「香水と香木」
色々と起こって、色々な何かが変わってしまったあの日を越えて、今は日曜日。気を使ってくれたクラスメイトと一緒にケヤキモールで遊んで、少しだけ皆の優しさに甘えてしまう。
私がやってしまった過去の罪をクラスメイトたちに告白して受け入れてくれた。
過去は変えられない、そして時間は寄り添ってはくれない。だからどれだけ苦しくても進んで行かなければならないとあの男の子は教えてくれて、小指に残った熱を思い出す度に立ち上がれるのだと思えるようになった。
本当に、色々なことが変わってしまったんだと思う。胸の奥にある苦しみも、甘い熱も、あの日を境に生まれている。今まではこれが何であったのかよくわからなかったけれど、今は違うんだろうね。
以前はそこまで気にならなかったお化粧品だったり、流行の服やオシャレだったりが気になりだして、前髪の形が普段よりも気になったり、そんな些細だけれど確かな変化もある。
不思議だ。あんなに辛かったのに、胸の奥はこんなにも熱くなってしまうなんて。
そんな小さくも大きな変化を感じ取った私の視線は、吸い寄せられるようにケヤキモール内にある女性向けのショップに向けられてしまう。
以前ならあまりポイントは無駄遣いできないと通り過ぎていたその場所も、今では足を止めてしまうのだから、やっぱり何かが変わってしまった。
「帆波ちゃん、何か気になるの?」
「え……うぅん、そうじゃないけど」
一緒に遊んでいたクラスメイトの網倉麻子ちゃんが、私の視線を追って同じように女性向けショップにあるオシャレグッズを眺める。
「あ、でもこれとか可愛いかも」
「え~、こっちの方が良いって」
そして皆の意識がショップに向けられると、どうしても興味や好奇心が伸びてしまうもの、こればかりは女の子なので仕方がない。
私もよくわかるよ、やっぱり綺麗でありたいって思うもの。
アクセサリーだったり、普段は使わないお化粧品だったりを眺めて、実際にお試し品などを手に取ってみたりしていると、あっという間に時間が過ぎ去っていく。
こういう時間は大切だって、改めて思うな。
「ねえねえ帆波ちゃん、香水とか興味あるかな? ほら、色々あるみたい」
「香水かぁ、付けたことないかも……あ、でも星之宮先生はよく付けてるよね」
「ちょっとキツ過ぎるくらいに……あ、これオフレコでお願い!!」
麻子ちゃんの言葉に皆が耐え切れなかったのか、小さな笑い声を漏らす。言葉にこそしないけれどクラスメイトたちは同じことを思っているみたい。
「まああそこまで匂いがキツイのはどうかと思うけど、ちょっとくらいなら良い変化になるんじゃないかな。こういうのに男の子はドキっとするって雑誌に書いてあったし」
「普段とは違う香りにってこと? いやいや、匂いを意識されてもさぁ」
「え~、馬鹿に出来ないと思うけどなあ」
興味の対象はお化粧品から香水に移っていく。私もお試しの品を一つ取って少しだけ掌に付けてみると、爽やかなシトラスの香りが広がった。
「わぁ、良い匂い」
「あ、帆波ちゃん、それ気に入ったの?」
「うん。あんまりこういうのに詳しくないけど、凄く良いかも」
「シトラスかぁ、それも良いよね」
思っていたよりも肌と感覚に合っていたのかな、私は皆と同じようにその香水を購入するのだった……少し前の私には考えられない行動だなあ。
まだショップの中でああでもないこうでもないと、女の子らしく盛り上がるクラスメイトたちを微笑ましく思いながら眺めていると、私の視界の隅っこに思わず視線を引きつける存在感のある人が映る。
「……ぁ」
そして自然と吸い寄せられて、意識もしていないのに爪先も向いてしまう。
「ん、あれ、一之瀬さん……奇遇だね」
「う、うん。笹凪くんもお買い物?」
