今日は特別な一日だ。それは男子もそうだし女子だって変わらない。なんだったらこの日を切っ掛けに交際する男女だっているだろう。男子たちはわかりやすくソワソワしているし、女子だっていつもより色めきだっている。
そんな中でも関係がないとばかりに日常を貫くのが鈴音さんである。もしかしたら彼女からもチョコが貰えるんじゃないかと淡い期待をしていたのだが、放課後になるまで何も無かったので、本当に無いんだろう。
まあこればかりは仕方がない。ねだって貰える物でもないのだ。貰えないなら貰えないでやきもきするのも青春っぽいのでこれはこれで良しとするか。
けれど鈴音さん以外からの収穫はあった。クラスの女子チームたちからも恵んで貰えたし、あまり関わりがない筈の他クラスの女子からも何だかんだでチョコを渡されたのには驚いた。
ただしどうした訳かおっかなびっくりと言うか、もの凄く遠慮がちに渡される場合が多い。平田のようにキャーキャー色めきだった雰囲気は皆無で、変な覚悟を決めたような顔で渡されてしまう。
美術部で交流のあった上級生なんかも同様だ。俺にチョコを渡すのはどこかハードルが高いと思われているらしい。強敵に挑む覚悟のようなものを試されているのだろうか。
後、美術部と言えば神室さんからもチョコを貰えた。彼女はくれないのだろうかとチラチラ視線を送っていたら、神室さんから「欲しいの?」と聞かれて「もちろんだ」と答えると、安物のチョコを投げつけられた……やったぜ。
他の美術部の先輩たちと違って、もの凄く雑な感じで投げつけられたので、そんな気安い対応がちょっと安心できてしまった。
俺はもしかしたら女子から怖いと思われているのだろうか? そうでなくともあまり踏み込めない類の人間だと認識されているのかもしれない。
そう言えば以前に波瑠加さんが言っていたな、色々とアレ過ぎて付き合うことを上手く想像できないと。
それでもチョコを渡してくれた子たちは、波瑠加さんのいうアレとやらを乗り越えた上で恵んでくれたということだろうか?
チョコを渡すのに覚悟がいる相手と思われるのは、喜ぶべきか悲しむべきかよくわからないな。
とはいえ今日はバレンタインデー、何だかんだでチョコが貰えるのはやっぱり嬉しい。これぞまさに青春であった。
「平田、大収穫みたいじゃないか」
放課後になり、今日の成果に満足していると、階段の踊り場で女子からチョコを貰っていた平田を発見したので声をかける。
すると彼は少しだけ困ったような顔をしながらも、受け取ったチョコを鞄に丁寧に入れて笑ってくれた。
「あはは……嬉しくはあるんだけど、ちょっと時期がね」
「まあ軽井沢さんと別れたばかりだから、大喜びとはいかないか」
「うん。流石にね……笹凪くんもチョコを沢山貰ったんじゃないかな?」
「君ほどじゃないさ」
実際に平田は彼女である軽井沢さんと別れたことで一気に女子からのアピールが増えた。チョコだってその一つであった。
「軽井沢さんに関してはあまり心配する必要はない。彼女も言っていたが、しっかりと次に進もうとしているからさ」
彼にそう伝えると、少しだけ驚いた顔を見せてから、安心したように笑顔を作る。
「笹凪くんは知っていたんだね。僕と彼女が付き合っているフリをしてたって」
「ああ、それを踏まえた上で、大丈夫だと言っている……平田はどうにも自分の中で色々なことを抱え込もうとするタイプみたいだからな、気に病む必要も無いぞ。軽井沢さんだけじゃなくて、クラスメイトはそれぞれ成長しているからな」
