音、Aクラスに上がりたければ死に物狂いで足掻け」

 

 そう言って彼は去ろうとする、最後に俺に視線を向けてから思い出したかのようにこう言った。

 

「いい加減、眼鏡を返せ」

 

「ごめんなさい、勢い余ってこの有様です」

 

「……」

 

 うん、ごめんなさい、加減はしたんだけどね、脆い物だからこればっかりは仕方がない。

 

「……弁償します」

 

「いや、良い、勉強代としておこう」

 

 ありがとうございます。眼鏡って高いから配慮してくれて凄く助かる。

 

 遠ざかっていく生徒会長の背中を見送ってから、まだ硬直した状態の堀北さんに声をかける。

 

「大丈夫?」

 

「え、えぇ……大丈夫」

 

 普段の力強くて鋭い雰囲気は皆無で、とても弱弱しい雰囲気であった。不覚にも可愛らしいと思ってしまう。

 

「お兄さん、厳しい人みたいだね、あんなことするなんて」

 

「私が、不出来だからいけないのよ……」

 

 だからって投げ飛ばそうとするかね、あれじゃあ師匠と何も変わらない。いや、つまりあの人は師匠と同じようにこの世で最も尊い人ということにッ!?

 

 絶対にありえない、それだけはありえないッ!!

 

「堀北さん、何か飲む? ミルクティーで構わないだろうか?」

 

 お、落ち着け、お茶でも飲んで落ち着こう。

 

 自販機でミルクティーを二つ購入して片方を堀北さんに渡す。そして近くに合ったベンチに腰を下ろした。

 

「さぁ、飲みなさい」

 

「ありがとう……」

 

 やっぱり弱弱しいな、ショックが大きかったのかもしれない。

 

「……」

 

「……」

 

 そして無言の時間がやって来る。堀北さんも何を話せばいいのかわからないのだろう。

 

「須藤のことだけどさ、何とか説得できたから、明日から勉強会に参加できると思う」

 

「そう」

 

「堀北さんは、その……どうかな、須藤が参加することはさ」

 

「……良いと思うわ、私よりも貴方が教える方がずっと」

 

 う~ん、やりにくい、いつもの堀北さんの方が俺は好きだな。

 

「えぇっと、もしかして堀北さんはもう参加しないつもりなのかい?」

 

「……私がいても、できることはないわ。ただ相手を貶して怒らせて、あれだけ偉そうに語っておきながらお笑い種よね。須藤くんと何も変わらない」

 

 一応、彼女の中で言い過ぎたという思いがあり、反省もあるのだろう。

 

「ねぇ、私がAクラスを目指している理由はわかる?」

 

「……お兄さんに認めてもらいたいからだろう。堀北さんは生徒会長に強い憧れを抱いているんじゃないかな」

 

「えぇ、兄さんは何でも一番で、凄く優秀……それに比べて、私はいつまでたっても不出来なまま、しつけされても仕方がないわね」

 

 しつけでコンクリに投げ落とそうとするのは確実にやりすぎだと思う……いや、しつけで崖に蹴り落としてくる師匠がいるのでそう考えると甘い対応なのだろうか?

 

「ねぇ、堀北さん、人生で大切なことが三つあるんだけど、何かわかるかい?」

 

「……いきなり何の話をしているのかしら?」

 

「ん、これは俺の師匠の言葉なんだけどね、憧れと恋と夢を見つけて人はようやく一人前になれるんだってさ」

 

 ミルクティーで喉を潤しながら師匠からの言葉を伝えていく。

 

「一つ見つけて未熟者、二つ見つけて半端者、三つ全て揃えて一人前さ……憧れだけじゃ届かないし、恋だけじゃ続かない、夢だけじゃ意味が無いって言われたんだ」

 

「……」

 

 堀北さんは憧れの部分に強く反応したように思える。既に彼女の中にあるからだろう。

 

「堀北さんはお兄さんに憧れている、そうだろう?」

 

「えぇ」

 