ケヤキモールの通路を歩いていたのは笹凪くんだった。両手にビニール袋を持っており、中には沢山の食材が入っている。どうやら買い溜めを行っていたらしい。
女性向けショップから購入したばかりに香水が入った袋を持って出た瞬間に、笹凪くんも私を認識したのか声をかけて来てくれる。
穏やかな視線を受けると頬が熱くなり、耳朶から染み込みような独特の声色を感じ取ると、胸の奥に変な締め付けを感じ取ってしまう。
「気が付いたら冷蔵庫が空っぽでね。チェスで負けたから腹ペコ小僧に新しい料理を作らなきゃダメなんだ」
クスクスと笑いながら両手に持ったビニール袋を見せつけて来る笹凪くんは、口調こそ困ったものだと言いたげだけど、少し楽しそうな雰囲気がある。
よくわからないけど、チェスで負けたから誰かに料理を振る舞っているのかな? 笹凪くんの手料理……手料理……え、誰か食べるんだよね、それ。
「一之瀬さんも買い物かな?」
笹凪くんが視線を女性向けショップの店内に向けると、そこにいるクラスメイトたちを見て微笑ましそうな顔をしてくれる。
「うん、女子はこういうことに興味深々なんだよ」
「そうらしいね。俺は流行やオシャレには疎いけど、大事なことだっていうのはわかるよ……あれ、もしかして買ったのは香水かな?」
「え、どうしてわかったの」
「少しだけシトラスの香りがしたから」
お試し品の中から使ったシトラスの香りに気が付いたみたいだ。もしかしたら嫌いな匂いなのかな……。
「お試し用を少しだけ使ったんだけど、よくわかったね」
「鼻が良いのかもね」
単に鋭いだけだと思う。これくらいだと気が付かない人も多いだろうから。
「女の子は凄いね。男にはちょっと香水は敷居が高いよ」
「男の子でも付けるのは変じゃないと思うけど」
「そういうものかな、ウチのクラスは俺も含めてその辺は疎くてね」
「ああでも、笹凪くんが香水をつけてるのは、ちょっと想像できないかもね……なんていうのかな、いつも木の匂いがするから、これだって認識されてるしね」
私は何を言ってるのかな……これだといつも笹凪くんの匂いを気にしてるみたいに聞こえてしまう。
「木の匂い……彫刻用の香木の匂いか、なるほど。自分じゃわからないけど俺ってそんな匂いがするのか」
良かった、気持ち悪いとは受け取られていない。本当に良かった。
「もしかして不快かな?」
「そ、そんなことないよ!? 暖かくて、安心できるし、凄く良いと思うッ!!」
あの夜、部屋から去った笹凪くんが残した木の匂いに胸の奥が凄く満たされたんだから……いや、だから私は何を言っているんだろう、これじゃあ変態みたいだよ。
「なら良かった……しかし香水か、そう言えば師匠もよく使い分けていたっけな」
最後の方が囁くような声だったからよくわからなかったけれど、笹凪くんはどこか懐かしむような顔をしていた。
「笹凪くん、どうかな……シトラスの香水なんだけど」
「ん、良いと思うよ。爽やかでキツ過ぎないし、オシャレに疎い俺にも良い物だってわかる」
「そ、そっか……良かった」
「しかし、俺も香木の匂いよりも、そっち方面に気を遣うべきなのかな」
「それは、どうかな……私は、嫌じゃないよ」
今も、正面にいる笹凪くんからは、香木とシャンプーとボディソープの匂いが混ざった独特の香りが僅かにだけど感じ取れる。香水を付けるときっとそれは感じ取ることができないんだと思うと、少しだけもったいない気分になってしまう。
「笹凪くんは、そのままが良いと思うな」
「そっか、不快にさせていないのならそれでいいか」
不快なんてことはないよ。凄く安心するし、心地いい香りだもん。
胸の奥がキュッとなって、だけどポカポカとした温もりを与えてくれる、不思議な香りだった。
それはきっと、香水よりもずっと、何かを変えてくれる香りなんだと思う。
「あ、そうだ。笹凪くんに渡したい物があったんだ」