「そっか……うん、そうだね。僕のお節介もその内必要がなくなるのかもね」
「でも誤解はしないで欲しい……君のお節介は、とても尊く重要なものだって俺は思っている」
それができない人よりも、できる人の方がずっとカッコいい。正義の味方を目指す俺が否定できる筈もなかった。
「だからクラスメイトを代表して言わせてくれ、いつも感謝しているよ」
これは嘘偽りない気持ちであり、クラスメイト全員の平田への評価であり言葉である。誰も面と向かって伝えないのでオレから言っておこう。
彼はキョトンとした表情を見せてから、やはり安心したように笑ってくれた。
「こちらこそだよ。笹凪くんがこのクラスにいてくれて本当に良かったと思っているんだ……本当に、何度もそう思ったよ」
「そう言われると照れるな」
「ふふ、でも皆そう思っている筈だよ」
「だとしたら嬉しい限りだ」
この様子だと平田は大丈夫そうだな。元からそこまで心配はしていなかったが、ふさぎ込んだり落ち込んだりはしていないようだ。そもそも軽井沢さんとは偽のカップルだったので別れた所でそこまで深刻になる必要もなかったか。
「伝えたかったのはそれだけだ。これからも宜しく頼むよ」
「うん、一緒に頑張ろう」
最後に女子たちを色めき立たせるとびっきりの笑顔を見せてくれた平田は、少しだけ気が楽になったのか軽い足取りでグラウンドに向かって部活に勤しむようだった。
だがその途中でまた他クラスの女子に声をかけられてチョコを貰っていたので、放課後になってもなかなか身軽にとはいかないらしい。
そんな平田を見送ってから俺もまた寮を目指す、一旦荷物を置いてから清隆グループと合流するつもりだったのだが、その途中で足を止めざるを得ない状況に出くわしてしまう。
「……はぁ」
少し暗い顔をした軽井沢さんがトボトボとした様子で歩きながら、寮への帰路を進んでいる。それも重たい溜息交じりで。
どうやら平田よりもこっちの方が重症みたいだな。
「軽井沢さん」
「え、あ……天武くん」
「重たい溜息だったよ、どうかしたのかい?」
彼女の隣に並んで同じように寮を目指す。
「えっと……別に大したことはないけどさ」
「なるほど、清隆にチョコを渡すタイミングを見失って放課後まで来てしまったと」
「そ、そんなこと言ってないしッ」
「顔にそう書いてあったよ」
「……むぐぐ」
「ふふ。それで、渡さないのかい?」
渡せないからあんな重たい溜息だったのだろう。そう考えるとなんとも可愛らしいと思う。
「は、はぁッ!? なんであたしがアイツにチョコを上げなくちゃならない訳? 天武くん、勘違いしてるから」
「かもしれないね……あぁでも、愛里さんはきっとこの後に、清隆に渡してるんじゃないかな」
この後、グループに合流する予定なので、そこで間違いなく渡される筈だ。俺もおこぼれに預かれるかもしれない。波瑠加さんからも貰えると嬉しいな。バレンタインデーに貰えるチョコは言わば勲章のようなもの、どれだけあっても嬉しいものである。
「へ、へぇ~、佐倉さんがね……なんかさ、あの子、急に可愛くなったじゃない? イメチェンしてさ」
「あぁ」
「それってさ、やっぱり……」
その先を言葉にすることはなく、軽井沢さんは落ち着きなく視線を彷徨わせてしまう。
「その先を俺から言葉にすることはできないし、きっと意味もない。重要なのは愛里さんは間違いなくチョコを渡すっていう事実だけさ……それで、軽井沢さんはどうするんだい?」
