少し時間が過ぎ去って週明け、そろそろ一之瀬さんへの誹謗中傷も勢いが減るかなと淡い期待をしていたのだが、そんなことにはならずにより過激になっていった頃。俺のスマホには鈴音さんからの連絡があった。
『少しいいかしら』
電話の向こうからはいつもの鈴音さんの声がして耳に届く。ただ少しだけ不安や焦燥のようなものを感じられた。ほんの僅かにだけれど。
「どうしたんだい?」
『今日の夜、一之瀬さんが私の部屋に来る。天武くんも同席して欲しいの』
どうしてそうなったのかと最初は思ったが、混合合宿から色々と交流も深まっていたらしい。それ以前にもちょくちょく関わることもあり、何だかんだで鈴音さんにとっては他クラスにいる唯一の友人と言う枠に収まっているのかもしれないな。
あの鈴音さんを他クラスの人が絆すとは、これが一之瀬さんマジックということだろうか。
「了解した、用件はやっぱりアレかな」
『そうでしょうね。一之瀬さんがどう判断するかはわからないけれど、場合によっては手を貸すこともあるかもしれないわ』
「他クラスの行動に介入するのは、避けるべきっていう考えはもちろん理解しているよね」
『えぇ、けれど、座したまま放置するのもどうかと思っているの。状況や流れにもよるけれど、どうするにせよ彼女と話しておく必要があると考えている』
「ん、俺も似たような感じかな、それじゃあ夕食を終えたらそっちに行くよ、七時だね」
『待っているわ。一之瀬さんにも貴方がいることは伝えておくから』
なるほど、電話番号まで知っているのか。四月頃の鈴音さんとは大違いである。今更だけどそんなことを思った。
時計を見てみると今は午後六時、ささっと夕食を済ませて合流することにしよう。あまり女子寮には夜遅い時間に訪れてはいけないのだが、俺の部屋に女子を招く訳にもいかないので泥を被るしかない。
まあ露見したとしても一度や二度くらいでは退学にはならない筈だ。寮監に見つかっても注意くらいで済まされるだろう。
誕生日に清隆から貰ったカップラーメンを消費して軽い夕食を済ませると、残った時間はマネーロンダリング用の作品作りに当てて時間を潰し、十分前になった所で部屋を出た。
向かう先は上階、女子寮である。まだ怒られる時間ではないとはいえ、少しだけビクビクしながらエレベーターに乗ろうとすると、丁度そこには一之瀬さんの姿があった。
「あ、笹凪くん」
「やあ、話は聞いてるよ。鈴音さんの所で話があるって」
「にゃはは、うん、こっちもだよ。それじゃあ一緒に行こっか」
少し前にあいさつした時よりも、少しだけ表情に陰りが見える。もしかしたら噂話なんて蹴り飛ばすかもと思っていたが、それなりに思う所があるらしい。
全てを蹴り飛ばして知ったことかと笑うこともできると思っているが、それはそれで簡単なことでも無いということだろう。
一之瀬さんと並んで鈴音さんの部屋の前にまでやって来てインターホンを押すと、すぐに扉は開いて顔を出してくれた。
「どうぞ。平日の夜に呼び出してごめんなさい一之瀬さん。天武くんもいらっしゃい」
「私の為に配慮してくれたんでしょ? 謝ることじゃないよ」
確かに放課後に学校で呼び出すとどうしても目立つ。こういう時間の方が密談には持って来いだろう。
そして一之瀬さん側も俺たちに話があったらしい。都合が良かったようだ。
二人で鈴音さんの部屋に案内されて向かい合う。幾度かこちらに視線を向けて来る一之瀬さんは、意を決したようにこう言った。
「さてと……遅くなったら明日に響くし、長居はするつもりはないんだけど。とりあえず、色々不安にさせる噂が飛び交っているよね」
「えぇそうね。あの噂を広めているのは誰?」
実に単刀直入な質問に、少しだけ迷いながらもこう返す。
「絶対の保証は出来ないけど、坂柳さんじゃないかな」
なるほど。彼女も一連の誹謗中傷がただの噂話ではなく、Aクラスからの攻撃であると理解しているようだ。
その上でほぼほぼ確信をもって坂柳さんだと言葉にする辺り、おそらく何らかの理由もあるのだろう。
「一之瀬さん、どうして君は坂柳さんだって断言できるのかな?」
「えっとね、それは宣戦布告されたからかな」
その言葉に俺と鈴音さんは視線を結び合わせた。これが単純な噂話ではなく他クラスの闘争であると確信したからだ。
「悪質ね。根も葉もない噂を流され、ダメージを負っているという訳ね」
「んー……それはどうかな」
「噂は否定しないのかしら」
「ごめんね堀北さん。その部分に関しては、私は答えることが出来ないの。笹凪くんと堀北さんは友達だけど他クラスの生徒。親しくはしていてもいずれは戦う運命にある訳じゃない?」
今更、とも思ったが。確かに線引きは必要なのかもしれない。俺は欠片も意識するつもりはないけど。
「無理に聞き出すつもりはない。でも、沈黙は噂を認める発言と同じと受け取られかねないわよ」
