いつから壊れているのかも分からない。
この世に産まれてからなのか。
この世に生まれたからなのか。
不協和音でも、声を響かせる。それに何の意味があったのか。その存在に何の意味があったのか。
――その答えを、今も探している。
この地のあり方は間違っている、とあの人は良く言った。
それは真実なのだろう。
それが正常なのだろう。
しかし、それはあくまでも外の世界での話。この場所ではあの人の正常こそ異常であった。
――ーーあの人は外の世界を夢見ているのだ。
だから、空を仰ぎ見る。何にも縛られない蒼穹に、あの人は憧れを抱いている。
彼は空に自由を見出だした。しかし、それは虚構に過ぎない。原初、来訪者は天から舞い降りたと言う。しかし、今や御身は闇の中、脈打つ深淵に蠢くのみ。
本当の自由は私たちの足元にこそある。地を這う者は、決して空に祈らない。祈りの対象はもはや空にはいない。そういうものなのだ。それを知らぬ者は、ある意味幸いである。
私たちの祖先は、彼方よりの来訪者に救いを求めその恩恵を得た。だからこそ、私たちは来訪者たる神を母と崇め彼女に従う。
例え外の世界へ出て行けど、母を求め必ずこの地に戻ってくる。それはもはや帰巣本能と言って良い。子が母の子宮から産まれ、また死して胎に帰るように、私たちの魂に刻まれている。
母の血がその身に流れる限り、ずっとずっと終わりなく私たちはこの地に縛られる。しかして、それは祝福である。また、私たちが得た恩恵であり、知見であった。
それを歪だと考えるのは、あの人だけ。そう、この地に生まれながら、あの人は異端だった。
あの人は常に誰にも理解されず、孤独を背負っている。辛くて、苦しくて、悲しくても、平気だと、あの人は笑うのだ。そうして、誰も居ないところで泣いている……声を殺して。
ああ、ああ。
何故、私がそんな彼を咎めることができようか。
確かにあの人の孤独を誠に理解できる者は、私を含めここにはいない。だが、その孤独に寄り添うことができる私だけが、あの人を癒すことができる。
私だけがあの人を愛することを許されるのだ。
***
「静代、大丈夫か? もしかして体調悪いのか?」
手に持つ白詰草の冠を眺めていると、傍らに立っていたお兄様が私の顔を覗き込んだ。お兄様と私は30㎝以上身長差があり、お兄様が私の顔色を確かめようとすると少し腰を屈める必要がある。目線を合わすために、わざわざ腰を落としてくれる。そういうところが、とても好ましい。
私とは違い、優しく朗らかなお兄様。
双子の兄妹なのに、全く似ても似つかない。顔つきも性格も何もかも。正直、身長はもう少し似て欲しかった……。180cmと145cmなんて、大人と子どもの身長差ではないか。
でも、背が高く逞しいお兄様を見上げるごとに、私は実感する。私にとってお兄様はどこまでも「男」なのだ、と。
「いいえ、少しぼんやりしていただけです。隆お兄様、ご心配をおかけし申し訳ありません」
私の言葉にお兄様は眉をひそめた。気に入らない。そんな感情がありありと見て取れた。相変わらず、心を隠すことが下手な人。そんなところが、とても可愛らしい。
「静代、お兄様は止めろ。外じゃそんな風に兄貴を呼ぶ妹はいない。もっと普通に、せめて兄さんにしてくれ」
「…………はい、兄さん」
「良い子だ」
お兄様……兄さんは、朗らかに笑って、私の頭を撫でた。力加減は優しいのに、撫で方が雑なのはいつものことだった。しかし、毎度のことながら、わしわしと女性の髪を考慮しないのはどうかと思う。犬扱いされている気分だ。
「兄さん、髪がぐちゃぐちゃです」
「ん? おお、すまんすまん」
そう言いつつ、撫でることを止めない。兄さんはこういう時、私の言うことをあまり考慮してくれない。でも、構ってくれて嬉しい、と相反することを思った。掌の暖かさを感じ緩みそうになる頬を律っし、頬を膨らませわざと拗ねてみせる。
自分でもらしくないと思う。この私が、頬を膨らませる幼稚な仕草をするなど、どうかしている。しかし、兄さんは私がただの少女のように振る舞うと笑って喜んでくれる。それに比べれば、私の自尊心など安いものだ。全くらしくない。……でも、それで良いのだ。
「さっきまで子犬だったのに、今は子栗鼠みたいだな。頬にどれくらいドングリを詰め込んだんだ?」
やはり、犬扱いされていた。しかも、子犬。それから子栗鼠ときた。村人がそのような畜生と私を称したのならば、決して許さないが……兄さんは例外だ。もっと言って欲しい。
「兄さんっ」
「うん、静代は可愛いなあ」
「兄さん、あまり私をからかわないで下さい」
「からかってなんかないよ。本気でそう思ってる」
「……っ」
一気に頬が熱くなる。何か言葉を口にしようとして、声にもならないうめき声を出した。情けない表情を兄さんに見られたくなくて、顔を下に向ける。足元には、白詰草の花畑が広がっていた。
白詰草、取り立て目立つ訳でもない花。しかし、自らを差し出すことで土壌を肥やすことができる花。真っ白で汚れなく、何度踏みつけられようと、強かに根を張り必ず起き上がる。その有り様は、まるで兄さんのようだ。そして、白詰草の花言葉は私の内面をうつしだしていた。
白詰草は兄さんと私の花、二人でひとつの花。だから、私は白詰草が好きなのだ。しかし、兄妹の範疇を越えた想いを兄さんは嫌う。故に、兄さんへは白詰草の花言葉が好きだから、とだけ伝えている。
「兄さ――――」
「次代様、お勤めのお時間です」
後ろから、声が聞こえた。振り返ると、白装束の男が立っていた。安藤家に代々使える家系の者。名前は知らない。知る必要がない。
「はぁ、そうか。もう、そんな時間か」
「……はい、兄さん。お役目、頑張って下さいませ」
「ああ、ありがとう」
兄さんは憂鬱気に溜め息を吐いて、花畑を去って行く。その後ろ姿を目で追いながら、白詰草の冠を胸に抱いた。数秒して、兄さんを私から遠ざけた慮外者を見やる。
「……其処な者。ここは私と、次代様だけの花園。お前如きが土足で踏み入れて良い場所ではない。早々に去れ。そして――」
慮外者は深々とお辞儀をして背中を向けた。その背中へ吐き捨てるように言葉を投げ放った。
「――――二度目はないと知りなさい」
私たちは二人でひとつ。
産まれる前からそうだった。
私たちは二人でひとつ。
死が二人を別っても、来世の先の先まで。
――私たちは二人でひとつ。