彼女は何とはなしに尋ねた。
神が人類を造ったのか。人類が神を造ったのか。貴方はどちらだと思う?
彼はどうでもよさげに答えた。
さあね。
ただ、ひとつ言えることは、どちらも等しく失敗作だってことだ。
***
四方から押し潰されそうな焦燥感に駆られ、聖堂の扉を体当たりする勢いで開け放つ。
聖堂内はゴシック様式建築にも関わらず、側廊の屋根の一番高い位置から上の身廊の壁部分にあるべき大きなステンドグラスは存在しない。蝋燭に火が灯されていないため、聖堂奥にあるバラ窓だけが唯一の光源だった。
バラ窓からの光が真っ直ぐ降り注ぐ様は、天空から神が地に降りてくるイメージを抱かせる。その光景はまさに神秘そのものであった。だからこそ、原始的な恐怖を感じさせる。
「ヨハンナ」
光に照らされた石床に、両膝をついて祈りを捧げる少女、ヨハンナ・スコトゥス。
「ヨハンナっ!!」
ヨハンナは俺の叫びにびくりと大きく肩を震わせ、首だけ振り返った。
「……えっ、く、黒殿? そんなに慌てて、どうしたのですか?」
「っ、祈りが聞こえて、ヨハンナが、いなくなりそうで」
「黒殿……?」
ヨハンナはすぐに立ち上がり、足早に歩み寄る。心配そうに、俺の顔色を伺う仕草を見せる。そうだ。彼女はいつだって、俺を気遣ってくれる優しい女の子だった。そういうところに救われていた。
「ヨハンナ」
ヨハンナに声をかけ、抱き締める。
……強く抱き締める。
「あぅ、く、くろ、黒殿?」
ヨハンナは固まり、目を白黒させた。俺の胸を両手で押し、何とか離れんと抵抗する。
俺は彼女の背中に回した左手に力を入れ、更に右手でお尻を鷲掴み、持ち上げるように抱きかかえる。逃げるな。
「ひゃん、くろ、黒殿。ど、どこを触って。やだ、そんなに強く握らないでっ!」
「ヨハンナ……ヨハンナっ!」
「……黒殿?」
先程まで抵抗していた彼女は、俺の顔を見るとすぐに力を抜いた。
「黒殿。大丈夫、大丈夫ですから……」
泣かないで、と背中に手を回して、何度も撫でてくれる。檸檬の薫り。柔らかい身体。優しい温もり。その全てが愛おしい。
「ヨハンナ、行くな。お願いだから、どこにも行かないでくれ」
「ああ、安心して欲しい。私はどこにも行かないよ」
じわりと熱が伝わる。彼女の熱が滲み、溶けて、同化する。この熱を冷ましたくない。ずっとこうしていたい。俺の大切なヨハンナ。
「ヨハンナ、約束したじゃないか。ずっと、一緒だって」
***
雑踏が聞こえる。
――ザザッ。
ノイズが走る。
――ザザッザ。
ざらついた白黒の景色。
『アンドリュー殿、私は貴方を……して』
『……ああ、俺も。ずっと、ずっと一緒に』
――――ザザ、ザザッ、ザ、プツン。
映像が、乱れ、切れ、落ちた。
***
あれは、何だ。
一体どうしたんだろう。
記憶が一瞬飛んだ。
俺はさっきまで、何を見ていたんだ。
まるで、映画を観ていたような……。
「約束? そのような約束は……」
ヨハンナはその言葉の続きを言わなかった。否定せず、俺を気を遣ってくれたのだろうか。
「そうだよな。何か、ごめん。ちょっと混乱してたみたいだ」
「……そうか」
ヨハンナは何かを思案するように、眼を伏せた。
「ヨハンナ?」
「いや、何でもない。それよりも黒殿、ご加減はいかがか? 少し疲れているのではないだろうか」
「いや、そんなことないよ。ただ、ヨハンナが心配なんだ」
「まったく貴殿という方は。私の心配より、自身の心配をしたらどうだ?」
呆れた、と言わんばかりにヨハンナは眉をひそめる。背中をぽんぽんとあやすように叩かれた。完全に子ども扱いだ。まぁ、嫌な気分ではない。むしろ、安心する。ああ、末期だな。
「俺のことは良いんだよ。どうとでもなる。それより、ヨハンナのことが大切だ」
「貴殿、そういうところだぞ。……はぁ、落ち着いたのなら、そろそろ解放して頂いても良いだろうか。私はこれでも修道女だぞ。汝、貞淑であれかし。少しは意識して欲しいものだ」
「あ、悪い。嫌だったよな」
慌ててヨハンナを解放する。取り乱して、いきなり抱き付くとかセクハラで訴えられても仕方ない。普通に敗訴するわ。
「別に、嫌ではないが……。うん。そうだな。もう良いか。……黒殿、少し話したいことがある。できれば、誰も聞かれない場所で」
こほん、と咳払いをひとつ付き、ヨハンナは俺の耳元で囁いた。
「あ、ああ、分かった」
「では、このまま告解室に行こう。Festina lente だ。焦らず、確実に、しかし迅速に」