聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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ダビデの祈り

 

 修道院の最深部にある礼拝堂へ朝の祈祷に向かうアマルと別れ、俺は修道院の長い廊下を歩いていた。

 

 コツリコツリ。

 

 革靴(ターンシュー)を履いているとはいえ、乾いた足音が消えるわけではない。この音が廊下に反響する度に、自分ひとりがこのストーンハーストに取り残されているような気持ちになる。

 

「はぁ、感傷的にも程があるな。……うん。よし、気持ちを切り替えていこう!」

 

 パチン、と軽く両手で頬を叩いて思考を切り替える。

 

(ええと、今日は……)

 

 予定を頭の中で整理する。

 

 聖務日課において三時課以降から六時課までの間は、午前の労働時間だ。大体、9時から11時すぎ頃くらいまでの間、と言った方が想像しやすいだろうか。

 

(……午前のお勤めは、聖堂の清掃だったな)

 

 聖堂はストーンハースト修道院を出て、葡萄畑を越えた先にある。聖堂までは、徒歩で大体15分程かかる。

 

 ちなみに聖堂の正式名は、カエレスティス聖堂だ。カエレスティスはラテン語で「天空の」または「神の」という意味を持っている。まさに、神への祈りの場らしい名前と言えるだろう。しかし、何よりも癪なのはカエレスティスの語源がカエルムである、という点だ。

 

 彼は本来の名前を捨て、自身をカエルムと称した。

 

(呆れるほどの執着心。共愛ではなく、それはもはや一方的な狂愛だ)

 

 ああ、何とも欲深く独りよがりな名前だ。心底、嗤ってしまう。ただ彼は、カエルムは近付きたかったのだろう。

 

 ……青い衣の女神が座するその天空に。

 

 だからこそ、そう名乗った。一途と言えば聞こえが良いが、やっていることは悪質なストーカーと相違ない。

 

 それと、これは単純に気になったことなのだが、名前のカエルムはラテン語なのに、ストーンハーストが英語であるのは、何か特別な意味があるのだろうか。ラテン語表記に揃えるならば、カエルム・ラピスコッリスと名乗るべきだ。

 

 まぁ、単純にカエルムが英語圏出身の人間だったというだけかもしれない。ただ、この時代、英語圏がどこまで広がっていたのかは謎である。

 

 もしくは、青い衣の女神がカエルムに近い意味合い、あるいは対となる名前だった可能性もある。彼にとって、重要なものは「カエルム」という名前であって、ストーンハーストという名ではなかった。

 

(普通にあり得そうで嫌だな)

 

 溜め息を吐いて、足を進める。

 

 修道院の入り口を出ると、柔らかい日差しがキラキラと瞬いた。空を見上げる。今日は綺麗な蒼天だ。思わず笑みが溢れた。

 

 俺は明るい場所が好きだ。

 それ以上に、どこまでも広い空が好きだ。

 

 空を追いかけ歩く。気分が晴れやかだ。足が軽く、いつもより早く聖堂に辿り着いた。

 

 聖堂の大きな扉を開けようとして、中から微かな声が聞こえることに気がついた。

 

(まだ、ミサを行う時間じゃないはずだけど)

 

 何となく入りづらい。俺は扉に耳を当て、そばたてる。

 

「……神よ、私を憐れんでください。御慈しみをもって。深い御憐れみをもって。背きの罪をぬぐってください。私の咎をことごとく洗い罪から清めてください。あなたに背いたことを私は知っています。私の罪は常に私の前に置かれています」

 

(……これは、祈りの言葉だ)

 

 罪を悔やみ、神に赦しを得る祈り。

 詩編51、ダビデの祈り。

 

「あなたに、あなたのみに私は罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません。私は咎のうちに産み落とされ、母が私を身ごもったときも、私は罪のうちにあったのです。あなたは秘儀ではなくまことを望み、秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。ヒソプの枝で私の罪を払ってください。私が清くなるように。私を洗ってください。雪よりも白くなるように」

 

 微かに聞こえるその声は、聞き覚えがある女性の声だった。

 

(この声は、ヨハンナか……?)

 

「喜び祝う声を聞かせてください。あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。私の罪に御顔を向けず、咎をことごとくぬぐってください。神よ、私の内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前から私を退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再び私に味わわせ、自由の霊によって支えてください。私はあなたの道を教えます。あなたに背いている者に、罪人が御もとに立ち帰るように。神よ、私の救いの神よ。流血の災いから私を救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。主よ、私の唇を開いてください。この口はあなたの賛美を歌います」

 

 寂しげな、愁いを帯びた声。ただの祈りを捧げているだけなのに、何故ここまで心がざわつくのだろうか。

 

 どくり。

 

 心臓が脈動する。

 

 どくり。

 

 心臓が蠢いている。

 

 どくり。

 

 心臓(カエルム)が嗤っている。

 

「……もし、いけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら私はそれをささげます」

 

 脳裏に陽だまりの中で、微笑むヨハンナの姿が浮かぶ。誰よりも優しくて、誰よりも己自身に厳しい女の子。俺はそんなヨハンナを守ってやりたい、と。ああ、そうだ。

 

 ヨハンナが――◼️◼️だと伝えた。   

 手を◼️◼️◼️あった。

 ◼️◼️◼️◼️をして、◼️◼️ばれた。

 ずっと◼️◼️だと◼️◼️あった。

 

 ……あれ、この記憶は。

 

 俺の、記憶。誰のきおく。知らないはずなのに、しっている。ここではない。でも、ここで。

 

 そう思った瞬間。

 

 軋む。 

 頭が痛い。

 チカチカと目眩がする。

 苦しい。痛い。辛い。怖い。

 

 ああ、駄目だ。

 止めろ。止めろ。止めろ!

 もう、これ以上俺から奪わないでくれ!

 

「ヨハンナ……っ、ヨハンナ!!」

 

 俺はヨハンナの名前を叫び、体当たりする勢いで扉を開いた。

 

 

 

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