――ーー時を刻む。
カラン、と刻む。
たったひとりで、気の遠くなる時間、
時が刻まれていく。
時は無情で、無慈悲だが、何よりも正確だった。
ふと、気が付けば彼らはそこにいた。
ああ、沢山の声が聞こえる。
楽しそうな笑い声。
……なんて、羨ましい。
故に、妾は――――
***
「黒殿、気分は落ち着いたか?」
はっ、と息を吐いて、俺はヨハンナを見上げる。そして、彼女の瞳の中に自分を見つけ、自分が確かに今この時この場所に存在しているのだと安堵した。我ながら単純な思考回路をしている。しかし、どこか現実味がないこのストーンハーストで、自身の存在を見失うことの方が何より恐ろしい。
「……黒殿、本当に大丈夫か?」
俺の額に軽く手を当て、ヨハンナは眉を下げた。どうやらまだ俺を心配してくれているらしい。こいつは以前、優しさは有限だと言っていたな。きっとヨハンナの優しさは、一生使っても使いきれないものなのだ。ヨハンナは素直じゃない。でも、それが本当にヨハンナらしい。幸せな気分になって、笑った。
「ああ、大丈夫だよ」
ヨハンナは俺を見詰め、ポカンと口を開いた。珍しく驚きが滲んだ表情に、思わず首を傾げる。
「ヨハンナ、どうしたんだ炭酸の抜けたコーラみたいな顔して」
「たんさんの抜けたこーら? 貴殿は時々分からない言葉を使うな。それと、何だか馬鹿にされている気がする。そのたんさんの抜けたこーらとはどういう意味なのだ?」
「……うーん。説明するのが難しいな。刺激が消えた甘ったるい間抜けな顔の比喩みたいな?」
「喧嘩を売っているなら買うが?」
「ごめんなさい」
即座に謝る。悪かったから、そのファイティングポーズを解いて欲しい。お前と戦って勝てる気がしない。両手を上げて、降参のポーズ。
「謝るなら最初からそのような言動をしないように」
「でも、お前はいつもそんな俺を許してくれるだろう?」
「ーーーーッ」
ヨハンナは無言で、僅かに頬を膨らませた。否定の言葉が出ないあたり、図星なのだろう。子どもっぽい仕草に、思わず笑みが漏れる。
「笑うな。貴殿のその顔を見ると無性に頬を打ちたくなる」
「そうか。我らが主に倣い、打ちやすいように右の頬を差し出そうか?」
「ならば、右を叩いた後は、左の頬を差し出すように」
「このドSめ」
「馬鹿者」
ヨハンナはそう言って、クスリと笑った。あどけない笑み。それは、俺の好きな笑顔だった。
「それで、さっき何に驚いたんだ?」
「……むぅ」
言いずらそうに、視線をあちこちに飛ばす。それも長くは続かなかった。消え入りそうな声で、断続的に呟く。
「……その、先程の笑みが、私が、好きな……貴殿の、笑みだった、ので」
「え」
息が止まりそう。
同じだ。同じだよ。
俺だってお前の笑みが、好きだ。
そう言いそうになる自分を必死に押し止めた。
「ち、違うぞ。好きというのは、言葉の綾だ。別にそれ以上の意味なんてない。先程も貴殿の無闇やたらに幸せそうな笑顔を久しぶりに見て、驚いただけだからっ!」
酷く気恥ずかしげに、言葉を畳み掛けるヨハンナ。こいつがこんな真っ赤に染まった情けない表情を浮かべるなんて、ギャップがありすぎ。ああ、止めろ。止めてくれ。こっちまで気恥ずかしくなる。取り敢えず、息を吸って体制を整える。
「ふぅ、はぁ。あー、分かった。分かったから、落ち着け」
「……わ、私は落ち着いている」
プイッ、と顔を背けるヨハンナの明らかな照れ隠しに、ときめきを感じたのは気のせいだ。……気のせいだということにした。
身体を起こし、辺りを見渡す。木々から漏れるオレンジ色の日差し。どうやら、意識を失ってそれほど時間がたっていないらしい。
「まだ黄昏時だな」
「そう、だな。こんなやり取りをしている場合ではなかった。黒殿、早くここを抜けよう」
さっきまでとは違うヨハンナの固い声。彼女は鋭い目付きで、夕日に照らされ長く伸びた影を見詰めていた。
「ヨハンナ?」
「黄昏時は、危険だ。貴殿も身に染みただろう?」
「ああ。……お前って、切り替えが早いよな」
「切り捨てることが早いだけだ」
簡単に切り捨てられない癖に、何でもないように言う。
俺は無言でヨハンナの手を握った。冷たい彼女の手が俺の熱で温められたら良い、そう思った。ヨハンナはびくりと手を震わせたが、俺の手を振り払わなかった。ギュッ、と握り返された。
「黒殿、行こう。きっとあの方が待っている」
「ああ」
俺たちは足を進めた。
木々の隙間を歩き抜ける。
――ーカラン、と音が聞こえた。
思わず顔だけ後ろを振り向く。
青い衣を身に纏い、佇む女性。
夕日に照らされ、茜色に染まる銀色。
鮮紅の瞳はただ宇宙を見上げていた。
「黒殿……?」
呼ばれて、ヨハンナに視線を戻す。心配そうに俺を見詰める彼女に、何でもないと呟いた。
再び歩き出す。
俺はヨハンナにバレないよう、再度視線を後ろに向けた。
しかし、もう青い衣の女性の姿はどこにもなかった。
―ー―ただ無数の墓石が、静かに佇んでいた。