「俺にも憧れている人がいる。その人は完璧超人で、本当に人類最強の人だ……俺はその人に憧れて、その人のようになりたいと思ったけど、笑われてしまってね、憧れだけじゃ届かないって」

 

「……憧れだけじゃ、届かない」

 

「俺はまだ人生で大事なことの一つしか見つけられてない、堀北さんと同じさ……残りの二つを見つけて一人前になりたいと思ってる」

 

 須藤はもう夢を持っているんだよな、羨ましい。恋と憧れはまだ知らないみたいだけど。

 

「だから堀北さんも、まずは残りの二つを見つけてみたらどうだい? きっとその時にお兄さんと話せば、別の何かが見えて来るんじゃないかな……君が持つ憧れはとても尊くて大切なものだ、けれどそれだけじゃ届かないんだ」

 

「……」

 

 何も答えてくれない、ただ迷いながらも持っていたミルクティーで僅かに喉を潤す。

 

「ん……堀北さん、俺と交際しようか?」

 

「ごふッ!?」

 

 おぉ、珍しい反応だ、ミルクティーを吹き出してる。

 

「な、ななッ、急に何を言い出すのよ!?」

 

「ん、もっと別の言葉の方が良かったかな? ごめんね、こういうのに慣れてなくて、う~ん、俺と付き合ってくださいって表現の方が良かったかな?」

 

「そ、そうじゃなくて……いきなり」

 

「あぁ、ごめん、でも冗談で言ってる訳じゃないんだ……さっきの話を覚えているかい? 人生に必要な三つの話。憧れと恋と夢って奴」

 

「さっきから話が通じていないのだけど」

 

「いやいや、通じているよ。俺も堀北さんもまだ憧れしか知らないって話。共に未熟者でしかない……だから恋を知れば一つ成長できるんじゃないかと思っているんだ」

 

「……な、なにを言っているのよ」

 

「堀北さんが俺に恋を教えてくれれば、俺は憧れと恋を見つけることができて晴れて半端者にはなれる。そして堀北さんもそれは同じ、一緒に成長できる。後は夢を見つけるだけだろう、間違いなく前進だ」

 

 だから、と言葉を区切ってから、真っすぐ彼女を見つめてこう言い放つ。

 

「堀北さん、俺に恋を教えてください」

 

「ッ!?」

 

 見たことも無い反応を見せてくれる。羞恥に震えて頬が赤くなっており、視線が右往左往している。普段の彼女からはまず見られない反応であった。

 

「そ、そもそも、貴方の言い分だと、私に対して恋愛感情が無いと言っているようにも聞こえるのだけど」

 

「ん、そう言われると反論ができないな……けど堀北さんのことは魅力的な人だと思ってるのは間違いない。美人だし、頭も良いし、運動もできる。少し言葉が厳しい所もあるけど、それも可愛らしさだと思える。スタイルだって良いし、声も好きだ、力強い視線も好みだし、笑った顔も見てみたいと考えてる、他にも――」

 

「や、やめて……止めなさい!!」

 

「お、普段の調子が戻って来たじゃないか」

 

「ッ!? 揶揄ったのかしら!?」

 

「いや、交際を申し込んだのは本気なんだけど……俺も君も、まだ恋を知らないみたいだから丁度いいかなって」

 

「~~~~ッ!?」

 

 顔を真っ赤にして、悔しそうな、それでいて羞恥に染まった顔でこちらを睨みながら声にならない唸り声を聞かせてくる。視線の鋭さも戻って来たな。

 

「ふ、ふふッ……こんなこと突然言われたらそりゃ困惑するか」

 

「そ、そうね、そして貴方が思っていた以上に軽薄な人間だということがわかったわ」

 

「嫌だったかい? まぁ絶対に無理って言うんなら俺も諦めるけど。他に恋を教えてくれそうな人を探すよ。未熟者の俺を半端者にしてくれるような素敵な人をさ」

 

「……」

 

 嫌がられているようなら潔く諦めよう。恋は押し付けるものじゃないって師匠も言ってた。

 