今日のお買い物には、これを購入する目的もあったことを思い出す。鞄の中から取り出したのは可愛らしいリボンが結ばれた小包、チョコレートだ。
「その、沢山心配させちゃったり、これまでもことあるごとに相談に乗って貰ったり、謝罪と感謝と色々混ぜ合わせちゃうけど……良ければ受け取ってください」
「チョコレートかな? ありがとう、甘いものは大好きだからとても嬉しいよ」
「本当は、バレンタイン当日に渡せれば良かったんだけど……」
「チョコはいつ貰っても嬉しいものさ」
クスッと、頬を緩める笹凪くんは、チョコを受け取ってくれて……その瞬間に自分でもびっくりするくらいに、心臓は高鳴っていた。
「実は少し後悔している」
坂柳理事長の蟄居、それに伴う後任の人選に組み込まれ、上手くその座に滑り込むことが確定した私は、一応は部下という形になっているので綾小路さんの指示の下、この学園の理事代理となることが確定した。
指令は幾つかあるのですが、どれもこれも簡単なことではない上に、綾小路さんがどこまで本気であるのかもわからないのが現状。上司と部下という関係ではあるものの、そこに確固たる信頼関係があるとは断言もできないので、互いに汲み取るということもない。
高度育成高校、ここはあの方にとって敵地、不倶戴天の敵と定めた存在が運営する場所、いずれは国家の頂点に立とうという野望を持つ人間にとっては邪魔な場所でもあり政策でもあるのでしょう。
そんな場所の弱点や弱みを握ることもまた私の仕事の一つ、おそらくそう長い間を理事として手腕を振るえる訳ではないこともわかっているので、彼の退学というよりもそちらに重きを向けるべきなのかもしれない。
もう一つの仕事は、綾小路清隆の退学ということもありますが……こちらはどうでしょうね、どこまで本気なのかハッキリとしません。今、綾小路さんに必要なのは時間でしょうから。
第一にこの学園の、そしてこの学園をバックアップしている政敵の情報を得ること。綾小路清隆くんの退学に関してはそこまで真剣になる必要もないでしょう……無論、ホワイトルームとは異なる方向性の負荷をかける方針もありますが、それらは最優先という訳でもありません。もしそれで退学してしまったとしてもそれはそれで良し、どちらに転ぼうと大差はない。
何であれ請け負った仕事はしっかりとこなす、それが社会人であり大人です。たとえ汚れ仕事であろうとそれは変わらない。
それに良いと思いますよ。東京湾にコンクリートで固めた誰かを沈めるような仕事よりも、まだ楽なのですから。少なくとも彼に目を瞑れば。
「月城代理、こちらが理事長室になります」
「ありがとうございます」
「何か必要なものがありましたら発注をお願いしますね。物によっては学園の外から持ってこなければならないので、少し時間もかかるでしょうが」
「えぇ、そうしましょう。ああそれと、職員室に挨拶に伺いますので教員の方々に通達をお願いします」
「わかりました」
私を新しい職場である理事長室に案内した教員の一人は頭を下げて部屋を出ていく。残された私は一先ず革張りの椅子に腰を下ろした。
あまり合いませんね、椅子は新しい物を注文しましょうか。
そんなことを考えながら机の上にあるパソコンを起動して中を検めますが、以前にこれを使っていたであろう坂柳さんは綺麗に情報を処理している様子、あまり期待はしていなかったので別に驚きもない。
まず最初に引っ張りだすのは生徒の情報、1年Bクラスの情報を閲覧するとアイウエオ順に並んだ名前の中から綾小路清隆の情報を拡大する。
「ふふふ、随分とまあ」
身長体重、教師からの評価、所有しているポイント、これまでの成績、それら全てを確認していくと、思わず呆れてしまった。
