黄昏空の下、貴方の背中を見送ってどれ程月日がたったでしょう。
――からん、と頭の中で音がした。
悲しい。苦しい。寂しい。
どうして……どうして、私を独りにしたのですか?
貴方はいつだって、勝手に私の幸せを決めてしまう。私の幸せは、貴方の思うような幸せではありません。
――からん、と音が反響する。
ただ、側にいて欲しい。
透き通る青空と白詰草の花畑の中で、貴方が捨て去った私の幸せを拾い集めているのです。だから、どうか早く会いに来てください。そう祈りながら、今日も空を見上げます。
――からん、と音が染み込んだ。
真っ暗闇の中、もう空を見ることは叶いません。
不完全と知りながら、それでも役目を果せと彼らは言うのです。このまま永遠に貴方に会えぬなら、もうこの世界に生きていても仕方がない。だから、私は二度と戻れない産道を自ら歩くことに決めました。
囁き声が耳を掠め、地面が細かに揺れています。胎動しているのです。もう、逝かねばなりません。
――からん、と音が入ってくる。
ああ、最後に思い出すのは貴方のことばかり。
貴方は誰よりも素敵な人だから、外の世界で必ず幸せになるでしょう。……分かっています。貴方の「幸せ」に私という人間は必要ない。
貴方が私を想い生きてくださるのならばそれで良い。そう言い聞かせ、自らを封じ込めていたのです。この深淵の暗闇の中で、貴方の夢を見続けながら……。
けれど、貴方は私の想いを置いて前に進むと言うのです。私をまた置いていくと言うのです。
その時、ぷつんと何かが切れる音が聞こえました。
このまま貴方が幸せならそれで良い、そう思える女であればどんなに良かったでしょう。そんな綺麗な想いを抱いたまま終わることができればどんなに良かったでしょう。
どうか卑しい女だと、笑ってください。
どんな形であろうと、貴方の側にいたいのです。
貴方を想う
―――からん、と音が足元から鳴りました。
からん。からん。からん。
足を踊らせ、くるくる回ります。
貴方と踊れたらどんなに楽しいことでしょう。
しかし、貴方はここにいない。
貴方が会いに来ないなら、私が迎えに行けば良いのです。足を踏み鳴らすと嬉しそうに心臓が脈打ちました。
どうか、恨まないで下さい。
――だって 貴方が 私 をそうさせたのですから。
***
鳥の囀ずりが、穏やかな目覚めを誘った。
窓から差し込む朝日を横目に、ぐっと身体を伸ばす。何て気持ちの良い朝だ。それもこれも、毎日のように見ていた悪夢を見なくなったからだ。もしくは、その悪夢を見たということ自体を忘れているからなのかもしれない。どちらにせよ、喜ばしい。
何とはなしに、首にかけたロザリオを手に取る。木でできた聖なるシンボル。ヨハンナからこれを貰った日から、不思議と俺は悪夢を見なくなった。やはり、このロザリオのおかげなのだろうか。
そんなことを考えながら、ロザリオを片手に起き上がる。ベッドから抜け出そうとすると、隣で寝ていたアマルがぎゅっと抱きついてきた。起こしてしまったのかと様子を伺う。
「すぅ……すぅ、ん」
「あれ、まだ寝てるのか?」
俺の声に答えず、小さく寝息を漏らすアマル。いつもの凛と大人びた雰囲気はなく、無条件に安心しきったあどけない表情を浮かべている。起こさないように優しく銀色の長髪を数回撫でる。えへへ、と緩みきった笑い声が聞こえた。
……寝たふりかこの子犬め。
「アマル、お前起きてるだろ」
ぴくり。
肩が震えた。だが、それ以上のアクションをアマルはおこさない。抱きついたまま寝たふり続行。そっちがその気なら俺にも考えがあります。
「……なぁ、アマル」
腰を屈めて、耳元で甘く名前を呼ぶ。アマルは俺の声音が好きらしい。曰く、色気がある低音ボイスだそうだ。自分で言うのもなんだが、アマルは俺にベタ惚れなので、俺の容姿からやることなす事全て良く見えるフィルターがかかっている。だから、アマルの言葉は参考にしない方かいい。
「アマル、返事してくれ」
何度も囁くと耳が真っ赤になってきた。うん、面白い。しかし、まだ起きない。かなり粘るな。今日はとことん構って欲しいらしい。この甘え下手め。その不器用さが愛おしい。くくっ、と思わず笑みがこぼれた。
「アマル……ふっ」
今度は耳に息を吹き掛けてみる。
「ひゃんっ!」
可愛らしい声を上げ、アマルは耳元を両手で押さえた。これはさすがに耐えきれなかったよう。子犬はやはり耳が弱いのだろう。上目遣いで、頬を膨らませるアマルに苦笑する。子犬から子栗鼠に進化した。とりあえず、頬っぺたを揉んでおくことにする。
「アマル、狸寝入りは楽しかったか?」
「むぅ、あ、ふ、あん、でしゃまの、いじふぁふぅ」
「あはは、何言っているか全然分からん」
「い、いじふぁるっ!」
頬っぺたを揉んでいた手を払われ、首にすがりつかれた。ぐりぐりと、マーキングされる。
甘えん坊の拗ね方だった。この子犬、本当に可愛いな。瑞々しい少女の裸体が押し付けられ、色んな意味で元気になってしまう。どこもかしこも柔らかい。
「ごめんごめん。俺のこと嫌いになったか?」
「……ずるいです。アンディ様は、私の答えなんて分かってらっしゃる癖に」
「そんなことないさ。言葉にしてもらわないと分からない」
狸寝入りされた意趣返しに、そんな言葉を投げ掛ける。アマルは腕を解いて、俺の顔を覗き込んだ。
「……むぅ、アマルはアンディ様を愛しています」
むくれた顔をしながらも、アマルははっきりと答えた。確定事項を伝えるような迷いのない言葉だった。それがどうしようもなく嬉しい。追加でもう一度アマルの頭を撫でる。
えへへ、とアマルは照れたように笑った。正直、チョロいと思った。
「仲直りだな」
「はい。仲直りです」
「じゃあ改めて、おはようアマル。今日は良い朝だな」
「おはようございます。アンディ様。今日も朝一番にアンディ様のご尊顔を拝むことができ、アマルは幸せでございます。だから、とても良い朝です」
「お前、朝から惚気すぎ」
「私はまだ本気を出していません」
「ふっ、惚気の本気ってなんだよ」
「うふふっ、そのままの意味です」
お互い見つめ合って破顔した。
朝から気分が良い。窓から見える青空が更に気持ちを高揚させた。このまま1日晴れが続けば良い。畑仕事も捗るだろう。
アンディ様、と手を小さく引かれる。
いつものキスの催促。俺の顔を見てアマルは頬を染め、そわそわと身体を揺らした。それこそキスなんて何百回もしているのに、相変わらず昼は貞淑で初心。その癖、夜は娼婦のように淫らで積極的。本当に俺には勿体ない良い女だ。
触れるだけのキスをして、ベットを抜け出す。
今日はフランシスコと農作業だ。それが終わったら、ソフィアさんを見舞って……。
そこまで考えて、自分が無意識にロザリオを触っていることに気が付いた。いつもヨハンナがそうしていたように、ロザリオを握った。神様を信じている訳でもないのに、何故だろう。そんなことを思いつつも、俺は身支度を始める。
今日も1日が始まろうとしていた。
いつも誤字脱字の修正ありがとうございますー。