一年最後の特別試験が行われることが発表された翌日、クラスメイトたちはそれぞれが来るなら来いとでも言いたげな顔つきでその時を待つことになるのだが、俺としては坂柳さんから齎された情報の方が気になっていた。
ホワイトルームからの刺客である可能性が高いその人物が、学園を指揮する立場になったというのなら、正直に言わせて貰えば最悪だと思う。
「天武、昨日のメールのことなんだが」
清隆も同じ気持ちなのか、登校のする前に寮のロビーで待ち受けていて、開口一番にそう言って来た。
とりあえず校舎へ歩きながら、昨日坂柳さんから聞いた情報を改めて共有することにしよう。
「坂柳さんが言うには、お父さんが停職してしまって、代わりにその立場に就いた人が送って来たんじゃないかって推測していたけど」
清隆はその言葉に考え込む。
「ありえなくはない、か……仮にもしそうだったとしたら、少し面倒なことになるだろう」
「だね、それこそあることないことでっちあげて退学とかしてくるなんてことも……」
「否定はできないか」
「どうしようか?」
「その人物の出方次第だ。水面下で動くのか、それともなりふり構わず大胆に動くのかで、こっちの対応も変わって来るだろうしな」
「現状では様子見しかないかぁ」
「坂柳にそんなメールをしてきたんだ。今度の特別試験で、何かしら介入してくる可能性もある」
「まだどんな試験なのかわかってないけど、心構えだけはしておこうか。来るとわかっているのと、完全な不意打ちではまた違うだろうしね」
「ああ、その通りだ」
下駄箱で靴を履き替えて自分たちの教室に入ると、いつも通りの光景が広がっていた。鈴音さんはホームルームが始まるまではいつも読書をしていて、池や須藤や山内は何やら盛り上がっていて、平田は相変わらず色々な人に気遣っている。
教室に入ってすぐに明人と啓誠の二人と目があったので清隆と一緒に挨拶をして、その流れで波瑠加さんと愛里さんとも話す。いつも通りの、日常とさえ言ってもいい程に繰り返した朝の時間であった。
クラスメイトたちもそれは変わらない。いつも通り仲間内で話して、くだらないことで笑い合ったり、次の試験はどんな物になるのかと緊張していたり、様々だ。
もう一年近い付き合いになるけれど、来年も同じような時間が続くことになるんだろうな。気の良い奴らばかりなので大切にしたいと思う。
当たり前の日常を、当たり前のまま継続させる……それが難しいことだとより実感したのは、朝のホームルームが近づいてきて茶柱先生が深刻な面持ちで姿を現した時である。
茶柱先生は眉間に皺を寄せ、いつも以上に鋭い視線と雰囲気で教壇に手を置き、俺たちを見つめて来た。
「あの、何かあったんですか?」
そんな担任教師の様子を感じ取った生徒たちを代表して、平田がそう訊ねる。
だが茶柱先生は沈黙だけを返す。そのまま暫く時間が過ぎ去って、いよいよ生徒たち只事ではないのではと思い始めた頃、遂に先生は言葉を発した。
「……お前たちに、伝えなければならないことがある」
その雰囲気でわかってはいたが、どうやら深刻な事態が待ち受けているらしい。
「一年度における最後の特別試験が、三月八日に始まることは昨日伝えた通りだ。この特別試験を終えることで、二年生への進級を完了とする。通例の話だ。しかし今年は。去年までとは少しだけ状況が異なる」
「異なる、ですか」
平田の言葉に茶柱先生は頷いた。
「本年度は一人も退学者が出ていない。この段階まで進み、退学者が出なかったことは、この学校の歴史上これまで一度もなかったことだ」
「それって、俺たちが優秀ってことですよね」
調子に乗った訳ではなく、池が確認するようにそう訊くと素直に認められることになる。
「そうだな。それは学校側も認めているところだ。通常、これは喜ばしいことと言えるだろう。我々学校サイドとしても、一人でも多くの生徒が卒業してくれることを願っている。しかし、それでも予定と異なるという点では、問題を孕んでいると言わざるを得ない」
この人にしては随分と遠回りな言い方をするな……つまり、それだけ深刻な問題ということか、それこそ教員レベルを飛び越えて何かが起こったかのような。
「茶柱先生」
「笹凪、どうした?」
「どうやら事態は深刻なようですね。ですが言葉を選んでも状況は変わらない筈です……本題に入りましょう」
「……そうだな、その通りだ」