ホワイトルームに残されていた情報と齟齬が大きすぎる。かなり力をセーブしているようですね。どの成績も平均よりは上回っているようですが、彼の本気は全く反映されていない。
それでも何か片鱗のような物を感じさせる辺り、上手いというべきなのかもしれません。入学当初は不自然に50点で揃えられていたテストの点数も、今では80点前後で散らしている辺り、普通の学生というものを学んでいるということなのだろうか。
彼を退学にできるかどうかで言えば、どちらでも構わないで片付いてしまうので、ある程度は放置で良いでしょう。
こちらの干渉を乗り越えるならば良し、乗り越えなくてもそれはそれで良し、寧ろ問題となるのは次の生徒であった。
「こちらは……綾小路清隆くんとは別の方向性ですね。実力と数字がまるで噛み合っていない」
次にパソコンの画面に拡大するのは笹凪天武の情報。学力、身体能力、これまでの成績、それらを高校基準の数字に押し嵌めてなんとか表現しようとしているようですが、四苦八苦しているのがよくわかる。当たり前のことですが一般的な物差しでどうにかこうにか測ろうとした所で意味はない。
ここは少し特殊ではあるものの、人間用の教育機関。ゴリラを測れる筈もないということでしょう。
成績は最高位、身体能力も同様、それ以外の項目も軒並み高い。けれどそれはあくまで百点満点が限界であるが故の弊害と言えるのかもしれません。仮に基準の上限が1000点であれば、また違った数字で表されるのでしょうね。
「どうして学生がこんな大金を持っているのやら」
次に保有しているプライベートポイントの額に視線が吸い寄せられる……意味がわかりませんね、ふざけるのもいい加減にして貰いたいものです。
ざっと情報を漁ってみると、どうやら学園の外から美術品の売却で得た資金を引っ張って来ているようですが、果たしてどこまで事実なのやら。
おそらくはそんなヘマはしないと思いながらも、一応は何かしらの粗探しができるかもしれないので、彼の取引先の会社を調べておきましょうか……ここまで大胆にやっている以上はおそらくツッコミどころは出て来ないでしょうけど。
「干渉の邪魔になるのである程度は資金を削る必要が……いや、やり過ぎれば躊躇なく私を消しにくるのか?」
それが笹凪天武……特殊戦力七号の一番面倒な所であった。彼は物理的に逮捕や排除が困難な身体能力で、法や立場や権力を無視して我を押し通そうとしてくる人間だ……失敬、ゴリラでしたね。
この学園には無い、笹凪天武ではなく特殊戦力七号のレポートは私も回覧しましたが、出した結論が「敵対しない」であることからも、その異常性がよくわかる。
普通は逮捕や法権力を恐れるものですが、物理的に拘束が不可能なので国も基本的に放置している。それどころか報酬を与えて動かしてすらいる辺り、本当に面倒な相手だ。
一度でも彼がその気になれば、おそらく私の首は引きちぎられて体は東京湾に沈むことになる。その後に彼は退学になるでしょうけど、国や警察は捕まえることはないので自由となり、そうなったら最後ホワイトルームも消滅することになってしまう。
いい加減にして欲しいですね。特殊戦力、つまりは超人連中の相手など、一般人である私にさせないで貰いたい。
綾小路清隆以上に、下手したら気を使わなければならない相手であった。この学園は彼をホワイトルームに近づけさせない為の檻とでも思っておきましょうか。
「見極めるべきは……どこが怒りのラインなのか、でしょうか」
彼が何に怒り、苛立ち、その拳を振りぬくのか、それを見極めなければならない。つまりは地雷がどこにあるのかを調べる必要があった。
下手に踏みつけて東京湾に沈められるのは避けたいので、彼が許すギリギリのラインを知らなければならない。例えば資金を削ったり、或いは生活に干渉したりなど、方法はいくつか思い浮かんだ。
