聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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花言葉を教えて

 

 

 

 

 真っ白な花が視界一杯に広がる。

 

 くるりくるり。

 

 風が吹き、花が踊った。

 

 空は高く、どこまでも澄んだ青。

 

 降り注ぐ柔らかな日溜まりの中に幼い俺たちはいた。

 

「兄さん、兄さんっ。まだですか? もうできますか?」

 

「……ん、あともうちょっと」

 

 そわそわと身体を揺らして、静代は俺の手元を覗き込む。その仕草は子犬じみていて、とても可愛らしい。思わず笑みが溢れた。

 

 視線を戻す。

 

 2本の白詰草を交差して巻き付ける。その作業を幾度も続ける。余った茎は隙間に詰めて、形を整えていく。丁度良い長さになったところで円を作って、1本の白詰草で結ぶ。

 

「静代。ほら、できたぞ」

 

「わぁ、兄さん、ありがとうございますっ!」

 

 白詰草の冠を掲げると、静代は手を叩いて、興奮ぎみに頬を染めた。そこまで喜んで貰えると、途方もない偉業をなし遂げたような誇らしい気分になる。照れ臭さを誤魔化すように、俺はそっと静代の頭に冠を被せた。

 

「……兄さん、似合いますか?」

 

「うん。似合うよ」

 

「本当ですか?」

 

「もちろん」

 

「ふふっ、嬉しいですっ!」

 

 そう言って、少女は立ち上がった。そして、大胆にくるりくるりと舞う。

 

 

 ーーー純白の世界。

 

 

 それは優しいお伽噺のような光景だった。暖かい空気も、境界線がない空の彼方も、眩しい笑顔を浮かべる少女も、全てが夢かとみまう程美しい。

 

 ああ、と頷く。

 

 そうだ。これは、夢なのだ。

 それでも。それだからこそ、泣きたくなるぐらい綺麗なこの世界をずっと見続けていたい、そう心の底から願った。

 

 覚醒/暗転。

 

 落ちる。

 

 落ちている。

 

 地面を、空を。ずっと、ずっと。どこまでも。

 

 音も聞こえず、ただ何もない真っ暗闇の中を落ち続けている。終わりがあるのか。それとも、これが始まりなのか。意識が薄れていく。(安藤隆)という存在が呑まれていく。

 

 

「……ねぇ、兄さん。白詰草の花言葉を知っていますか?」

 

 

 静寂が少女の声に打ち破られた。救いを与えるように優しく手を引かれる。驚く暇もなく、抱き締められる。強い抱擁に、息ができなくなる。自身の苦し気な浅い呼吸音が耳に入った。

 

 

「幸運。信仰。約束。それから――ーー」

 

 

 くるりくるり。

 

 

 白い花が視界を舞う姿を幻視して、俺はそっと瞼を閉じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――目を覚ました。

 

 

 起き上がって、胸に手を当てる。

 

 一定のリズムを刻む鼓動。呼吸に会わせて上下する肺。生きている。俺はここにいる。そう他人事のように心内で呟き、苦笑する。なんて、馬鹿らしい。起き抜けにそんなことを確かめずにはいられない自分が、何とも滑稽で救いようもない。

 

 頭を振って、無駄な意識を取り払う。ベットから出ようとして、机に飾られた白詰草の冠が目に入った。

 

「…………白詰草」

 

 ぽつりと、声を漏らす。

 

 静代は白詰草が好きだった。

 

 春が訪れると決まって、畦道に咲く白詰草をつみに行った。村の皆が桜の開花を喜ぶ中、静代は小さな白詰草の開花を何よりも喜んだ。

 

 俺も静代に付き合って、毎年白詰草を見に行った。その度、静代は俺に白詰草の冠や指輪が欲しいと強くねだったっけ。いつも控えめで大人しい性格のあの静代が、である。そんな妹のささやかな願いを叶えるために、俺は必死に編み方を覚えることになったのだ。

 

 そう言えば、一度静代にどうしてそんなに白詰草が好きなのだと聞いたことがあった。

 

 その時、静代は何と言っただろうか。

 

 確か……花言葉が好きだから、と答えていたように思う。可愛いや綺麗といった返事を想像していたので、少し驚いたことを覚えている。

 

 外見よりもそこに込められた想いを大切にする。静代はそんな少女だったのだ。

 

「……んっ、あんでぃさま?」

 

 名前を呼ばれて、白詰草の冠をから目を離す。

 

「アマル、起きたか」

 

「うーっ、えへへ、あんでぃさまだぁ」

 

 ふみゃふみゃと覚束ない口調で、俺の名前を呼ぶアマル。いつもの凛とした面持ちは姿形もなかった。安心しきって、仰向けで日向ぼっこをする子犬みたい。アマルは朝に弱い。弛緩した身体を労るように撫でて、頬にかかった銀髪を優しく払ってやる。

 

「おぁーようっ、ございましゅ」

 

「……しゅ? ああ、うん。おはよう」

 

「んー、んふふ、んんっ」

 

 腕を引っ張られ、布団に寝かせられる。待ってましたとばかり、首元にこれでもかと頬ずり。アマルの毎朝のルーチンであるマーキング。とりあえず、アマルの気が済むまで抵抗せずそれを甘受する。

 

「アマルは、白詰草(クレー)の花言葉を知ってるか?」

 

「……えっと、ハナコトバ、ですか?」

 

 きょとん、とした表情。

 ああ、そうか。この時代にはまだ花言葉という概念がないのか。

 

「……いや、何でもない。そう、何でもないことだ。忘れてくれ」

 

「うー、あんでぃ、さまぁ」

 

 不安そうに眉を下げるアマルの頭に掌を置いて、ゆっくり撫でる。大丈夫だ、とアマルへ呟く。そして今度は、大丈夫だ、と自分自身に呟いた。

 

(―――私のものになって、か)

 

 それが白詰草の花言葉。

 

 静代が俺に白詰草の冠や指輪をねだった理由。

 静代が俺に向けた精一杯のメッセージ。

 

 俺はアマルに向けて、泣きたいと思いながら笑った。

 

 

 

 

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