聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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笑顔とお腹と神様と

 

 

 修道院から出て、畑に向かうと既に先客が居た。

 

 雲間から射す朝日が逆光になって、その人物の顔は黒く塗り潰されている。しかし、そのまるっとしたシルエットが全てを教えてくれた。なんて簡単なシルエットクイズなんだ。頬が緩むことを自覚しながら、彼の表情が見える位置に移動し声をかける。

 

「おはよう、フランチェスコ」

 

「黒の旦那、おはようごぜいやす」

 

 軽く手を上げ挨拶する俺に、フランチェスコは独特の訛りで答え、にっこりと人好きする笑みを浮かべた。

 

「調子はどうだ?」

 

「へい、ぼちぼちですかねぇ。旦那はどうですかい?」

 

「俺もぼちぼちだな。特に変わりはないよ」

 

「そりゃ、重畳でさぁ」

 

 変わりないことが一番ですからね、とフランチェスコは小さく頷く。そういうもんか、と眉をひそめる俺のことを見て彼は更に笑った。

 

 思えば、フランチェスコは兎に角良く笑う男だった。楽しいと朗らかに笑い、悲しいと静かに微笑み、苦しいとそれを笑顔で吹き飛ばした。何故そうも笑っていられるのか。以前、俺は何気なくフランチェスコに聞いたことがあった。その時、確か彼はこう言った。

 

『笑いは最良の薬、という諺がありやす。黒の旦那、あっしにとって、笑いとは薬であり、救いなんですよ。笑いは幸福を導き、奮い立たせ、癒しをもたらし、時には自己を守る盾となる。だから、あっしは笑います。今も昔もこれからも』

 

 彼はそう言って、日溜まりのように微笑んだ。

 

『……それに、それにね。旦那、人は産まれるときに必ず泣くもんでさ。なら、死ぬときぐらい笑って死ぬ。そうじゃないと、釣り合いがとれないと思いやしませんかい? そうじゃないと可笑しい、だって均衡が取れないじゃねぇですかい。ああ、そうでさぁ。黒の旦那、現世の罪枷を償い、全てを清算し最後には笑って逝く。あっしは、そのために、そのためだけに、この場所ーーストーンハーストにいるんでさぁ』

 

 どんなときでも前向きで、決して笑顔を絶やさないフランチェスコを俺は何より尊いと思った。……思ったが、それを言うと調子に乗るのが目に見えているので、絶対言わないでおこうと心に決めている。

 

 そんな思いを尻目に、フランチェスコは顎に手を当て俺を見つめてくる。まるで品定めされているようなその視線に、居心地の悪さを感じ頭を掻いて気を紛らわした。

 

「……ふむ、旦那。今日も今日とて爽やかなローブの着こなしですねぇ」

 

 予想外な一言に、一瞬思考が停止した。数秒おいて俺は視線を落とし、自身の服装を改めて確認する。リネンのチェニック、簡素な黒いズボン、茶色のローブ。殆どの修道士は同じ茶色のローブを身に纏っているので、特に代わり映えのしない格好であると思う。

 

 そもそも――

 

「――ローブに着こなしってあるのか?」

 

「あっはっは、まぁ細かいことは気にしない。ただの誉め言葉ですよ。黒の旦那は背が高いので、何着ても様になるってことでさぁ。ほら、あっしはこういう体型でしょう? 憧れを抱いても仕方ありやせん。大目に見てくだせえ。……それはそれとして、旦那の引き締まった身体、全くもって羨まけしからん。旦那、ちょっとあっしの腹の肉を取って行ってはくれやせんか。ちょっとだけ。ちょっとだけで良いですから。ほらほら!」

 

「だが断る!」

 

「ええっ、断るの早すぎやしませんか!?」

 

 おい、止めろ。止めろったら!

 

 ぐいぐい、詰め寄ってくるな。俺は嫌そうに、いや、確実に嫌な顔をして腹を押し返す。

 

 ぐいっぐいっ。

 

 ぽにょんぽにょん。

 

 ぐいっぐいっ。

 

 ぽにょんぽにょん。

 

 うわっ、この腹の感触何だか癖にな……って、たまるかってんだ!

 

「あのな! そんなことは出来ないんだから、断るに決まってんだろ!」

 

「え――」

 

 ポンポンと腹をリズミカルに叩いて、フランチェスコは小さく首を傾げた。つぶらな瞳で俺を見るな。全然可愛くないから。むしろ、殴りたくなるから。

 

「え――、じゃない。お前が努力して痩せれば済む話だ。なんなら、今日からダイエット……減量を始めたらどうだ?」

 

「こほん、――彼の者は言いました。明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である、と」

 

 確かその言葉は、マタイによる福音書の一節だったか。いきなり何を言い出すんだこいつは。

 

「……つまり?」

 

「今日は忙しいので、明日の自分に頑張ってもらおうと思う次第でさぁ」

 

「駄目だこいつ早くなんとかしないと」

 

 えへ、とフランチェスコはお茶目に笑った。本当に殴ってやろうか。どうせ明日また同じことを言うんだろう?

 

 そもそもその言葉は、明日の心配を今しても明日にならないとどうなるか分からない。だから、明日のことこれ以上思い悩んでも仕方ないという言葉であって、問題を明日に持ち越し、明日の自分に任せるという意味ではないんだぞ! というか、聞くからにそうだろう。どういう解釈すればそうなるんだ。

 

 心の中で悪態をつく。そもそもフランチェスコ、人はそれを問題の先送りと言うのだ。

 

「明日から食事を減量してみればいいんじゃないか?」

 

「すいやせん。そればっかりは勘弁していただきたく」

 

「降参するの早いな」

 

「死活問題ですから」

 

 ぷんす、と胸を張るフランチェスコ。

 

 あまりにも不毛すぎるやり取りに、俺は目を瞑った。そしてローブの上から、ロザリオを握る。

 

 

 ――ああ、神様。俺はアンタを信じやしない。

 

 

(……でも、アンタを信じる人を信じることはできると思うんだ)

 

「じゃあ、食事の減量以外ならやれるんだな」

 

「へい、もちのロンでさぁ。私は神様仕え、自身を決して偽らず正直に生きていやす。男に二言はありやせん!」

 

「ほう、そうか。じゃあ、明日は畑の外周を軽く20周走ろうか」

 

「――っ、旦那。……明日、懺悔を聞く準備をしといてくだせい」

 

「諦めるなよっ!」

 

 二言はありまくりだった。

 

 

 

 

 




唯一の癒しキャラ、フランチェスコさん。

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