聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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誰がための優しさ

 

 

 

 

 

「ヨハンナ」

 

 名前を呼んでみた。

 

「……」

 

 頬とは言わず耳まで真っ赤に染めて、ヨハンナはむっつりと黙りこんでいる。呼び声にも答えてくれない。これはやり過ぎたな、と苦笑する。ああ、まったく。どうやら俺はこの少女に対して、遠慮という言葉を忘れてしまうらしい。

 

「ヨハンナさん」

 

 今度は優しく丁寧に呼んでみる。

 

 すげなく顔を反らされた。敬意が足りなかったのだろうか。

 

「ヨハンナ様」

 

「………はぁ」

 

 沈黙を守っていたヨハンナは、仕方がないなとため息を吐いた。それは不出来な弟を嗜めるような表情だった。  

 

「ヨハンナ様、正直スマンかった」

 

「それで謝っているつもりなのか、この破廉恥漢(はれんちかん)め」

 

「破廉恥漢? 初めてそんな罵倒をされたぞ。ヨハンナっ様てば、罵倒の語彙力すごいな」

 

「……様付けは止めてください。ーーーー本気で殴るぞ?」

 

「反省してます」

 

 即座に頭を下げる。

 

 ヨハンナはもう一度仕方がないな、とため息を吐いた。俺に向き直り、口元を緩ませる。

 

「まったく、貴殿はいつも私を困らさせてくれる」

 

「あー、悪い。そんなに嫌だったか?」

 

「……嫌でないから、困るのだ」

 

 ヨハンナは肩を竦めた。それは既に理解している回答を再度自身に落とし込むような仕草だった。

 

「もうこの話は良いでしょう」

 

 囁くような声音で彼女は話を打ち切る。反論は許さないと、その瞳が語っていた。気圧され、俺は小さく頷く。そして、ヨハンナの視線から逃れるため、情けないと思いながらも空を見上げた。

 

「……黒殿は良く空を見ていますね」

 

「ん? ああ、言われてみればそうだな」

 

「空が好きなのですか?」

 

 穏やかな日溜まりに包まれた青空。太陽を覆い隠す曇天。手を伸ばしてたくなる夕暮れ。月明かりに照らされ静寂が後を追う闇夜。時代や場所が違えど、空だけは決して変わらない。どこまでも広く、どこまでも自由だ。

 

 ――ーーだから、俺は空が好きなのだ。

 

「まあな。……ヨハンナこそどうなんだ?」

 

「私は……空を好きだと、そう思ったことは一度もありません」

 

「ふーん、そっか」 

 

「ええ」

 

 俺の軽い返答にヨハンナは微かに顔をしかめた。気の抜けた俺の返答が、お気に召さなかったらしい。そんな不器用な動作に、俺は思わず笑ってしまう。ヨハンナってクールに見えて意外と顔に出るタイプなんだよな。

 

「……でも、思ったことがないだけなら、これから好きになれるってことだ。だったら、いつかお前が好きだと思える空が見つかるさ」

 

「――――――っ」

 

 ヨハンナは息を呑んだ。彼女にとって俺の言葉は予想だにしないものであったらしい。

 

「……好きになれるでしょうか」

 

「きっとな。それまで、のんびり寝っ転がりながら空を見上げていたら良い。俺で良かったら付き合うよ」

 

「ふふっ。そんな上手いことを言って、貴殿はそれに託つけてただサボって寝たいだけでしょう?」

 

「バレたか」

 

 意識しておどけた話し方をする。そんな俺の態度を見て、ヨハンナは淡く微笑んだ。

 

 ――ーどうして、こいつはいつもこんな笑い方をするのだろう。

 

 その理由はいくら考えても分からない。いや、考えることすらできない。方程式を組み立てなければ答えが出ないように、ヨハンナ・スコトゥスの成り立ちを知らない俺には、その理由を紐解くことさえできない。

 

「――ー思えば、もう知り合って1年以上たっているのに、俺ヨハンナのことあんまり知らないな」

 

 ヨハンナは首を傾げた。

 その動きに合わせて、金糸の髪が揺れる。レモンの爽やかな匂いが鼻を掠めた。

 

「突然、どうしたのですか?」

 

「……いや、何となく」

 

「おかしな黒殿」

 

 脈略がないことは自分が一番わかっている。今自身がしかめっ面をしているであろうことは容易に想像がついた。

 

「悲しんだり、笑ったり、いじけたり、黒殿はまったく忙しい殿方だな」

 

「むっ、からかうなよ」

 

「ああ、すまない」

 

 恥ずかしげに咎める俺の言葉をヨハンナは軽くいなした。

 

「それで、黒殿は私の何が知りたいのですか?」

 

「何って、生い立ちとか、好きなものとか、とにかく色々だよ」

 

 彼女は唇に右手を当てて考えるよう目を伏せた。無意識なのだろう。左手でロザリオを強く握りしめている。

 

「私はこのストーンハーストで生まれ育ちました。産声を上げたときから、先祖と同じく聖職者になることが定められていたのです。それ以外の選択肢などはじめから存在していなかった。……ほら、私の生い立ちなど特に面白みもないでしょう?」

 

 淡々と語られるその言葉はひどく重い。それでも、俺は目線でその先を促した。

 

「ああ、後は好きなものでしたか。……ええっと、そうですね。優しいものでしょうか」

 

「そりゃ、ひどく漠然としてるな」

 

「優しさというものは、得てして曖昧なものだ。人によって優しさの概念は変わる。ある人にとっては優しさでも、別のある人にとっては苦痛となることもあるだろう。優しさは特有であって、共通ではないのですよ」

 

「じゃあ、ヨハンナにとって一番優しいものって何だ?」

 

「それは――ーー」

 

 ヨハンナは俺を見た。

 

「……ヨハンナ?」

 

「秘密、です」

 

「マジかよ」

 

 思わず肩を落とす。

 肝心なところを秘密にされた。

 もどかしくて、ため息が漏れた。

 

「優しいものは好きです。とても、好き。でも、手に入れようとは思いません。思ってすら、いけないのです」

 

「好きなものを好きだって思うことは、何一つ悪いことじゃないんだぞ」

 

「……本当に、困ります」

 

 ヨハンナは力を抜き、ロザリオから手を離した。

 

「黒殿、貴殿の心遣いに感謝します。でも、良いの。私は、自分にとっての『優しさ』を知ることができたわ。それだけで、もう良いのよ。……ふふっ、そんな悲しい顔しないで。私、十分幸せよ」

 

 ヨハンナはまた笑った。

 

 どうして、こいつはいつもこんな笑い方をするのだろう。

 

 

 ――ーどうして、こうも寂しそうに笑うのだろうか。

 

 

 

 

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