見よ。
私は、世界の終わりまで、いつもあなたの隣にいる。
***
それは両胡村で最も恐れられていた事象である。儀式が失敗に終わり、ケガレを封じ止めることができず母胎洞から黄泉が流れることを流産になぞらえ黄泉流レと称した。
黄泉とは常世あるいは彼岸、死の世界を指す言葉だ。人の手から離れ、危険に満ちた無秩序の世界、それらは総じて「異界」と呼ぶ。
異界は広域な概念だ。未知な部分が多い山や森、水界も異界であり、人類史で言えば宇宙や人類誕生前、あるいはそれら滅亡後の世界も異界であると言える。
その異界……黄泉が現世に流れるということは、一体どのような意味を持つのだろうか。
黄泉が死という固定概念ではなく、もっと空間的で身近な解釈に身を任せるならば、両胡村の領域が異界に飲み込まれたということになるかもしれない。
そもそも、両胡村は世俗から遠く離れ孤立した集落だった。そのような意味では、両胡村という土地自体既に異界であり、より強固な「黄泉」という異界を受け入れやすい土壌があったと言えるのではなかろうか。
もっと分かりやすく例えるのならば、両胡村は異界の器としての役目を果たし、その器により濃い異界である黄泉が注がれたのだ。
器は両胡村であるが、中身は違う世界。そんなチグハグな領域が生まれた。黄泉流レという言葉が安藤家の古文書に記されたということは、過去にも黄泉流レが起こったことがあるのだろう。
「器、か」
器に満たされた水に顔をつけて息ができないように、静代も黄泉に溺れてしまったのだろうか。それとも異界に適応できるもっと別の
器。
静代。
アマル。
オヤザ様
アマルの姉。
生まれ変わり
そこまで考えて、俺は宙を見上げた。
グッと、ロザリオを強く握る。
ああ、器の中身が、ひとりだけだと一体誰が決めた?
「―――わたしはだれ? 君はそう言っていたな」
ストーンハーストに来てから、何度か囁かれた言葉。あれは、見つけて欲しいというよりも、選んで欲しいというニュアンスの言葉だったのではないか。
もっと言うと、名前をつけて自身を個として認めて欲しい、そういうことではないか。
俺は以前アマルが呟いた言葉を頭の中で反芻する。
『過去も今も未来も必要ない。私たちは曖昧な境界線の上に立っている。いつか混ざり合い、溶けて、消えるだけのものなら、生きることに何の意味があるのか』
混ざり合い、溶けて、消える。
何故もっと早く気が付かなかった。いや、違和感は確かに感じていた。アマルは良く言っていたじゃないか、『私たち』と。思い到れたはずだ。
喉の奥から、ぐもった音が鳴る。ギリっ、と歯を食い縛り、血の騒ぎを抑え込む。
「カエルム、お前だな。お前が俺の頭に入り込み、全てを隠した。そうやって、何度も何度も俺の心を謀った。馬鹿にしやがって、くそ、畜生めッ!」
胸の奥に燻る激情。理性が音をたて、崩れていく。
ああ……駄目だ。
落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ。
もう一度、ロザリオを握り直す。どくりどくり、と蠢いていた心臓を押さえるように、聖なる象徴を左胸にあてがった。
息を吸って吐く。それを何回か繰り返し、やっと落ち着きを取り戻す。
「はぁ、駄目だな。感情をコントロールしないと、持っていかれそうだ」
俺は
混ざり合う……つまり、アマルの中に混ざり合えるそのような対象がいる。
まず思い浮かべるのは、解離性同一症だろう。所謂、多重人格障害というやつだ。
それは幼少期に激しい苦痛や衝撃的な体験によるトラウマなどから、一人の人間の中に全く別の人格が複数存在するようになる神経症。アマルの過去を思えば、極度のストレスから解離性同一障害を発症していても何もおかしい話ではない。
アマルの別の自我。
そう言って思い付くのは、いつかの夜、俺が眠れず寝床を抜け出した時、沈黙の回廊で会ったアマル。
あの時、俺は漠然と彼女をアマルなのに、アマルではないと感じていた。それに彼女は―――
「―――自分のことを
アマルは自身の名前を何故か嫌っている。だから、いつも自分のことを「アマル」と呼ぶ。俺がアマルティアと言うと、眉をひそめた。私はアマルティアではなく、アマルなのだ、と。
「君は、誰なんだ」
虚空に投げ掛けるように、俺は呟いた。返事など期待していない。それでも、それだからこそ俺は。
「……君たちは、一体誰なんだ」
そう問わずにはいられない。
更新遅なってすいませぬ。許されたい……。