聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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跳ね返った呼び声

 

 

 

 今思えば、彼女はいつも微笑んでいた。

 

 手を繋ぎ共に歩いたあの朝も。

 

 白詰草の花冠を頭に被せたあの昼も。

 

 星空を見上げふたり身を寄せあったあの夜も。

 

 彼女は笑っていた。

 

 何故いつもそんな風に笑うのか、そう聞いたことがあった。彼女は困ったように目尻を下げ、兄さんには理解できないかもしれませんが、と。

 

 私は今、この時が何よりも幸せなのです。

 

 そう、微笑んだ。

 寂しそうに、微笑んだ。

 

 その笑みを今も覚えている。

 そして、これからも忘れることはないだろう。

 

 

 

 ――ーー忘れることはできないだろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 自室のドアを開けると、アマルが椅子に腰掛けながら俺の服を畳んでくれていた。

 

 視線が合う。

 

 アマルはへちょりと微笑む。彼女は手に持つチュニックを丁寧に畳み机に置くと、足早に駆け寄り勢いを付けたまま抱きついてきた。

 

「アンディ様、おかえりなさいませ!」

 

 ぐりくりぐりぐり。

 

 顔を俺の胸板に擦りつける子犬の仕草。いつものマーキング。それは、まぁ良いとして、俺の胸に顔を埋めて深呼吸するのはどうかと思うぞ。犬吸いみたいで何か複雑だ。

 

「……っと、ああ。ただいまアマル。熱烈な歓迎ありがとう。毎度のことながら、少し加減してくれると助かる」

 

「無理ですッ!」

 

「即答かよ」

 

「はいっ」

 

「はぁ、お前って色んな意味ですごいな」

 

「えへへ」

 

「誉めてないからね?」

 

 呆れて、頭を雑に撫でる。

 

「むぅ。アンディ様、髪がぐしゃぐしゃです」

 

 不満げに頬を膨らませるアマル。子犬から解脱し、アマル栗鼠が降臨した。取り敢えず、少女の頬を優しく両手で揉んで機嫌を取ってみることにした。アマル栗鼠の対応には、もう慣れたもんだ。

 

「に、にゃにふるんでふか!」

 

「……んー、機嫌直して貰おうと思ってな」

 

「ううっ、ひゃんでーしゃまのひでふぁる」 

 

 更に頬が膨らんだ。可愛い。

 

「意地悪なんてとんでもない。俺はいつだってアマルに優しいだろう?」

 

 そう言いながら頬を優しく引っ張る。俺の言葉に反論しないあたり、同意はしているのだろう。アマルは目を白黒させた。微笑ましい少女の仕草に、自然と口角が上がった。

 

「さっきまで子犬だったのに、今は子栗鼠みたいだな。頬にどれくらいドングリを詰め込んだんだ?」

 

「……むっ、むきゅ、ふゅ、んん!」

 

 お決まりの台詞を言う俺に言葉に対して、アマルは俺の胸をぽかぽかと叩いた。その弱々しさから本気で抵抗している訳ではないことが伺い知れる。

 

「あんでぃひゃま! ふきゅ。む、もうっ! ふぁんで、さま!」

 

「はっはっは」

 

「ふぁ、むきゅ、ふにゅう。ん、あんでゅさまぁ」

 

 あまりやりすぎるのも悪いか。そう判断し、アマルの頬から手を離す。誤魔化すように少し赤くなった頬を優しく撫でてみる。

 

「―ー―アマルは可愛いなぁ」

 

「んんっ、アンディ様の意地悪っ!」

 

 文句を言いながらどこか嬉しそう。俺に構ってもらえてかなりご満悦な様子。更に強く抱きついてくる。この甘えん坊め。もう一度、頭を撫でる。えへへ、とアマルの表情が緩んだ。この時点で許されることが確定した。

 

 …………チョロいな。

 

「アンディ様」

 

「ああ、何だ?」

 

「……ん、アンディ様」

 

 袖を引っ張られる。いつもの催促。その仕草に苦笑して、腰を屈め軽く唇を合わせる。

 

「っは。アマルはほんとキスが好きだな」

 

「……はい、好きです。口付けも、抱擁も、営みも、アンディ様の与えて下さるもの全て」

 

 首に手を回され、追い討ちに唇を奪われる。ちゅっ、ちゅっ、とキスの嵐が降ってくる。

 

「ん、本当に愛されてるな、俺」 

 

「っちゅ、っぷ、ん。……はい、愛してます。それこそ、狂おしい程に」

 

「あー、ありがたいけど、ほどほどに頼む」

 

「無理です」

 

 またしても即答だった。

 

「そうかぁ」  

 

「ふふっ、私の愛は洪水のように止めどなく。どうか観念下さいませ」

 

「……洪水か。そりゃ、大変だ。その波に呑み込まれないようノアの方舟を用意しないとな」

 

「ノアの方舟。――ふたりでひとつ。ふふっ、ああ、それは素敵ですね」

 

 アマルは目を細め俺の顔を見詰めた。そして、自身の唇に付着した俺の唾液を指先で拭い、更にその指を見せつけるように舐め取った。それは15歳の少女にあるまじき妖艶な仕草だった。

 

 ――ぞくりと、首の後ろが疼く。

 

 寒気を誤魔化すように首元を押さえ、無理やり笑顔を作る。

 

「っ、まあ、お遊びはこれぐらいにして。アマル、腹が減った。悪いが何か食べるもん用意してくれないか?」

 

「はい、勿論。すぐご用意致します」

 

 アマルは従順に頷くと、再度背伸びをして俺の唇を奪った。今度は舌を絡める深いキス。俺の彼女は何処までも貪欲だった。

 

「ん、ちゅっ、本当に名残惜しいですが、そろそろ行って参ります」

 

 部屋を出て行こうと踵を返した、アマルの背中に向けて、

 

「お前は何も言わないんだな……」

 

 そう投げ掛けた。

 

 ヨハンナのこと。

 俺は彼女を背負って来たんだ。匂いに敏感なアマルが気付かないはずがない。

 

「――ーはい。だって、あの人は役目を放棄したのですから。嫉妬はします。でも、それだけ。そこに、もう何もない」

 

「それは、どういう……」

 

「これ以上は意味がない話です」

 

 ぎぃ、と扉が閉ざされた。

 

「アマル……」

 

 アマルの名を呼ぶ俺の声は、閉ざされた扉に跳ね返り、転げ落ち消えた。

 

 

 

 

 

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