畑の手入れをする。
雑草を抜き、鍬を振り下ろし土をならす。
故郷である両胡村の人々の多くは農作業を営んでいたが、特権階級であった俺はついぞそれに従事することはなかったし、村を出てからもその機会はなかった。しかし、ここではそうも言ってられない。働かない者食うべからずだ。
当初の不馴れで辿々しい鍬の太刀筋も今や見る影もない。どことなく達成感を抱き、俺は顔に伝う汗を腕で拭った。
顔を上げ強ばった肩の筋肉を解す。バキバキと乾いた音がなった。思いの外、身体は疲れていたらしい。朝から昼までぶっ通しで畑作業をしていたからだろう。
休憩がてらに、井戸で手や顔の汚れを洗い流すか。そう思い鍬を土に刺して井戸に向かう。
少し足を進めると畦道を歩くヨハンナの姿が見えた。彼女を眺めすぐ違和感を感じた。
「……ヨハンナ?」
ふらふらと覚束ない足取り、どこかで焦燥した表情。いつもきっちり編み込まれた髪は解れ風で揺れていた。
「ヨハンナっ!」
慌てて彼女の元に駆け寄る。名前を呼んで数秒してから、ヨハンナは茫洋とした視線を俺に向けた。その温度を感じさせない表情にどうしようもなく不安を覚える。
「…………あっ、くろ、どの?」
「ヨハンナ、大丈夫か?」
「ーーーー」
ヨハンナは曖昧に微笑んだ。是とも否とも言わない。ただ誤魔化すように笑った。それが答えなのだろう。貴方にできることは何もないのだ、と。
はっ、と短く息を吐く。
―――なぁ、俺はそんなに頼りないか。
そんな女々しい言葉を飲み込んで、俺はヨハンナの額に手を置いた。熱くはない。むしろ冷たいくらいだ。
額から流れるように頬を撫でる。青白い肌、少し荒れた唇。目元には薄っすらとクマが見える。もしかして、寝れてないのだろうか。確かめるように、顔を近づけて更に頬を優しく撫で擦る。
「ヨハンナ」
「あ……えっ?」
虚ろだった瞳に光が戻り、頬に朱が差し込んだ。口をわなわなと震わせる。
「っ――わ、ちか、えっ、く、くく、黒殿!?」
どもりながら、距離を取られた。毛を逆立てて威嚇する猫みたいな動き。アマルは子犬だが、ヨハンナは猫だな。しかも、ロシアンブルーあたり。そんなくだらないことを思いながら、ヨハンナに笑いかける。
「……とりあえず、熱をはないみたいで安心した」
ヨハンナは俺の顔を伏せ目がちに見て、居心地悪そうに肩を竦めた。いつも背筋を伸ばし凛とした雰囲気を身に纏う少女には珍しい動作だった。
「なあ、寝れてないのか」
「そ、れは、その……」
「何かあったのか?」
歯切れが悪く口ごもる。いつもなら涼しい顔をして俺の言葉をいなしてしまうのに、それすらも出来ないくらい余裕がない。
「なぁ、俺はお前が心配なんだ」
「あっ……」
「言いたくないなら理由なんて言わなくて良い。だけど、お願いだから、今日はもう休め。お前が辛そうにしている姿を見るのは、我慢できない」
「……黒殿」
「ほら、歩くのもしんどいだろ。おんぶしてやるから」
「…………ッ」
そう言って屈むと、後ろから息を呑む音が聞こえた。首だけ振り返り念を押す。
「言っとくけど、ヨハンナには拒否権なんてないぞ。嫌だって言ってもおんぶしてお前の部屋に連れてく。絶対休ませるからな」
「ああ、貴殿は全くもって強引だ」
「おう、そうだ。でも、それで良いんだ。強引でも連れて行けば良かったって、もう二度と後悔したくない。俺は自分勝手な奴だからな。……幻滅したか?」
「幻滅などするものか」
「そっか。ありがとな」
ヨハンナは俺の背中をそっと撫でた。数秒して、俺の背中に寄りかかり首に手を回す。レモンの仄かな香りが鼻孔を擽る。
「黒殿、どうか連れて行ってください。貴殿に我が身を預けます」
「うん。まかせろ」
ヨハンナを抱えて立ち上がる。思ったよりずっと軽かった。
「黒殿、重くはないだろうか?」
「いいや。むしろ、軽すぎて心配になるくらいだ」
「そうか。なら良かった」
ゆっくりと慎重に畦道を歩く。少し顔を上げると青空が見えた。
――――いと高きところには、栄光、神にあれ。
心の中で聖句を呟く。
――――地には平和、御心に適う人にあれ。
「黒殿」
「ん、どうした?」
「貴殿は、私が守ります」
「……馬鹿。何言ってんだ。それは俺の台詞だ。それに守られるようなことはそうそう起こらないよ」
「ええ、そうですね。そうだと良い。でも、心配なの。貴方は優しい人だから、誰よりも優しい人だから…………」
言葉が途切れた。10秒たっても次の言葉が紡がれることはなかった。沈黙に不安を覚え思わず声をかける。
「おい、ヨハンナ?」
「ん……すぅ……ふっ、すぅ……」
浅い呼吸が聞こえた。眠ってしまっただけか。ああ、良かった。やっぱりよほど疲れていたのだろう。早くベットに寝かしてやろう。
「お休み、ヨハンナ」
――――どうか、良い夢を。
俺は再び足を踏み出した。