「ど、どうもなにも……そもそもチョコなんて用意してないって」
しかし軽井沢さんは手に持っていた鞄を俺から遠ざけるかのように反対の肩に引っ掛けてぶら下げてしまう。見られたくないものでもあるかのように。
可愛らしい子だと思う。愛里さんもそうだけどどうしても応援したくなってしまうな。
俺は別にどちらの味方と言う訳でもないので、どちらにも頑張って欲しいと考えてしまう……最終的にどうなるのかはわからないが、こういう悩みや人間関係も高校生らしいと言えるので眺めている分には面白い。
「そうか、でも清隆は軽井沢さんから貰えれば、きっと嬉しいと思うんだけどね」
「そ、そうかな? いや、まあ渡す予定なんて全然これっぽちも無いんだけどさ」
「きっと泣いて喜んで土下座するだろうから、一つくらい恵んであげなよ」
「恵んであげるか……ま、まあそれなら、うん、一つくらいはね」
「あぁ、そうすると良い」
すると軽井沢さんは鞄の中にあるであろうチョコに意識を向けていく。迷いながらもしっかりと前に進もうとしているようだ。
本当に、傍から眺めている分には本当に面白い人たちである。
けれどふと、こんなことを思う……清隆の背景を知っている身としては、彼女らに先があるのだろうかと。
仮にもし上手く関係を深めて恋人になり、結ばれたとしても、その先に待っているのは学生にはどうすることも出来ない現実である。逃避行など現実的ではない。
だから彼女たちの背中を押しても良いのかという、迷いと躊躇が生まれてしまった。
「いや……考えても意味はないか」
数年先の未来を案じて高校生活ができるものかという雑な結論が出てしまう。それに最終的には卒業と同時にホワイトルームを消滅させて清隆のお父さんを再起不能にすればいいだけの話なので、難しく考える必要もない。物事はシンプルが一番である。
清隆から色々と聞いておいて、今からホワイトルームの関係者にタグ付けして細かい方針と作戦でも考えておこう。
卒業と同時に関係施設と関係者の襲撃が理想だな。まだ時間はあると思うのでゆっくりと進めていくと心に決めた。
「まあ頑張りなよ。清隆は強敵で、ライバルも多いけど」
「だ、だから誤解だし……」
「ん、そういうことにしておこう」
彼女の背中を少しだけ押すことに俺は決めた。将来の不安や面倒事は、俺が背負えば解決する筈だ。正義の味方がそれくらいできなくてどうするのだという結論だった。
「あ、清隆だ」
「うぇッ!?」
寮のロビーまで移動すると、都合よく清隆の背中が見える。同時に特徴的な黒いロングヘア―の鈴音さんの姿もあった。二人はエレベーター前で話し合っているようだ。
ここからでは上手く会話は拾えないが、清隆がなにやら鈴音さんを挑発しているようにも見えるな。
「ほら、軽井沢さん。清隆にチョコをあげ……いや、恵んであげなよ」
前に押し出すように彼女の背中を押すと、遂に観念したのか覚悟を決めて軽井沢さんは清隆に近づいていくのだった。
後は二人の問題だ。どうなるにせよ頑張って欲しいと願うしかない。
寮のエレベーターに近づいていくとあちらもこっちに気が付いたのか、清隆は鈴音さんの背中をやや雑に押してしまう。
「ち、ちょっと綾小路くん……」
「もう言い訳は十分だ、チョコなんて誕生日プレゼントを渡すのと変わらないだろ。面倒だからさっさと終わらせてくれ」
何とも不思議な光景であると思う。俺は軽井沢さんの背中を押して、清隆は鈴音さんの背中を押している……うん? どういう状況だ?