「噂を耳にしてどう受け止めるかは堀北さん、そして皆の自由だよ。でも私は今回の件に関して、過剰に反応するつもりは一切ないの。こっちのクラスをかき乱す為の坂柳さんの戦略。その唯一の攻略法は、沈黙にあると思っているから」
いや、ぶん殴って黙らせるのが一番だと思う……そんな言葉を呑み込んで俺は一之瀬さんの言葉を聞いていた。
内心はどうであれ笑顔を見せて来るので、こちらもなかなか踏み込めないというのもある。
「私が今日、堀北さんと笹凪くんに会ってこの話をしようと思ったのは、この件に不用意に足を踏み入れないで欲しいと思ったからなの。せっかく沈黙を続けても周りが騒げば、沈静化には余計な時間がかかる。何より、私を助ける為にBクラスが坂柳さんに目を付けられることだってありえちゃう。私は大丈夫だから心配しないで」
「そう……彼女はこう言っているけど、天武くんはどう思うかしら?」
彼女の意思が固い上に、反論ができるような雰囲気でもなかったので、鈴音さんは俺にパスを投げて来た。
「一之瀬さんの言葉も尤もだ。これがAクラスからの攻撃であるのならば俺たちが関わる道理はない。ましてや彼女自身が静観を望んでいる上に、坂柳さんから目を付けられるのを避けるべきだという言葉も反論ができない」
「けど――」
何か言いたげな鈴音さんの前に掌を差し出して待ったをかける。俺の言葉はまだ終わっていない。
「恐れるに足らないな」
「え?」
「いや、だからさ、坂柳さんに目を付けられても別に怖くないなって……そういう話はもうずっと前に終わってるしさ」
とてもシンプルな話である。巻き込みたくないとか言われても凄く困る話だ。目を付けられないようにだなんて、既にそんな段階は過ぎ去っているというのに。
「一之瀬さん。君が強い人だということはよくわかった。こんな状況なのに俺たちを巻き込みたくないという配慮もとても嬉しいものだ」
「う、うん」
「だがシンプルな問題をわざわざ複雑にする必要はどこにもない。とりあえず今から坂柳さんと話してくるから、このくだらない噂話はそこで終わりにさせよう」
「えッ、ちょ、ちょっと笹凪くん!?」
「大丈夫、大丈夫、なんかいい感じに着地させるから」
物事はシンプルが一番。配慮とか遠慮とかそういうのはぶっちゃけどうでも良い。重要なのは耐え忍ぶことではなく結果をもぎ取ることにある。
なので懐からスマホを取り出してさっそく坂柳さんと話そうとするのだが、俺の腕にぶら下がるかのように一之瀬さんが阻止してくる。
「もう笹凪くん話をちゃんと聞いてるかな!? 私は騒ぎ立てて欲しくないって言ったんだからね」
「応とも、もちろん聞いてた。だから騒ぎになる前に最速で終わらせようって話になったんじゃないか。坂柳さんが流している噂なら、坂柳さんに止めて貰えば良い、とても話が早い。そういうことだよね?」
「全然伝わってないよ!?」
耳に当てていたスマホは虚しくも奪い去られてしまった。プンプンと怒った様子の一之瀬さんは少しだけジトッとした目で俺を見て来る。
「もう一度言うからね。私の問題は私が片付けるから」
どうやら意思は固いらしい……なら俺が出来ることは1つだけだ。
「はいはいわかったよ、一之瀬さんは本当に我儘なんだから」
「あ、あれ、何故か私が悪いような流れになっちゃってる……」
「じゃあ代わりに小指を前に出して」
「は、小指?」
「そう、小指、ほら早く」
「……ど、どうぞ」
差し出された小指に、俺は自分の小指を絡ませる。指切りの約束だ。
「あ、あの、笹凪くん? えっと、その」
「良いかい、俺たちを巻き込みたくないという君の配慮はとても嬉しい。だからその意思を尊重しよう……けれど忘れないで、誰かに頼ることは別に恥ずかしいことでもないし、ダメなんてこともない」
結び合った小指に少しだけ力を籠める。引き千切ったりしないように絶妙な力加減で。
「君は君の思うままに戦えばいい……それでもし、もうダメだ限界だって思った時は約束を思い出して欲しい。これは俺の恩師の言葉だけどね、人は約束一つあるかどうかで大きく変わるらしいんだ」
「約束?」
「あぁ、約束さ……君が困っていたら俺は力になる。そんな約束を俺たちはしただろう?」
「えっと……」
「ほら、ペーパーシャッフルの時に」
「……ぁ」
どうやら思い出したらしい。だから今度は忘れないように指切りをしよう。もし限界まで追い詰められてしまったその時に力となれるように。
「あの時の約束をもう一度結ぼう。君がどうしようもない位に挫けてしまったその時は、俺が力になろう……もう駄目だって思ったら、この指切りを思い出してくれ」
結び合った小指を振って指切りげんまんをする俺と一之瀬さん。この約束がいつか力になれるようにと願って。
「忘れないでね」
「……うん」
