ーー――菩提洞。
それは安藤家、ひいては両胡村の最も神聖な場所である。
本来の名称は、「
つまるところ、両胡村で古くから信仰されていたもの正体は母胎信仰なのである。
その名の由来は、洞窟内は重なりあうように入りくみ、その形態が人間の臓器や肋骨、また母胎洞の最奥にある大きな空洞がまるで女性の子宮のように見えることからきている。
母胎洞へ入ることは死を象徴し、その胴内は産道に見立てられ世俗で身に受けた穢れを払い、そして母胎洞から出ることは出産、引いては生まれ変わりを象徴している。この洞窟の中で、常世と現世が繋がっていると考えられていたのだ。母胎洞の内部を歩くこと自体が神事の一部であるというのは、ここから来ている。
安藤家は、元々神職を意味する安堂という表記であったが、更に過去を辿ると、安洞と称されていたのではないかと俺は考えている。両胡村の聖域である母胎洞を守り、両胡村を繁栄させる神事を担う一族、それが安藤家なのだ。故に、村の中で大きな権力を握っていた。
信仰の対象である母胎洞。「母胎」と名がつくのだから、その御神体が女神であることは想像難くないだろう。
母胎洞に祀られている神の名は、「オヤザ様」。
母胎洞から聞こえる風鳴りが、まるで囁き声や唸り声のように聞こえることから、「
オヤザ様は豊穣、多産、肥沃、生死を司る地母神である。その姿は安藤家に残されている書物によって多少の相違はあるものの、共通している点は角と蹄、大きく垂れ下がる尻尾があることだ。
角と蹄があり、豊穣を司るとなるとそのモチーフは、牛や山羊、あるいは鹿だと思われる。そして、ずるずると地を這う尻尾は、大地との繋がりを表していると推測できる。
「オヤザ」のオが敬称の「御」だとすれば、響き的に一番近いのは山羊だろう。とは言ったものの、ヤの一文字しかあっていない。まぁ、案外ヤギという言葉が訛ってヤザと呼ばれていることになったという単純なオチかもしれない。
安藤家の跡継ぎとして、オヤザ様のことを一通り学んだがそれでも不透明なところがある。
まず、安藤家に保管されている史料に、オヤザ様の名が初めて登場したのは今から500年前だ。それよりも前の古文書には、オヤザ様に関わる一切の記録はない。更に、この村付近にオヤザ様やそれに類する神は存在しなく、オヤザ様自体の系譜を辿ることができない。つまり、オヤザ様は外部から伝わったのではなく、村内部で限定的に誕生した神であると言える。
そもそも、オヤザ様を村人が厚く信仰している理由は、オヤザ様が500年前に両胡村を襲った大きな飢饉から先祖を救ったとされているからだ。そこから両瑚村の守護神としてオヤザ様は確固たる地位を確立した。
しかし、その存在はまるで、
不透明な部分というのは、オヤザ様の根源が不明であるということに他ならない。突如現れたという来訪神としての一面を持つにも関わらず、村外に信仰の形跡がない。また、村内部で創造された神であれば、その成り立ちが分からないということがあまりにも不自然すぎるのだ。
オヤザ様はどこで生まれ、どこから来たのか。
そこまで考えて、ふと思う。
俺が両胡村からストーンハーストへ来訪したように、ストーンハーストから両瑚村にオヤザ様と呼ばれる超自然的存在が来訪したのではないか。
その真偽は兎も角として、村人たちがオヤザ様を信仰する上でひとつ問題点があった。それはオヤザ様はあくまでも常世の存在であり、その恩恵を得たくても人に易々と干渉することはできないということだ。それを補うためどのように祖先たちが考え編み出した方法――ーー
―ーーーそれは、神を現世に呼ぶ……神降ろし。
神を降ろす依代は、無垢で穢れのない空虚な存在でなければならない。だから、依り代には必ず赤子が選ばれる。
安藤家の跡取りとして俺に課せられた役割は、依り代を用意すること。
……即ち、実の妹と婚ぎ、赤子を作ることによって儀式を取り仕切ることであった。
妹もその間にできた赤子も、踏みにじり犠牲にすることが、俺は……俺には、どうしてもできなかったのだ。だから逃げた。逃げたんだ。静代をおいて、ただひとりで。
俺がこのタイミングでオザヤ様の話を思い出したのは、ソフィアさんとの夢の中で聞いた「Calix Dea」という言葉があったからだ。聞いた瞬間、俺は自然とその意味が分かった。
「――ーー女神の杯」
杯は子宮のことを指すと同時に、神の依り代を指す言葉なのだと理解した。
その言葉の意味も、アマルに静代の影を見出だしたのも、ストーンハーストと両胡村が似ていると思った理由も。
……俺は、理解、できてしまった。