貴方が私に微笑むたびに、私の心は祝福に満ちていました。日の光は優しく微睡み、空はどこまでも澄んでいた。私は白い花々に包まれ、約束された未来を夢見たのです。
いつしか花は散り、貴方はここを去った。
絶望は暗闇を呼び、もうなにも見えない。
貴方がいない悪夢がやってきた。
私は悲嘆の歌を口ずさみ、春の訪れを願う。
枯れた花冠を胸に抱いて、在りし日の残影を夢見ているのです。
貴方が再び戻ってくるまで。
貴方が微笑んでくれるまで。
……私はずっと、ずっと貴方を待っています。
***
「なあ、ヨハンナ。お前、最近どんな夢を見た?」
修道院へと続く畦道を一緒に歩きながら、何とはなしにヨハンナへ問いかけた。彼女は立ち止まり、怪訝そうに俺を見詰める。
「……どうしたのですか。突然そのようなことを言って」
「いや、何となく」
そうですか、とヨハンナは顎に手を添えて瞳を細めた。
それはどこか迷うような仕草だった。幾ばくか沈黙を重ね、小さく溜め息を吐く音が聞こえた。
「……悪夢を見ました」
「悪夢?」
「燃え盛る炎。視界を塞ぐ煙。助けを求める人々の声。そして――ーー」
そこまで話して、ヨハンナは口をつぐんだ。一拍置いて曖昧に微笑む。あまりにも不自然な笑みであったが、俺はそれを指摘する余裕はなかった。何故なら、その夢は俺が以前見た悪夢に相違なかったからだ。ぞわりと総毛立った。
どくり。
どくり。
どくり。
何かを求めるように脈動する心臓を右手で抑え鎮める。いきなり何を昂っているんだ。
「悪夢とは言っても、ただの夢ですから何も問題はありません」
「うん、そうか。ならいいんだけど……」
「黒殿、案ずるな。私は大丈夫だ。悪夢を見ても、それが私を侵すことはない……決してな」
ヨハンナは事も無げに答えた。その声音に後ろめたさを感じない。おそらく、真実なのだろう。しかし、彼女の言葉は、まるで悪夢が自身を害さないと確信しているような口振りだった。かねてから、そういうものなのだ、と。
「黒殿、そのような顔をするな」
余程情けない顔をしていたのだろう。彼女は俺を見て苦笑し、大丈夫です、またそう繰り返した。
(……情けないな、俺)
俺はヨハンナに心配され、慰められていてばかりだ。
彼女の助けになりたい、ただそれだけなのに。それだけのことができないでいる。自分の不甲斐なさに吐き気がした。
「……ふふっ。ああ、誠に貴殿らしい」
ヨハンナは噛み締めるように呟いた。そして、頷いて微笑む。
「な、何がだよ」
「貴殿は自身のことは省みず、誰かのために悩み、誰かのために苦しみ、誰かのために足掻くのだな。それは笑ってしまうほど不恰好で、不器用な生き方だ。……だが、誠に貴殿らしい」
「それって、褒めてるのか?」
無言で頭を撫でられた。
よしよし、と子どもに触れるような優しい手つき。
「ヨハンナ、お前絶対俺のこと子ども扱いしてるだろ。俺、一応お前より一回り年上なんだぞ」
「ええ、勿論存じ上げていますとも。だからこそ、こうしているのです。大人は甘えたくても、素直に甘えられないでしょう?」
その言葉を聞いて、何故か俺は無性に泣きたくなった。
「……今日は、何だか優しいな」
「そういう日もあって然るべきです」
「毎日そうだったら、文句ないぞ」
「神の愛とは違い、私の優しさは有限ですので」
「ヨハンナの優しさは有限だったのか……」
「ええ、人はどうあがいても無限にはなり得ません。有限だからこそ、人は人となり得るのです」
「じゃあ、できるだけ温存しておいてくれ」
「ああ、勿論。貴殿がそう望むなら」
ヨハンナの優しさは有限かもしれない。だが、誰よりも深いのだ。ああ、不恰好で不器用なのはお互い様だ。思わず笑みが溢れた。
(いや、笑っている場合じゃないな。もっと年上らしく、ドンと構えないと。ヨハンナもアマルも、ベクトルは違うけど、俺を甘やかそうとしてくるから)
軽く頬を叩いて、腑抜けた心を正す。
キリッと真面目な表情を作る。年上として威厳を持って接することも大切だ。
「ヨハンナは俺にもっと頼ってくれて良いぞ。というか、頼ってくれ」
「十分頼っていると思うのですが……」
「嘘だろ、これで十分なのか? お前、さては人に頼られることに慣れているのに、頼ることには慣れてないんだろ」
ヨハンナは驚いたように目を見開き、数秒間動きを止めた。それこら、ふっと軽く息を吐き出し、上目遣いで俺を見詰める。こんな自信なさげな彼女の姿を俺は初めて見た気がする。
「……そう、かもしれません。だって……ここまで私に踏み込んで来た人は貴殿が初めてだったから、なのでしょうか?」
「いや、何で疑問系なんだよ。それは俺に聞かれても分からんぞ。……まぁ、でもそうだったら嬉しいな、とは思うけどさ」
力が抜けたような表情を浮かべ、ヨハンナは立ち止まった。
「ヨハンナ?」
「貴殿は……ずるい、ですね」
「いやいや、今の会話にずるい要素なんて全くなかっただろ!」
「むっ、そういうところだぞ。この愚か者のたわけ!」
「いきなりの罵倒!? 理不尽すぎるだろうが!」
俺の悲痛な叫びが青空に吸い込まれ、消えた。