黄昏時。
夕日が墓地を淡く照らす頃、俺はやっと墓地全体の落ち葉を掃き終えることができた。この広さをひとりで掃除するともなるとかなりの労力が必要になる。現に俺の両腕は軋み、動かすごとに悲鳴をあげていた。
「修道院の規模に対して、修道士の数が圧倒的に足りていないのが問題なんだよなぁ……」
人手が足りないため、ひとつの労働につき2人以上の人員を割くことはできない。故に、畑仕事や薪割り、掃除など様々な修道士の労働は基本的に1人ないし2人という少人数で行うのである。
額に滲んだ汗をローブで軽く拭った。
修道院へ戻ろう。そして、アマルに疲れを癒してもらうのだ。アマルは肉体労働をした際、必ず俺にマッサージを施してくれる。それを受けると不思議と身体が軽くなり、翌日筋肉痛も起こらない。
仕事から帰るとマッサージに美味しい食事が待っている。更に、その夜アマルは俺に女として嫌と言う程尽くしてくれる。
まぁ、夜事情に関しては、ほぼ強制に近いものがあるが……。
それにしても、良く俺も毎晩アマルに付き合えるな。日本にいた頃は、ここまで性豪ではなかったはずだが。
「ははっ、まさかアイツ食事に精力剤を入れているってことはないよな? 流石にないよな?」
…………いや、アマルならあり得る。
言葉で否定したものの、心の中まで否定できなかった自分が恨めしい。
誤魔化すようにあちこちに視線を飛ばしていると、偶然墓地の片隅に生える木々の間にひっそりと佇む石が目に入った。
「なんだ、あれ?」
石がある場所は、まるで墓地という空間から隔離されているような位置だ。興味が湧き、俺はその木々を抜け石に近付く。
そして、俺は目を見張った。何故なら、夥しい数の古び苔の生えた石が、無造作に突き立てられていたからだ。
石の大きさはA4用紙程度だろうか。そこまで大きくはなく、石の形も不揃いで不格好だ。
「これは……墓石か?」
どの石にも名前は彫られていないようだ。しかし、墓地にあえてたてられているのだから、この石が墓石であることは間違いないのだろう。
名前もなく、放置された墓石群。
所謂、無縁仏というものだろうか。であるのなら、このように合祀されている理由も分かる。しかし、何故隔離するようにこんな隅に追いやられているのか。
一番手前にある墓石をもう一度注意深く見てみる。雨風に晒され、今にも割れてしまいそうな墓石。表には何も彫られていない。身を乗り出し、墓石の裏側も見てみる。
「……ん、あれ? だいぶ擦れているけど、何か彫られているな。文字か?」
更に墓石に顔を近付け、文字を読む。
「……これは、警句である。先に来るものは、死の器へ。後から来るものは青き女神の器へ」
耳鳴りがする。三半規管が揺れ、チカチカと視界が点滅している。立っていることさえ精一杯だ。何とも言いがたい感情が、胸の内をのたうち回る。
憂惧か、恐怖か、増悪か。
分からない。分からない。分からない。
自身の感情さえ、ろくに理解できないことを理解し、俺は自信の虚弱を呪った。
「全てを終え死で満たされた器は、地を這う悪竜となる。我らカエルムに仕えし者の役目は、この地から溢れる死を押し留めることなり。悪竜は切り捨て、燃やし、打ち捨てよ。忘却は救いとならん。……ああ、カエルムの十字架を受け継ぐ者よ。十字架の下、其方は悪夢から守られるだろう。故に、役目を果たしたまえよ。悪夢を恐れるなら、役目を果たしたまえよ」
どくり、と心臓が騒ぎ出す。
首から下げた十字架を握った。
喉が渇く。
汗が吹き出る。
駄目だ。理解するな。そう思いながらも、この文字から目が離せない。これが意味のない言葉であると思うほど俺は愚かではない。だからこそ、理解したくない。
ぽたり、と何かが滴る音がした。視線を落とすと、十字架を強く握り締めすぎてしまったようで、掌が裂け血が流れて落ちている。ぼんやりとそれを眺めていると、幾分か気持ちが凪いだ。
俺はもう一度文字を見返す。
「器……」
それはアマルのことなのだろう。
アマルが双子であったことを考えると「先に来るもの」というのは、「先に産まれた者」。つまり、アマルの姉を指しているのではないか。
死の器というものが、このストーンハーストから溢れる死を押し留める役割を担っている。だが、死の器の詳しい内容は全く分からない。この地に溢れる死。そして、その役目を果たした器が悪竜となる。それは一体どういうことだ?
……ストーンハーストの悪竜伝説の由来は、この死の器なのだろうか。
悪竜は切り捨て、燃やし、打ち捨てられる。つまり、殺されてしまう?
「後から産まれたもの」はアマルのことだ。青き女神を継ぐ器……青き女神とは何だ?
そこまで考えて、目眩がした。
――――空を仰ぐ青いドレスの女性。
一瞬、その姿が脳裏をよぎる。
俺は、彼女を、知っている?
いや、そんなはずがない。
――――そんなはずが、ない。