自室へ戻る。
部屋にアマルの姿はない。
おそらく礼拝に行っているのだろう。彼女がいないことに、ほっとする自分に気づき、咎めるように溜め息を吐く。
椅子に腰かける。
目を閉じて考える。異邦人……ペレグリヌスとしての存在意義。アマルとの関係。静代が求める夢の続き。全てが繋がっていた。
そうであるならば、俺がいた場所とこのストーンハーストも繋がっていたのだ。だから、俺はここに来ることができた。
(……でも、関係ないかもしれない。俺がここに来た理由も偶々で、ペレグリヌスという言葉もそのまま異邦人という意味しかないかもしれない。そこに特別な意図なんて、ないかもしれない)
……ヨハンナが言ったようにこれはあくまでも捉え方のひとつでしかない。それが事実とは限らない。そもそも、夢分析など酷く曖昧で、根拠として乏しい。そんなこと理解している。
(―――それでも尚、俺がそう思わざる得ないのは)
俺の双子の妹、静代の存在が居たからだ。
そこまで考えて、髪を乱暴に撫で付ける。そのまま手を顔に伸ばして、目を覆う。視界が真っ暗闇に包まれた。
あえて、今まで踏み込まなかった俺の、安藤隆としての過去、静代との関係を振りかえなければならなかったからだ。
もう、置いてきたと思っていた。
村を出て、静代を亡くし、たった独りになったときから、故郷の両胡村に全て置いてきたと、そう思い込んでいた。ーーいや、正しくはそう思っていたかった。
……だが、違った。
置いて行ってなどいなかった。
そうだ。付いてきている。
それどころか、すぐ後ろに迫っていた。
ひたりひたりと、過去が今の自分を静かに追いかけてきていたのだ。だから、遠ざかることはない……決して。
ただ、俺はそれに気付かない振りをしていた。
ソレが俺のすぐ後ろに這い寄っていると知りながら……。
***
……両胡村。
甲信越地方の深い山々に隠された地図にも載らないような場所。俺の生まれ育った故郷。
静代と俺の関係を語るには、両胡村での俺たちの立ち位置を説明しなければならない。そして、それには俺の生家である「安藤家」が深く関わってくる。
両胡村において最も大きな力を持つ安藤家。その理由は、安藤家が代々村の祭事を取り仕切る神官としての役割を担っていたからに他ならない。
安藤という苗字は、元々「安堂」と漢字があてがわれていた。どういう経緯かは知らないが、安堂は後々に安藤と書かれるようになった。
「堂」という言葉は神仏などを祀るための建物のこと、そして「安」は、やすらかという意味を持っている。安堂は「神を祀る場所をやすらかに鎮める者」、詰まるところ神官の家系であることを指しているのだ。
そんな安堂……いや、安藤家の次期当主が俺、安藤隆だった。
ああ、それこそ俺が故郷を出た理由でもあった。
俺は次期当主という立場が我慢ならなかった。……いや、正しくは次期当主として
何故ならそれは現代において、決して許されることではない社会通念に反した行いだったからだ。
俺と静代がいてはじめて完成される行い。その根本は俺たちの名前からも分かる。
村を「隆」盛させるために、神を「静め/鎮め」、次「代」に繋げる。生まれた時から、俺たちはそうすることを求められていたのだ。
それを俺は拒み、村を捨てることを選んだ。
でも、静代は違った。
受け入れ、それどころか望んでさえいた。
そして、俺がいつか必ず帰ってくると信じ、俺を夢見ながら最後まで待っていたのだ。あの真っ暗な場所で命を終えるまで……終えてからもずっと。
そう考えると、ストーンハーストに来る切っ掛けは、間違いなくあの時の声なのだろう。
―――置いて、いかないで。
村を出る時に聞こえた俺を引き留める静代の声。
あれは彼女を置いて村を去った過去の俺に、そして亡くなった彼女を置いて前を向き歩いて生きていく、そう告げた今の俺に向けられた言葉だったのだ。
「夢の続きを見たい」と白昼夢の中の静代は俺にそう言った。続きとは、おそらく俺と静代が行うはずだったことに対してなのだろう。そして、その夢の続きは、ストーンハーストでペレグリヌスたる俺が求められている役割に通じる。
そう……両胡村で俺たちが行うはずだった役割に。胸を押さえる。どくりと、心臓が騒いだ。死にたくなるほど痛みに悶絶する。
耐えるために唇を強く噛む。
生暖かいドロリとした血が滴る。
錆びた鉄の味が口に広がった。
記憶を濁して、必要とされた行いを忘れようと、忘れたいと願った。それ故、安藤家に関わる歴史とその役割を切り離し、ただの妹としての静代の姿だけを残した。
その役割の内容を口にすると、胸に鋭い痛みが走る。
願ってはいけない。
叶ってはいけない。
許されてはいけない。
だって、俺たちは、俺たちは兄妹なんだ。静代、それでも尚、お前は夢の続きを望んでいるのか。
「静代、それほどまでお前は俺を……ッ!」
俺はその先の言葉を紡ぐことができなかった。言葉を出してしまえば、彼女の
ああ、と息を吐き出す。
吐き出した息をもう一度吸って、そうか、と納得した。
このストーンハーストは、「聖者の牢獄」であると同時に、「生者の牢獄」でもあったのだ、と。
もう二度と逃げないように、もう二度と置いていかせないように、閉じ込め鎖で繋ぐ牢獄、それがこのストーンハーストなのだ。
「だから、お前は俺をここに喚んだな。静代……なあ、そうなんだろう?」
静寂。
答えは返って来なかった。
瞳を閉じる。
そして、空を仰いだ。
壁に阻まれ、見ることはできない空を仰いだ。
―――