手に持ったチョークが黒板を滑っていく、そこには追加の特別試験を挟みこむ情報が書き込まれてしまう。
同時に、この嫌な感覚の正体を何となく掴んだ。坂柳さんから齎された情報と、ホワイトルームからの刺客という言葉がこの状況にガッチリと噛み合ったからだ。
清隆も俺と同じことを思ったのか、後ろの席に座る彼は俺の襟首付近を少しだけ引っ張っている。警戒しろと言わんばかりに。
特例で、追加の試験を差し込んで来る。その事実にクラスメイトは当然ながら驚いていた。
「ええッ!? なんですかそれ!! 追加の特別試験とか最悪じゃないですか! ていうか退学者が出なかったからって追加でやるなんてガキみたいじゃん!!」
こればっかりは池の言葉が全面的に正しいだろう。一切の反論すら出て来ない。
だが、茶柱先生の様子を見る限り、教員レベルではどうしようもない話なのだろう。
「お前たちが不満に感じるのも当然だ……しかし、これはもう決定事項だ。受け入れろ」
更に黒板に情報が書き込まれていく、追加の特別試験の内容が。
「特別試験の名称は……クラス内投票だ」
まさかこのタイミングで選挙でもする筈もなく、学級委員長を決める筈もない。そして退学者が出なかったから行われる試験であることから、かなり嫌な予感が膨れ上がっていく。
「特別試験のルールを説明する。お前たちは今日から四日間で、クラスメイトに対して評価をつけてもらう。そして賞賛に値すると思った生徒を三名、批判に値すると思った生徒を三名選択し、土曜日の試験当日に投票する。それだけだ」
それで投票を受けて笑って済ませられないのは、茶柱先生の様子を見ればわかってしまう。
特別試験の説明はそのまま続いていき、この場にいる全ての者を黙らすには十分な内容であった。
何よりも目を引くのは批判票を最も多く集めた生徒は、退学になってしまうという項目である。逆に賞賛票を集めた生徒にはプロテクトポイントが与えられることになるらしいが、今はそこはどうでもいい。
批判票や賞賛票、その運用や結果はあまり重視しなくていい。後で考えるとして、最も重要で大切な話がある。
俺は試験の内容に動揺を隠せないクラスメイトたちを代表して、茶柱先生にこう訊ねた。
「先生、この試験では必ず、絶対に退学者が出るんでしょうか……救済の方法はありますか?」
あると言ってくれ、言ってくれない場合、俺は今から退学を受け入れて新しい理事長の所に行くから。
そう言えば東京湾が近いな……他意はないけどそんなことを思った。後、ホワイトルームは埼玉にあるらしい。別に関係はないけどそんなことを考えてしまった。
茶柱先生も、きっとその話をしたかったのかもしれない。さっきから俺に視線を送って来ていたからだ。この人は俺が持っているポイント量も把握しているので、その視線の意味もわかる。
「ある」
ああ良かった、俺の頭から東京湾とホワイトルームが遠ざかっていく。これなら俺が退学してまで元凶に殴り込む必要も無いだろう。話がわかるようでなによりであった。
「お前はもう察しているようだが。批判票を集めて退学することになった場合も、プライベートポイントを支払えば取り消すことができる」
「額はどれくらいですか?」
「2000万ポイントだ」
安いな……いや、安くはないけれども。財布の中に億単位のポイントがあると、楽に感じてしまう。
だがこれで安心できる。既に俺の中ではこの特別試験は終わったも同然であり、プロテクトポイントをどうするかという話になっているからだ。
前向きに考えるとするか、これは2000万でプロテクトポイントを購入する試験なのだと。
ならば与えるべき相手は一人しかいない……清隆だ。
おそらく俺の後ろの席にいる清隆も同じことを考えているだろう。そして既に結論を出している筈だ。
「そ、そんな額無理に決まってるじゃないですかッ!?」
「それ以外に退学を回避する方法はないと断言しておこう……後は全てお前たちが決めることだ」
池の言葉を最後まで冷静に受け止めて、茶柱先生は俺に視線を送ってから教室の隅にある教員用の椅子に座ってしまう。
ザワつくクラスメイトたち、困惑と動揺と、忍び寄って来る恐怖、同時に試験の内容を考えれば隣にいる人物が自分に批判票を入れるのではと考えてもしまう筈だ。
疑心暗鬼になる前に、動く必要があるな。この試験はプロテクトポイントを購入する試験であると知らせなければ。
