キラキラと朝日が輝き、木々は風で揺れている。優しい木漏れ日。澄んだ空気。なんて気持ちの良い朝なのだろう。
心うかれて、スキップしたくなる。……しないけれども。そんなことを考えながら歩いていると、前方に人影が見えた。その人物は黒いベールを目深に被り、大きめのロザリオを首からかけている。
「おはよう、ヨハンナっ!」
俺のかけ声に彼女、ヨハンナ・スコトゥスは微かに首を傾けた。
「ああ、黒殿か。相変わらず、朝から無闇やたらと元気ですね。おはようございます」
「……あのな、お前もっと素直に挨拶できないのかよ」
「私はいつも素直ですが?」
「ちょっと何を言ってるのか分からないですね」
ヨハンナは苦笑した。
それから、細まる両眼。
ふっ、と息を吐く音が聞こえたかと思うと、一瞬で間合いを詰められていた。
「……なら、分からせて差し上げるとしよう」
躊躇せず、軽やかな動きで―――俺の耳を引っ張った。
「あだ、あだだ、ちょ、ヨハンナ、耳を引っ張るな!悪かった! ヨハンナは素直、間違いなく素直、とんでもなく素直っ!」
「っ……ふふっ、あはは……ん、んん、こほん。なら、良いのです」
笑いをこらえようと、取り繕うように咳をひとつつくヨハンナ。俺はどこか幼げな笑い声に、ただただ驚いていた。
(ヨハンナ、こういう顔をできたんだな)
「……黒殿」
そんな俺の様子に気付いていない彼女は、直ぐに耳から手を放してくれた。そして、労るように耳朶を優しく擦る。
「強くしすぎましたか?」
「あ、うん。大丈夫」
「そうか」
ヨハンナは頷いて微笑む。その表情はひどく柔らかい。まるで口の中ですぐ溶けてしまう砂糖菓子のような面持ちだった。
「いつもそういう顔をしてたら良いのに」
「……そういう顔とは?」
きょとん、とヨハンナは瞳を瞬かせた。
「ーーーーっ」
俺は思わず自分の口を手で塞ぐ。かあぁ、と頬が熱くなる。言葉にするつもりなんてなかった。心の中だけで呟かれるはずだったそれは、容易く口からこぼれ落ちていた。
「な、何でもない」
「むっ、何でもなくはないだろう。……何か困り事ですか?」
「いや、全然。これっぽっちも困っていない。大丈夫、マジ大丈夫!」
「マジ……? また良く分からない言葉を使って、誤魔化すのは止めて頂きたい。さあ、怒らないから白状しなさい」
「いや、それ絶対怒るやつじゃん」
「それは、まぁ内容にもよるが……」
「なら、言わない」
「……何故、怒られる前提なのだ。たわけ」
眉をひそめて、本当に困ったお方だと呟かれた。そんなかわいそうな人を見る目は止めろ。心が死ぬ。
「全く強情だな貴殿は……いや、良いでしょう。別段私もそこまでして貴殿を問い詰めたい訳ではない。だが、ひとつだけ言わせてもらおう。どうか、私に遠慮してくれるな。私は貴殿が心配なのです」
「ヨハンナ……?」
「どんなに辛くて、苦しくて、悲しくても貴殿は……貴方は平気だと笑う」
そこまで言って、ヨハンナは手を伸ばした。
「――そうして、誰も居ない場所に身を潜め、声を殺して泣くのでしょう?」
頬に彼女の手が触れた。掌は少し固いが、とても温かい。じんわりと、ヨハンナの体温が俺の肌に溶けていく。その温かさは彼女の人柄を表しているようだった。
「……それはこっちの台詞だっての」
ヨハンナに聞こえない程の声音で呟いて、彼女に聞こえていたら良いのに、と相反することを思った。
その手で終わらせる役目を担っていると理解しながら、救いたいと心の底では思っている。消えぬ罪悪感に苛まれ、たった独りで苦しんでいる癖に、それでも尚俺を助けようとしてくれている。それはどこまでも献身的な自己犠牲だ。
頬から手が離れていく。温もりという残り香だけがそこに残った。それを何故か、寂しいと感じた。手を伸ばして彼女の手を取る。
「ヨハンナ」
「はい」
ヨハンナは頷いた。だから、俺は言葉を続けた。
「お前も俺に遠慮するなよ」
俺はいつも彼女の温かさに、不器用な優しさに救われている。だから、俺も彼女にとってそうありたいと思うんだ。
「……はい」
「なら、良い」
お互い言葉足らず。でも、それで十分だった。
「なぁ、ヨハンナ。良い朝だな」
「ええ、そうですね。青空が綺麗です」
「今日は1日ずっと晴れるかな?」
「貴殿が望むなら、きっと晴れが続くでしょう」
ヨハンナは空を仰いだ。
「……私もそう願っています」
ハレルヤ。
彼女はそう言って十字を切った。
俺も十字を切り返して、空を見上げた。
数分そうして、ヨハンナと名前を呼んだ。真剣な俺の様子を感じ取って、彼女も真顔で俺を見詰めてくる。
「――それはそうとして、晴れるとハレルヤを掛けて言ってるのか? ちょっと、センス的にどうかと思うぞ」
無言で耳を強く引っ張られた。
でも表情は怒るどころか、笑っていた。それがあまりにも無邪気な笑みだったから、もう一度いつもそういう顔をしていたら良いのにと思った。
……そうさせてあげたいと思った。