そうなると必然、向かい合うのは背中を押された軽井沢さんと鈴音さんである。彼女たちもどうしてこうなったと言いたそうな顔をしていた。
「天武」
「清隆」
「堀北が渡したい物があるそうだ」
「軽井沢さんが渡したい物があるみたいだよ」
「「……ん?」」
全く同じタイミングで似たようなことを言った俺たちは、同じように首を傾げてしまう。
どうしてこんな状況なのかはわからないが、つまりお互いに背中を押している相手と話さなければならないらしい。
なので俺は軽井沢さんを清隆に押し付けて、代わりに鈴音さんを受け取ることになる。当然ながらあちらは軽井沢さんを受け取った。
まああちらは清隆に任せても問題はないだろう。目の前にいる柳眉を逆立てている鈴音さんに比べれば些細な問題なのだから。
「え~っと……鈴音さん、どうしたのかな?」
「別に、どうもこうもないのだけれど……綾小路くんが似合わない世話を焼いて来たのよ」
少しだけ視線を彷徨わせてそう言う彼女は、先ほどまでの軽井沢さんと同じように鞄の中にある何かに意識を向けているようにも思えた。
「そうだ、鈴音さん。ちょっと俺の部屋まで来てくれないかな。君に渡しておきたい物があるんだ」
せっかくの機会なので俺も彼女にある物を渡しておこう。バレンタインデーに男から渡すというのもアレなのだが、明日渡しても今日渡しても大差がないだろう。
「あ、貴方の部屋に?」
「あぁ、少し散らかってるけどね」
清隆と軽井沢さんは寮のロビーに放置して、俺と鈴音さんはエレベーターに乗って部屋へと向かう。
女子生徒の部屋に男子が向かうと時間によっては罰則があるのに、逆だとそれが無いらしい。そう考えると気楽に呼べるような気がするな。
俺の少し後ろを歩く鈴音さんがやけに静かだったので振り向いて確信してみると、あちらもこちらを見つめてみたのか視線が結び合うのだが、気まずそうに逸らされてしまう。
なんだか今日の彼女は変な雰囲気だな。怒るでもなく苛立つでも無く、とても不安定で心配になってくる。それでも俺の部屋まで付いてきてくれたが、こんなことならちゃんと整理整頓しておけばよかったと今更ながら後悔してしまった。
「どうぞ、さっきも言ったけどちょっと散らかってるけど許して欲しい」
扉を開いて中に入ると、まず香木の匂いが漂ってくる。同時に僅かな線香と絵具の匂いも。
少し奥に入るとそれはもう様々な作品が待ち受けており、正直私室と言うよりアトリエのような感じになってしまっている。大半がマネーロンダリング用の作品であるが、中には完全に趣味で作った作品も混じっていた。
「確かに散らかっているわね……絵画に彫刻に、これは3Dプリンターかしら。よくもまあ部屋をここまで狭く出来たものだわ」
「本当にごめん、これでも一応は片付けているんだけどさ」
俺の部屋の惨状に、感心したような呆れたような顔をする鈴音さんは、作品を崩したり踏みつけたりしないように奥に進み、どこか落ち着きなく用意した椅子に座った。
「何か飲むかい? ご要望は?」
「え……そうね、コーヒーを頂けるかしら」
「お任せあれ」
幸いにも台所へ続く道は常に確保している。無数の作品が作る道を通っておもてなしの準備を進めるとしよう。
ただ凝った物ではなく手軽な奴であるのでそこまで手間でもない。待たせるのも悪いので手早く済ませよう。
「きゃッ!!」
なんだか鈴音さんらしくない可愛らしい声が台所に届く。
「どうかしたのかい?」
「い、いえ、ごめんなさい……この小物が気になって、つい」
小物なんて山ほど作ったからどれかわからないな。チェスの駒とか小さな彫刻とかだろうか。
「あの、崩れてしまったのだけれど、これはどうすればいいかしら……」
「あまり気にしなくていいよ、雑に置いておいた俺が悪いからね」
実際に俺も何度か崩壊させたことがあるので彼女を責めることはできない。そろそろ本当にこの作品たちを外に放出しないといけないだろうな……次から輸出を増やそう。