「まぁ、堀北さんもさ、俺が相手じゃなくてもいつか恋を見つけると良いよ。それはきっと、君を成長させてくれるものだからさ。憧れを見つけて、恋を知って、しかも夢を見つけられたなら、君は無敵になれる」

 

 残っていたミルクティーを飲み干してから、空になったペットボトルを自動販売機の横にあったゴミ箱に投げ入れる。

 

「勉強会、来てくれるよね?」

 

 かなり脱線してしまったけど、そこが本題でもあったな。このまま堀北さんがやる気を無くして赤点組なんて知るかと言われてしまうと凄く残念な気持ちになってしまう。

 

「堀北さん?」

 

「……わかった、考えておくわ」

 

 そこで彼女は立ち上がって同じように空になったペットボトルをゴミ箱に入れた。

 

「笹凪くん」

 

「何かな?」

 

「……その、ありがとう、気遣ってくれて。そしてごめんなさい、勉強会では、言いすぎてしまった。あんなこと、言うべきじゃなかった」

 

「ん……須藤にも同じことを言ってあげてよ」

 

「えぇ、そうするわ……おやすみなさい」

 

「良い夜を」

 

 寮に向かって歩き出す堀北さんを見送ってから暫く、俺はようやく気になっていた気配に声をかけた。

 

「そろそろ出てきたらどうだ……綾小路」

 

「……気が付かれてたか」

 

 自動販売機の裏から姿を現したのは綾小路である。いたのはずっと前からわかっていたけど、全く出て来る感じがしなかったんだよね、いや、出るタイミングなんて無かったんだけど。

 

「君の気配は独特だからね。全く、見てたんならもっと早く生徒会長を止めたらよかったじゃないか。危うく堀北さんが投げ飛ばされる所だったぞ」

 

「無茶言うな、オレはお前やあの人みたいに動けない」

 

「そうなのかい? まぁそういうことにしておこうか」

 

「……さっきの動き、凄かったな。古武術を習ってたと言っていたが、あんなことができるんだな」

 

「貫手のことかい?」

 

 掴んだのが生徒会長の眼鏡ではなく、喉とかだったら大惨事になってたと思う。

 

「あぁ」

 

「師匠から教わったんだ、空手と違って内臓とか喉とか脇腹とか目玉みたいな、柔らかい所を引っこ抜く技なんだって」

 

「笹凪の師匠がどういう人物なのかイマイチよくわからないな」

 

「人類最強だよ、誇張表現抜きでね」

 

 戦車をひっくり返す人だしな、殴って大体のことを解決できてしまう。

 

「……というか綾小路、人の告白を盗み聞きするなんて趣味が悪いぞ」

 

「そこはすまない、まさかいきなりあんなことを言い出すとは思わなかった」

 

「確かにね、俺も悪いか」

 

「気づいてたんなら、あんなこと言わなければよかっただろう」

 

「ん、反論できそうにないな」

 

 俺もベンチから立ち上がって帰路を探す。

 

「そろそろ帰るよ、おやすみ、綾小路」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 寮に向かって歩き出そうとすると、背後から別れの挨拶をすませたばかりの綾小路がこう言った。

 

「笹凪、お前が言っていた人生で大事な三つのことだが……」

 

「ん、それがどうかしたのかい?」

 

「一つも見つけていない人間は、どうすればいい?」

 

「そんなの簡単だ、見つければ良い」

 

「……」

 

「焦る必要はないさ、俺も君も、まだ高校生だ。憧れも恋も夢も、これから知っていけば良い」

 

「そうか」

 

「そうだよ」

 

「……わかった、探してみよう」

 

 そう言った綾小路の表情は、興味深いものであった。

 

 きっと彼にも何か思う所があったのかもしれない。無表情でいつも何を考えているのかわかり辛い男ではあるが、あんな顔を出来たんだな。

 

 結論、やっぱ師匠は凄い。

 

 

 

 

 

 

 

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