コクッと、小さく頷く彼女は、忙しなく視線を彷徨わせていた。右往左往する瞳は俺であったり足元であったりと行ったり来たりしており、最終的には鈴音さんへ向けられた瞬間に、突然に小指を解いてしまう。
「ぁ……ご、ごめんね」
そしてわちゃわちゃと両手を動かして何やら慌てると、ぎこちなく体を動かしながら部屋を出て行こうとするのだった。
「き、今日はありがとう、またね」
やや強引に話を打ち切って部屋を出て行った一之瀬さんを見送って、とりあえず今日はこれで良しとしよう。本当に助けが必要になった時は向こうから声をかけてくるだろうから。
「ふぅ、一先ずは様子見かな。Aクラスの出方を観察しておこう」
「……」
「それと、学校側の出方も注意が必要だ。場合によっては生徒会なんかも出張って来るだろうしね」
「……」
「鈴音さん?」
「……」
何度話しかけても沈黙しか反応がないので、鈴音さんと向かい合ってみると、彼女は冷たい眼差しを俺に向けていた。
「軽薄ね」
「な、何故そんな評価が……不当だと思う」
「どの口が言うのかしら……許可も無く異性の体に触れるなんて、褒められた行為じゃないわよ」
もの凄い不機嫌だ……いつか桔梗さんとしたデートの後みたいになっている。
「ただ指切りしただけじゃないか」
「……それが軽薄だと言っているのよ」
「ああでもしないと、彼女はきっと自分だけで何もかもを解決しようとした筈だよ」
印象付ける為の行為であったとも言えるだろう。どうしようも無くなったら思い出せるようにと。
「ふん……だとしても敵クラスにそこまでする必要があるのかしら」
鈴音さんも一之瀬さんクラスを援護する方針だったんだよね? ここに来てそんな掌が返ししなくても良いと思うけど。
「まあまあ、一之瀬さんとの協力関係は何だかんだで必要なことだからさ」
別に同盟関係って訳でもないんだけど、それでも意味も無く敵対する必要もない相手というのはこの学校では貴重だったりする。
「あれ、それとも鈴音さん、指切りが羨ましかったりするのかな?」
「な、なにを言っているのかしら貴方は、勘違いしないで頂戴、そんな子供じみたことにどうこう思う筈がないでしょう」
「そう? 俺はこういうの嫌いじゃないんだけどね……なんかほら、青春っぽいって言うかさ」
そう、同級生と指切りとか、凄く青春的な行動なんじゃないかと思っている。俺はまた一つ高校でやりたいことリストの一つを埋めることができたのだ。
なにより約束は大切だ、結ぶ度に強くなれる気がする。
約束があればやる気に繋がるし、いざという時に力になる。いつだったか出会った少女と結んだ約束は、今でも俺の力になっているのは間違いなく、きっと彼女も同じだと思いたい。
俺との約束を果たしてハリウッド映画にも出るようになったんだ、きっと何かしらの力になれたんだろう。
「鈴音さんもする? 何か約束しようよ」
せっかくなので鈴音さんとも青春的行動を満喫したいと思い、彼女の眼前に小指を差し出すと、驚いたように目を見開く。
そしてさっきの一之瀬さんと同じように、忙しなく視線を移動させながら落ち着きがなくなっていった。よしよし、このまま不機嫌な感じもうやむやにしてしまおうじゃないか。
「何がいいかな?」
「……」
迷いに迷った結果、鈴音さんは何だかんだで小指を前に差し出してくる。
おっかなびっくりといった感じで結び合った小指は、しっかりと繋がり合って互いの熱を感じられることになった。いつか挫けそうな時にはこの温もりを思い出せるだろう。
「一緒にAクラスを目指すことにするかい?」
「それはもう、わざわざ約束するほどのものでもないでしょう」
「かもしれないね、けれど言葉にしてしっかりと約束を結んだ訳じゃないなって思ってさ。小指の約束はとても大切な儀式で、心と魂に刻み込むものだ。軽々しく扱えるものじゃないから、だからこそ改めて結んでおこうかなって」
「……そうね。まあ貴方がそこまで言うのなら、結んであげなくもないわ」
照れながらもいつもの鈴音さんらしい言葉遣いで、結んだ小指に力を込めていき、ここに改めて約束が結ばれることになった。
師匠曰く、一度結んだ約束は命に代えても果たすべし。
一之瀬さんの力になる、Aクラスを目指す、こうして小指を結んだ以上は絶対に果たさねばならない契約となった訳だ。
「改めて、一緒に頑張ろう。だから鈴音さんも力を貸してくれ」
「えぇ……もちろんよ」
よし、うやむやになって不機嫌な感じも消えてくれたようだな。それが何よりも重要であった。女の子が悲しんでいたり、怒っていたりする姿はあまり見たくはないので、これで良いのだと思う。
坂柳「合宿であれだけの醜態を晒したのに、よく生徒会長を続けられますね。感服します」
南雲「(#^ω^)ピキピキ」
こんなやりとりが生徒会であったとか無かったとか。