もしかしたら南雲先輩が俺の資金力を警戒してポイントの会得方法を調べ、面倒な圧力をかけてくるかもしれないから、次が最後と考えて一気に引っ張って来ることも考えないといけない。目立たないように小分けにしようと思っていたけど、億単位のやりとりはもうどうしたって目立つから開き直るしかないな。
24億は1つの目安ではあるが、急にポイントを求められる展開や作戦運用に必要になってくることもありえるので、あるだけ引っ張ってくるとしよう。
そしたらこの部屋も少しは片付く筈だ。鈴音さんを招いてもドンガラガッシャンと何かを崩す音だって広がらない筈だ。
「はい、お待たせ。ミルクと砂糖はお好きにどうぞ」
「ありがとう……それと、ごめんなさい」
コーヒーとミルクと砂糖を持って台所からリビングに戻ると、そこでは鈴音さんが崩してしまったと思われる小さな作品たちが崩れて散らばっているのが確認できた。チェスの駒だったり、小さな仏像だったり、変なオブジェだったりと色々だ。
元々、いつ崩れてもおかしくないくらいに雑に固めて積んでいたので、なるべくしてなったと表現すべきだろう。きっと明日には俺が崩していたのかもしれない。
「いいさ、少し散らかっても今更だろうしね」
そろそろ本当に片付けないといけないだろうな。
鈴音さんにコーヒーカップを渡して砂糖とミルクは作業台の上になんとか置くことができた。小さな小物を雑に横に避ければとりあえずそれ位のスペースが作れたからだ。
お互いにコーヒーを飲んで落ち着いた段階で、ようやく本題を切り出すことが出来るようになる。
「それで鈴音さん、さっき清隆が言っていたことなんだけど」
その言葉に彼女は僅かに緊張を高めた様子となってしまう。不機嫌とかそういったものではなく、どちらかと言えば照れているようにも見える。
「はぁ……この程度のことでいつまでも迷うなんて私らしくもないわよね」
「まだ本題は言葉にしていないけど……確かに君らしくはないのかもしれないね」
「綾小路くんの柄にもないお節介も困ったものだわ」
「そうだね、困ったものだね」
「……」
「……」
最終的に俺と彼女は見つめ合って無言になってしまう。そんな沈黙に耐え切れなかったのか、鈴音さんは遂に鞄の中に手を入れて小包を取り出した。
「天武くん……チョコ、欲しいかしら?」
「もちろんだとも」
「そう、でも軽薄な貴方はどうせそれなりの数を貰ったのでしょうね」
「でも鈴音さんからは貰っていないよ」
「一つ二つあれば十分でしょう」
「貰えないと寂しい気分になってしまうよ……まあ君はこういったイベントごとにあまり乗るタイプにも見えないから、仕方がないとは思ってたんだけどさ」
でも男だからね、どうしても期待して浮かれてしまうんだ。許して欲しい。
「そ、そう……寂しいとまで言うのなら、考えてあげなくもないわね」
なるほど、どうやら鈴音さんは自分のキャラに合わないことを理解しているらしい。確かに彼女がバレンタインデーにチョコを贈るというのはどこか似合わない。
その自覚があるからなのか、チョコを出し渋っているらしい。俺は凄く嬉しくて欲しいチョコだけど、それを手に入れるには鈴音さんが渡してくれる言い訳作りが必要なのかもしれない。
「欲しくて堪らないよ!! 鈴音さんが恵んでくれるのなら凄く嬉しいからね!!」
気が付くと俺は気合を込めて言い訳作りをしていた。鈴音さんがチョコを渡しやすいように下手になって要求するのだ。バレンタインデーにチョコを貰えるという状況に男は逆らえないらしい。
「ふ、ふふ……わかった。そこまで言うのなら、恵んであげましょう」
鞄の中から取り出された小包は俺に手渡された。小さな物ではあるがなんだか見た目以上に価値があるように思えた。言ってしまえば交渉の末に手に入れた戦利品とも言えるからな。
「ありがとう……凄く嬉しいよ」
ちゃんと用意していてくれたのか、ならもっと早く恵んで欲しかったと言うのはきっと野暮なんだろう。
