聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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見送った背中

 

 

 

 

「おい、おーい。アマル、アマルさんや。いつになったら俺はこの状態から解放されるんですかね?」

 

「……知りません」

 

 ベットに組み敷かれ、抱きつかれること1時間。まぁ、詳しい時間経過は分からないので、体感的にということになるが、それぐらいの時間はたっていると思う。ずっとこの体勢は流石に辛くなってきた。

 

「……なぁ、アマル。俺が悪かったから、そう拗ねんでくれ」

 

「アマルは拗ねてなどいません」

 

 ―――完全に拗ねている。

 

 その理由は、間違いなくヨハンナの匂いがついていたからだろう。

 

 言うまでもないが、アマルはとても嫉妬深い。

 

 恋人同士になって肉体関係を結んでからは、我を失うほど激しい怒りで錯乱することはほぼなくなったものの、その嫉妬心は止まることを知らない。特にヨハンナには強い対抗意識を持っているようなのだ。ヨハンナが唯一同年代の女の子ということも理由のひとつかもしれない。

 

 そもそも、である。

 

 アマルの嫉妬が度が過ぎていると言うだけで、普通に考えれば恋人が別の女の匂いを纏わりつかせていたら、そりゃ不機嫌にもなるというもの。

 

 これでも一応、気を付けようとは思っている。……思ってはいるのだが、俺としてはフランチェスコやヨハンナ、シメオンさんと言ったアマル以外の人間関係も大切にしていきたいのだ。そこが一番悩ましい。

 

(……まぁ、俺のことを抜きにしても、元々ヨハンナに対して何か含む所があったようだしな)

 

 アマルとヨハンナ。

 

 一言では片付けられない()()がそこにあるのだろう。

 

 いつから始まり、いつまで続くのか。

 

 どこを目指し、どこへ向かうのか。

 

 時間でも距離でも速さでも計れない、その「何か」に彼女たちは縛られ、繋がれている。

 

 ぐりぐりと、無言でマーキングし続けるアマルの頭を撫でる。こうなったら気が済むまで、全力で甘えさしてやろう。

 

「アンディ様」

 

「おう」

 

「……アンディ様」

 

「うん、どうした?」

 

「ずっと側にいて下さい」

 

「勿論、側に居るよ」

 

 アマルは顔を上げ、寂しげに微笑んだ。

 

「ああ、私は弱くなりました」

 

「……アマル?」

 

「あの頃の私は、がらんどう」

 

 それは過去を懐かしむと言うよりも、過去の残滓を振り払うような呟きだった。

 

「こんな風に笑って、泣き喚いて、愛しさに胸が震えることなどなかった」

 

 アマルは乾燥し荒れた俺の唇に口づけを落とした。そうしないと、耐えれないとでも言うように何度も何度も。儚さを孕んだ言葉に、胸が引き締められる。

 

「過去も今も未来も必要ない。私たちは曖昧な境界線の上に立っている。いつか混ざり合い、溶けて、消えるだけのものなら、生きることに何の意味があるのか。そう思っていました。だから、幸せを願うことはありませんでした。最初から得られないものに、手を伸ばすほど愚かではない。ただ早く終わってしまいたい」

 

 頬を撫でられる。

 

「世界は灰色と闇色だけ。ただ、影が蠢いている。ここで悪夢のために歌い、彼女の目覚めを待っている。それが私の居場所。私たちの世界。……でも、貴方様が、アンディ様が私の手を握ってくださいました。そう、貴方様が与えてくださったの。優しい日だまり、煌めく夜空、花を美しいと思う心、世界の色彩、叶わないと諦めたもの全て」

 

 眩しそうに目を細めて、祝詞を唱えるよう空気を震わす。甘い息遣い。さらりと流れる銀髪、蕩けるような美貌。

 

「アマルティア……アマルはここにいると、手を差しのべてくれたのは、貴方様だけ。感情も幸せも……愛してるを教えてくれたのも貴方様だけ。アマルにとってアンディ様は光なのです。世界を照らすたったひとつの光」

 

「俺は……俺は、そこまでたいした人間じゃないよ」

 

 アマルの想いに押し潰され、左胸を押さえて、喘ぐように息を吸った。彼女はそんな俺を静かに見詰めた。その瞳に呑まれそうになり、視線を反らす。

 

 ―――赤、朱、紅。

 

 滴り落ちた、赤。

 

 燃える上がる、朱。

 

 全てを見通す、紅。

 

 鮮紅の残影が目の奥に焼き付いて離れない。

 

「アンディ様は、アマルにとって唯一のお方。貴方様がご自身をいくら否定しようとも、私は肯定します。だって、私は愛しているのです。アンディ様の全てを、愛しているのです」

 

 アマルは俺の胸に顔を埋めた。大きく息を吸って、頭を擦り付ける。自身の存在を少しでも残したい、そんな仕草。

 

「貴方様は、いつだって真っ直ぐ前を向いて進んで行くのですね。それまでいた場所から離れ、たったひとりで。アンディ様は、それができる人だから。私は何よりも、その背中を見送ることが恐ろしい」 

 

「俺はお前を置いて行ったりしないよ」

 

「はい。……そう、願っています」

 

 顔を隠したまま、少女は消え去りそうな声でそう言った。それは、今まで何度も何度も、繰り返したやり取りだった。

 

 アマルは俺がここから居なくなることを恐れている。いや、俺がひとりでここを去るのだと、思っている。そう、信じている。だから、いくら言っても不安が拭えない。

 

 俺に出会うまで、何かに執着したことがなかった少女は、俺をどう繋ぎ止めれば良いのか分からないのだ。

 

 アマルをそっと抱き締める。

 

 肩を震わせるアマルに、置いていかないよ、と再度呟いた。

 

 俺は間違いたくないんだ。……もう二度と、決して。

 

 カラン、と床を鳴らす音が脳裏に響いた。

 それは下駄の音のようにも、蹄の音のようにも聞こえた。

 

 

 

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