椅子から立ち上がると、その瞬間にクラスメイト全員の視線がこちらに向く。それを一身に受けると、集中力を深めて俺は師匠モードに移行した。
そのまま教室の前、教壇と黒板の間に立ち、先ほどの茶柱先生のようにクラスメイトたちを眺める。
「全員、傾注」
言うまでもないことだが、一応は伝えておこう。困惑も同様も、全て吹き飛ばしてこちらに集中できるように。
「これから、この特別試験について話し合う」
誰かが喉を鳴らした音が聞こえて来るかのようだ、それほどに静謐な教室には、師匠モードになった俺の言葉だけが広がっていく。
全員がこちらの主張を待っていて、或いは誰の名前を口にするのか……具体的に言えば誰を退学にさせるのかを怯えながら構えているのかもしれない。ここでもし、俺が口にした名前が退学の筆頭候補になってしまう位には、俺の発言力があることくらい皆わかっているのだろう。
「まず、最初に――――」
「待って欲しい!!」
だが静寂を破ったのは平田であった。焦りと動揺を隠さず、それどころか彼らしくない困惑すら混ぜ合わせた表情で立ち上がり、言葉を遮った。
「笹凪くん……今から、誰を退学にするのか、指名するつもりなのかい?」
そんなつもりは欠片もない。金で解決できる問題は簡単なのだから深刻になる必要もなかった。
「いや、違う」
「えッ……いや、でも」
「そんなことをするつもりは欠片もない。平田、お前らしくもないな、何をそんなに焦っている」
「本当に……退学する人を指名するんじゃないんだね?」
「不安か?」
「そ、それは、当然だよ……こんなことで、クラスメイトが争うなんて」
全くもってその通りだ。学校側もかなり酷なことをしていると思う。高校生に何をさしているんだここは、色々とアレな所はあっても教育機関だろうに。
「そうか、だがとりあえず座れ、そして俺の話を聞け」
平田は不安そうな顔をしながらも、ゆっくりと脱力して椅子に腰を下ろす。
「皆も不安に思っているだろう。当たり前だ、俺もここまで舐められて腹が立っている……だが今更文句を口にしても意味が無いのならば、この試験を堂々と乗り越えるしかない」
必要なのは力だ、そして付いて来いと言えるだけの存在感だ。
後ろに続く誰かに、この背中を見せつけることもまた、誰かを率いる者の仕事であり責任でもある。
「まず、全員安心しろ」
教室を右から左へ見渡していく。全員の不安と緊張を解すように。
「お前たちの前には誰がいる」
ここまでの実績が、功績が、態度が、実力が、未来を証明してくれる。
この人に付いていけば安心だ……そう思わせるのもまた、俺の仕事でもあった。
「そうだ……俺がいる」
いつだってそうなるように振る舞って来た。それが俺の役目だと理解していたのだから。
「俺はこのクラスから退学者を出すつもりはない。2000万ポイントを払って必ず救済しよう……不満は?」
ざっと教室を観察すると、こちらの言葉に安堵している者が大半だ。しかし疑問に思っている者もいる。
「啓誠、不満か?」
「いや、そうではない。その考えや言葉は正直ありがたくもある……だが、現実問題として、どう工面するつもりなんだ?」
「あ、でも、私たちのクラスはAクラスから毎月結構な額を貰っているよね? 天武くんが管理してるんでしょ?」
啓誠の言葉を桔梗さんが繋ぎ、そう言えばそうだったと何名かが思い出したような顔になった。
「それでも、2000万ポイントには足りないわ……クラス貯金を集めても変わらないし、仮にクラス中から追加で集めるとしても、届くかどうか」
そして鈴音さんは頭の中で算盤を弾いているらしい。確かにAクラスから毎月百万ポイントが支払われているが……正確にはいたが、それでも現在は一千万にも届かないくらいである。毎月行っているクラス貯金を合わせても届かない。クラス中から集めてもおそらくは足りない。誰も彼もが霞みを食って生きている訳でもないのだから。
ひっそりと契約が打ち切られたことを知っているのは清隆と俺だけである。表向きは今も支払われている形だ。これから入って来るポイントは俺が払うことになるというか、そういう風に偽装することになっている。
「そこに関しては問題ない。今回の件に関してはAクラスからのポイントは使わないし、皆から徴収することもないからだ」
「どういうことかしら?」