「日頃の感謝を忘れるほど、薄情ではないつもりよ……チョコくらい用意するわ」
「うん、鈴音さんが優しい人だというのは知っているよ」
「……そういうことを面と向かって言うのは、止めなさい」
褒められ慣れていない彼女はこういう言葉に弱い。ここ一年ほどの付き合いで俺はそれをしっかりと理解しているのだ。
「まあ貴方は、貰いすぎて不要かもしれないけれどね」
あれ、ほっこりとした雰囲気がいつの間にか険悪な感じになっている。さっきまで照れていた鈴音さんはムスッとした顔になっていた。
これは拙いな。彼女が照れる言葉もここ一年ほどでしっかりと理解できたのだが、不機嫌になる様子や言葉だってしっかりと理解できている。このまま流れに身を任すと鈴音さんは機嫌を悪くするとわかってしまった。
こういう時は、この前の指切りのように、完全に不機嫌になる前に行動に移すのが重要である。それもまたこれまでの付き合いで理解したことであった。
俺はすぐさま台所に移動して、冷蔵庫の低温保管室に置いてあったお高めのチョコの詰め合わせを取り出すと、それを素早く鈴音さんに手渡すのだった。
「天武くん、これは何かしら?」
「チョコレートだよ」
「貴方が私に?」
「外国だと男から贈り物をするのもおかしくないらしい。それに、誕生日プレゼントでもあるんだよ、これは」
「え?」
「本当は明日渡すつもりだったんだけど、良い機会だから今ここで渡しておこう。バレンタインデーの一日後みたいだからチョコにしてみた」
「知っていたのね……私の誕生日を」
一月一日に誕生日プレゼントを贈られた時に、そう言えば鈴音さんの誕生日はいつなんだろうと考えて、堀北先輩に教えて貰ったのだ。
「日頃、交流があるんだ。無視するほど薄情ではないさ。一日早いけど、誕生日おめでとう」
どうか不機嫌よ消え去れと願いながらチョコレートと一緒にそう伝えると、予想通り鈴音さんは少しだけ照れた顔を見せてくれる。つまり狙い通りである。
「色々と考えたんだけど、鈴音さんは小物とかアクセサリーよりも、こういう消え物が良いかなって思ってね」
鈴音さんは唇をモニュモニュと動かして表情を怜悧に保とうとしているようだが、それでもどうしても顔つきは緩んでしまうようだ。
堀北先輩の様子だと、誕生日に何かしらの贈り物なんかもしていないだろうし、鈴音さんにとっては下手したら数年ぶりの誕生日プレゼントかもしれない。いや、ご両親から何か貰っていたのかもしれないけれども。
よしよし、感触は悪くない。これなら不機嫌になることはないだろう。
「チョコ、苦手だったかな?」
「そんなことないわよ……その、どう伝えれば良いのかよくわからないの……でも、えっと……ありがとうと、そう言っておくべきなのでしょうね」
「喜んでもらえたのなら光栄だ」
「でも、少し悔しいわ……こんなことされると、出し渋っていた私が馬鹿みたいに見えるんじゃないかしら」
照れたり、ムスッとしたり、喜んだり不機嫌になったり呆れたりと、鈴音さんは本当に感情表現が豊かになったと思う。四月頃の彼女をつい思い出してしまうな。
彼女と知り合ってもう十カ月近くになろうとしている。色々とあったけれども、まだまだ先があるんだろう。
一年後、二年後にはどうなっているだろうか? それこそ卒業する時にはどんな人になっているんだろう。
未来はわからないが、このまま彼女が成長していってくれるのは、とても嬉しいことだと言うのはよくわかった。
きっと、彼女の成長を眺めている俺もまた、同じように人として成長していけるだろうから。
師匠曰く、武人としても、人としても、まだまだ未熟とのこと。だからこそこの学園での交流や縁は、とても尊いものであると俺は考えている。
色んな人がいて、色々なことを教えてくれるのだ。もうすぐ一年になるけれど、人の数だけの縁と、縁の数だけの成長を得られるのだという考えを持てるようになった。
卒業する時には、武人としても人としても、せめて一人前になりたいものだ。