そうやって彼がどこまで理性的でいられるのかを理解しなければ、学園に干渉している間に知らずに地雷を踏み抜くことも考えられる。そうなると政争相手の弱点を調べるという第一目標は達成できない。
理想を言えば、彼とは不可侵条約でも結んで互いに不干渉が好ましいのですが……。
「……無理でしょうね」
それくらいのことはわかる、アレの本質はゴリラであって人間ではない。もし煩わしいと感じたら必ず私に殴りかかって来る、それも躊躇なく。実際に私はそうなってしまったのだから。
これから先、ゴリラに気遣いながら仕事をすることになる……言葉を飾らないのであれば、憂鬱な日々であった。
「しっかりと見極めなければ」
彼が理性を保つライン、踏み越えてはならない何か、それを理解するのはおそらくは楽な仕事ではない。
「とりあえずは資金を削りましょうか、それで激怒しないのであれば、一つの目安にはなるでしょう」
気分は地雷地帯での行進である。踏み抜かないようにしながら学園に干渉して情報や政敵の弱点を得る。いつどこで爆発するかもわからない物を足元に感じながらだ。
綾小路さん、私をここに放り込んだこと、言葉にこそしませんが恨んでいますからね……。
私はゴリラの監視員ではない。
「もしかしたらこんな未来もありえる?」
『あの英雄病の大馬鹿はそっちに帰ってるかッ!?』
衛星通信端末からは、そんな大声が響いていた。またかと思いながらもオレは静かにこう返す。
「いや、まだ帰って来てないが、何かあったのか?」
『こっちの段取りを全部無視して暴れた挙句、何もかもぶん殴って台無しにしやがった』
「いつもの天武じゃないか」
『段取りがあるつっただろうが!! こっちはこっちでしっかり交渉して来たっていうのにあのゴリラがッ!! 何が全員殴れば平和になるだ、しかも後はこっちに丸投げしやがった!!』
「落ち着け龍園、よくあることだろ……それよりも、文句だけを言いに来た訳じゃない筈だ、報告を頼む」
『チッ……とりあえず騒いでる馬鹿どもは全員アイツが黙らした。こっちは現地の有力者を口説いて暫定政府を立ち上げる』
「つまりは予定通りなんだな」
『あのゴリラが何もかも更地にした以外はな』
「戦う人間と兵器が無くなれば戦争は続かないだったか……いつか天武が言ってたな」
『実際にそれをやるのは馬鹿だけだ……はぁ、まあいい。綾小路、とりあえずありったけの人と物を引っ張って来い、高円寺にも声をかけとけ』
「了解した、何が必要だ?」
そんな言葉に、通信端末の向こうにいる龍園は大きな溜息を吐いた。
『十年近くダラダラとくだらねえ理由で内乱やってた国だ、ありとあらゆる物が足りねえ……人に物にインフラ設備、テメエの伝手とあの馬鹿の資金を使ってあるだけ用意しろ――石崎、アルベルト、お前らは残った馬鹿どもが実権を握らねえように監視しとけ!!』
通信端末の向こうでは随分と忙しそうな声や様子が広がっている。龍園は苦労しているようだが……まあ慣れているので問題はないだろう。
天武に振り回される人生である。アイツに捕まった時点で苦労する運命となってしまったんだろう。
そんなことを考えながら衛星通信を切ると、執務室の扉が開いて龍園を激怒させていた張本人が姿を現した。
高校の時からあまり変わらないその様子に、寧ろ安心したまではある。
「いや~、疲れた疲れた」
「龍園が激怒していたぞ」
「彼が怒っているのはいつものことじゃないか、それにやるべきことはやったから問題はないよ。後は彼がなんかいい感じにやってくれるって、初めてのことでも無いんだしさ」
「ピースメーカーそのものなんて呼ばれてる男だからな、アイツは」
「いつ聞いてもそのあだ名は龍園には似合わないよね」
クスクスと笑う天武は、執務室のソファーに座って体を休めていた。
「随分とボロボロだな」
