修道士たちがミサに行っている合間に、書庫に忍び込む。
ソフィアさんとの夢を見てから、更に現実と夢の境が酷く曖昧になってきている。
ストーンハーストに来てから、俺はおかしい。ストレスで精神に異常をきたしているのか。それともストーンハーストの異常が精神を蝕んでいるのか。俺は机に突っ伏し、頭を乱暴に掻きむしった。
修道院の秘密。
不可解な幻聴。
連日続く悪夢。
それだけか?
それだけで俺はこんな状態になってしまっているのか?
違う。
そうじゃない。
それだけじゃないんだ。
――ーー似ている。
このストーンハーストと両胡村は似ているんだ。だから、こんなにも狂わしい。場所も外見も、全てが違う。だけど、似ている。
思わず唇が弧を描いた。それから、ぼんやりと瞳を閉じた。
***
懐中電灯を片手に鍾乳洞を歩き続ける。
この「
安藤家の人間は幼い頃から、菩提洞を何度も行き来し道程を頭に叩き込まされる。それは菩提洞を巡ること自体が、神事の一部であるからに他ならない。
不快なまでに湿った空気。
肌を撫でる冷たい風。
静寂を浮き彫りにする足音。
気にいらない。家も慣習もこの場所も全てが気にいらない。憎んでいると言っても良い。
「
ぴたりと立ち止まり、俺はその声の主に視線を向けた。白装束で身を身に纏った壮年の男性が無表情で俺を見詰めている。相変わらず気味が悪くなるくらい生気の薄い目だ。
「……父さん」
「ここは安藤家にとって、神聖な場所だ。そのような感情削ぎ落とせ。お前は安藤家の次期当主、この程度のことができずどうする」
感情の色がない口調に辟易し、小さく舌打ちをする。感情を殺せと命じられて直ぐに、あえて苛立ちを表に出した。それはせめてもの反抗だった。
「隆」
父は俺の名前を呼んだ。きっと嗜めようとしているのだろう。だが、そこには何も込められていない。教科書の言葉をただなぞるように、名前を呼ぶという行動をしただけだ。言葉や感情、そしてその存在すらもからんどう。だからこそ俺は父を、この男を何よりも嫌悪する。
「お父様、兄さんはきちんと理解なされています。どうかそれ以上責めないであげてください」
後ろから聞こえる涼やかな声に振り返る。そこには父と同じく白装束の妹、静代が立っていた。
「……静代、お前は隆に甘すぎる」
「いいえ、私以外が兄さんに厳しすぎるのです」
静代は真っ直ぐ父さんに言葉を投げ掛けた。
「それではこやつは育つまい。不完全では勤めを果たせぬ」
「不完全もなにも、元より兄さんだけでは勤めを果たせません。だから、
そうか、と父は頷いた。
「――なるほど、道理だ」
それだけを言って、歩き出した。その背中を俺は無言で見送る。数秒すると、父の姿は闇に溶け消えた。
「兄さん、私たちも行きましょう」
「……そうだな」
静代は控えめに微笑んで、俺の手を握った。
「私は何があろうと兄さんの味方です」
もはや妹の口癖になったその言葉。奈落のような欠落した俺の心にひどく響く。俺にとって祖父母も父母も他人でしかない。誰かを犠牲にして得られる平穏など壊れてしまえば良い。鈍い殺意にも似た感情が俺の脳を震わす。
「なぁ、静代」
「はい、何でしょう?」
「俺はお前を幸せにするよ」
俺の家族は静代だけだ。だからこそ、妹をこのクソッタレな家系の犠牲にはしたくない。馬鹿みたいに友達と遊んで、好きなことを勉強して、恋人を作って、そしていつか愛する人と結婚する。そんな普通の幸せを手に入れて欲しい。
少なくとも兄である俺と結ばれて、禁忌を犯す行為をさせたくはない。両親が、この村が、全ての人間が、それを望んでいたとしても、絶対にさせるものか。
幸せにする。
幸せになるんだ。
ひとつにならないために逃げる。静代と一緒に、それが無理なら俺だけでも離れる。それが最善だ。
「……何だかプロポーズみたいです」
「馬鹿言え。俺たちは兄妹だぞ」
「そうですね。兄さんと私は兄妹です。どんなに立場が変わっても、私たちには決して色褪せない絆がある」
「……前々から思ってたけど、お前って結構ブラコンだよな」
「それはお互い様でしょう?」
違いない、と俺は苦笑した。そして、ゆっくり歩き出す。
これから両胡村の信仰の源、菩提洞の最深部に向かうのだ。こんな馬鹿馬鹿しい神事など早く終わらせてしまおう。
「兄さん」
後ろから囁くように声を掛けられた。顔だけ振り返り、静代の顔を見た。
「私、幸せにして貰えなくて良いの」
困ったような口調。
酷く曖昧な表情を浮かべた静代は、俺と繋いだ手を離して胸の前で両手を合わせる。それは祈る動作だった。
「――ーーだって、私はもう既に幸せなのですから」
どうして、と聞く前に静代は俺を置いて奥に進んでしまった。理由を聞かれたくなかったのか、聞くまでもなく理解しているだろうと思われていたのか。
結局、その答えを俺は最後まで得られることはなかった。
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