鈴音さんはどれだけ計算してもポイントが足らないことをわかっている。その上で問題ないと言った俺を不安そうに見ているな。別に借金をするつもりもないさ。
「Aクラスから流れて来るポイントはここでは使わない。今後、必要になってくる試験で使おうと思っている……そもそも2000万には足りないから、無意味な数字だ」
「それなら、どうするつもりなんだい?」
教室の中で最も不安そうな顔をしている平田の言葉に、安心させるように穏やかな口調でこう返す。
「俺が個人的に集めたポイントを充てる……2000万全てだ」
すると教室には別種の驚きと困惑が広がっていく。いきなりそんなことを言われても困るのはよくわかる。
「そういや、何か笹凪は滅茶苦茶ポイント持ってるって噂があったような」
「山内、その噂は事実だ。俺は今現在、2000万ポイントを払えるくらいの額は持っている」
「マジで!?」
「なので、この試験に関してはそこまで心配する必要はない。誰が批判票を集めて退学になったとしても、こちらで救済することをここに宣言しよう」
力強いこちらの主張に全員が困惑や動揺を萎めていき、安心と余裕が生まれて来るのが見ていてわかった。どうやら俺の言葉を信頼してくれているらしい、それくらいの実績は積み重ねて来たということだろう。
「だから発想を変えよう。これは誰を退学にするかの試験じゃない、俺がプロテクトポイントを購入するだけの時間なのだと……簡単だろう?」
「おぉ、それなら楽勝だな!! さすがゴリラ様だぜ!!」
もう安心だと思ったのか山内が調子に乗り出した。それに続くように池や須藤も同様だ。しょぼくれた顔よりはずっと良いと俺は思う。ああいう賑やかしもまた集団の中には必要なのだから。
「笹凪くん、本当に救済できるんだね?」
「応とも、つまらん嘘をこんな場所で吐くものか」
最後の最後まで動揺と困惑を消すことの無かった平田であったが、俺がそう伝えると急激に脱力して背もたれに体を預けるのだった。
らしくない様子ではあるが、とても安心しているようなので問題はないだろう。必要なら後で話でも聞くとしよう。
「具体的な内容を詰めておくぞ……と言っても、お前たちに俺から何か指示することはない。再度繰り返して宣言するが、誰が退学者になろうとも俺が必ず救済する。なので賞賛票も批判票も、それぞれが好きな名前を書けばいい。こちらからは何も強制はしない」
「え、それで良いの?」
軽井沢さんはキョトンとした顔をしている。
「さっきも言っただろう。この試験は俺がプロテクトポイントを購入する為だけの時間だ。何も複雑に考える必要はない……あぁ、だが他クラスへの賞賛票に関してはこっちで預からせてくれ、場合によっては交渉に使える可能性もあるからな」
「そっか……あれ、じゃあもう試験は終わりってこと?」
「その通り……試験は既に終わった。俺たちは一年最後の試験に向けて進むだけだ」
すると軽井沢さんは勿論のこと、クラスメイト全体に安心感が広がっていった。皆内心ではこんな滅茶苦茶な試験に怯えていたということだろう。
気持ちはわからなくはない。俺だって似たようなものなのだから。
「俺からは以上だ。もう一度説明するが、各々批判票も賞賛票も好きに書いて投票してくれ。他クラスへの賞賛票に関しては他クラスの動きがわかってから指示することになると思うからそのつもりでいて欲しい」
師匠モードでそう言い終えると、俺はクラスメイトたちの安堵を感じ取りながら席へ戻っていく。一つの後ろの席にいる清隆とアイコンタクトを交わしてから、授業が始まるのを待つことになるのだった。
こうして急遽刺し込まれたこの特別試験は終わることになる。俺にとってこの試験は内の問題ではなく、外の動きの方が重要なのかもしれないな。
なにせ坂柳さんからの情報では、今この学園のトップがホワイトルームからの刺客であるらしいので、何が何でも清隆にプロテクトポイントを取らせなければならないだろう。
とりあえず交渉だな。他クラスの賞賛票を引っ張ってこないといけない。
いや、これは言い訳か……俺はただ他のクラスに2000万を押し付ける理由と動機が欲しいのだ。その為の賞賛票の買収である。
授業が終わったらすぐに動くとしよう。ダラダラとこんな試験を続けてはいられない。
月城「よし、まだ私の首は繋がってますね……彼はこれくらいなら怒らないと、意外に寛容なようで何よりです」