「いや、なんか滅茶苦茶強い人があそこで暴れてたからさ、苦戦したというか……死にかけたっていうかね」
「お前をそこまで追い込むほどの相手だったのか?」
天武の体には包帯が巻かれており、激戦を物語っていた。
「俺よりも明らかに強かったね……でも最後に立ってたのは俺だった」
天武よりも強い? 高校生の頃よりも遥かに強くなって、もう人間の形をしているだけのよくわからない何かとなっている天武より? ちょっと想像できないな……相手はキングギドラだったのだろうか。
「そうか、一応、しっかりと医者に診て貰え」
「骨折くらいなら三日くらいで治るんだけど」
「どれだけ人間を辞めていようが医者は必要だ、行ってこい」
「了解」
「それと、報告もしっかり頼むぞ」
「わかったよ。国連事務次官殿……いや、来月には事務総長だっけ?」
「あぁ、何か知らない間に出世してた」
「つ、強い……」
何故かドン引きした様子の天武は、ソファーから立ち上がって血が滲む包帯を隠すようにコートを羽織った。
「報告は後で書類に纏めて送るよ。でもちょっと待ってて欲しいかな。せっかくこっちに帰って来たんだし、結婚記念日も近いからさ」
「そうだな、ゆっくりしておけ……ただ、ある程度落ち着いたら龍園をしっかりと手伝ってやれ」
「ん、了解」
天武は機嫌よく鼻歌を奏でながら執務室を出て行こうとする、その背中を見ていると、ついこの間に舞い込んだ話をすることを忘れていたことに気が付く。
「そうだ、天武」
「何かな?」
「ピースメーカーが平和賞の候補に挙がっていたぞ」
「マジで?」
「それに相応しいとのことだ。まあ幾つかの紛争を終結させた訳だからな」
「ノリと勢いで作った団体だったけど、そこまで行くとは驚きだ」
「おそらく高い確率でお前たちが選ばれる、代表は誰にする?」
「じゃあ龍園で」
「……アイツが平和賞か」
邪悪な笑顔を浮かべた龍園の顔を思い浮かべる、あまりにも似合わない。
けれど現実的にそうなる可能性が高いので、何とも言えないな。
後日、ピースメーカーと名付けられた団体は下馬評通り平和賞を授かることになった。幾つかの紛争を終結させて、その後の復興もスムーズに済ませたという功績でだ。
Mr平和製造機なんて呼ばれることもある龍園が代表として受け取ることになり、テレビでその瞬間を見ていたオレと天武は笑いを堪えることができないのだった。
「はッ!? ゆ、夢か……」
意味不明な夢を見て俺はベッドから飛び起きる。あまりにも勢いがあったので、部屋の至る所に積み上げられていたいマネーロンダリング用の作品たちまで振動が伝わったのか、ガラガラと崩壊してしまうのだった。
「変な夢を見たな」
うなされていたのか、じんわりと汗をかいてしまっている。
崩壊した作品たちを一つ一つ積み上げて行って何とか通路を作ると、深呼吸を繰り返す。
そして落ち着いてから夢の内容を思い出して、俺はあまりにもありえない展開に思わず苦笑いを浮かべてしまった。
だってあの龍園だぞ? この世で一番平和賞を貰っちゃダメな男だろうに。
何故かイラッとしたので、俺はスマホを取り出して龍園に電話をかけるのだった。
『なんだ笹凪、こんな朝早くに……今何時だと思ってやがる、ゴリラには常識がねえのか!!』
ほら見ろ、口を開けば悪態ばかりの男である。絶対に平和賞を授けちゃいけないタイプだろう。
「龍園、君が平和賞だなんて……世も末だよ」
『おいゴリラ……何の話をしてやがる』
「君は君のままでいてくれ、似合わない真似なんてしないまま」
『おい、だから何のはな――』
通話を切って俺はスマホの電源を落とす。そしてまだ登校には早い時間であったので、もうひと眠りすることに決める。
次は意味不明な夢を見ませんように、そんなことを願いながら瞼を閉じると、深い眠りに落ちていくのだった。