聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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対となる神

 

 

 

 

 ――――全ては、貴殿の御心のままに。

 

 

 最近、同じ台詞を聞いたように思う。その言葉を口にしたのは、いったい誰だったか。錆び付いた思考を無理やり動かす。

 

 闇に浮き出る銀糸の髪、夕日が沈む瞬間に世界を染める鮮紅の瞳。

 

 彼女は……アマル。 

 そう、アマルだ。アマルティアだ。

 そうだ。そのはずだ。

 そうでないといけない。

 

 …………でも。

 

 彼女は本当にアマルだったのだろうか。

 

 その答えを出す前に、黒殿と名前を呼ばれた。視線を下げるとヨハンナが訝しげ俺を見つめ、気遣うように首を傾げていた。

 

「黒殿、話をこのまま続けても大丈夫だろうか? お辛いのであれば、無理しないで欲しい」

「いや、問題ないよ。そのまま続けてくれ」

「……そうか。ああ、貴殿がそういうなら、このまま話を続けよう」

 

 ヨハンナは右手を胸にあて、服を軽く掴む。それは彼女が、自身の気持ちを落ち着かせるために行う無意識の仕草だった。ロザリオを握る癖が今でも抜けないのだろう。

 

「貴殿はストーンハーストにおいて、複数の役割を持っている。英雄や神としての側面を担う……いや、担わされていると言っても良いだろう」

「担わされている?」

 

 それは誰にだ? と、俺が問う前にヨハンナは言葉を続けた。

 

「女神に」

 

 短い言葉。

 

 一拍置いて、ヨハンナは懺悔室の扉の向こう。バラ窓に遮られた見えるはずのない空を見上げた。

 

「貴殿は間違いなくあの方に愛され、守護されている。それはあの方が貴殿の役割と深く関わる神格を持っているからだ。しかし、それ以上の理由があると私は思えてならない」

「それ以上の理由?」

「黒殿、あのお方は――――」

 

 ヨハンナはそこまで言って、口を閉ざした。何かを迷うように、ぐっと唇を噛む。

 きっとそれは言ってはいけない言葉なのだ。言わせてはいけない言葉なのだ。俺はヨハンナの頬を両手で包み視線合わせる。

 

「ヨハンナ、それ以上はもう良い。頼むから言わないでくれ」

「黒殿……そう、だな。確かに、これ以上は私の領分を越えてしまう。竜蛇殺しの役割を外れたとはいえ、私はそこまで許されていないだろう。でも、これくらいは言わせて欲しい」

 

 待ってくれ。今、かなり重要なことを言ってないか。元々、ヨハンナが竜蛇殺しの役割だったって?

 

「……あの、ちょっとヨハンナ」

 

 ヨハンナそのことを聞こうとして、先に言葉を紡がれた。

 

「黒殿、太陽だけで世界は成り立たない。もうひとつ重要なものがある。貴殿には、それが何か分かるだろうか」

 

 世界を覆う太陽の対になるもの。それは考えるまでもない。

 

「――――月?」

 

 ヨハンナは無言で頷いた。

 

「ああ、そうだ。貴殿が太陽ならば、対となるものは月だ。月を象徴する神。それこそ、あの方が持つ神格のひとつである。貴殿がヘラスの神話をご存知であるのであれば自ずとその答えが分かるはずだ」

 

 太陽神(アポロン)と対となる女神。

 俺が知っている女神は、日本でも有名な一柱しかいない。

 

 …………月と狩猟の女神アルテミス。

 

 アポロンの()()()()である女神だ。

 

 あの青い衣の女性は、女神アルテミスなのか? 

 

 いや、ヨハンナが言うように、正しくはアルテミスの側面を持つ者なのだろう。

 

 うろ覚えだが、アルテミスは処女神だったと思う。

 その女神がアマルと何らかの繋がりがあるとすれば、貞操を捨てることは間違いなく禁忌の行為だ。

 

 確かアルテミスは、筋金入りの男嫌いで潔癖症な女神であり、心を許し接触できた唯一の男性が双子の兄であるアポロンだったはず。

 

 余談ではあるが、アルテミスと言えば、狩人オリオンとの恋話が有名だ。しかし、元々の神話は傲慢なオリオンに言い寄られたため、アルテミスが無慈悲にもオリオンを弓で射殺するという話だったそう。

 オリオンとの恋は、後世で付け加え盛られたエピソードであるらしい。

 

 思考がそれてしまったな。

 

 つまるところ、青い衣の女性はアルテミスの系譜を持つ女神であるということ。

 

 アマルと肉体関係を持つ俺が罰せられないでいるということを鑑みると、青い衣の女神は処女神であるアルテミス以外の側面が強く反映されている。それは、大地母神としての神格が混ざっているのかもしれないということだ。

 

 ストーンハーストで元々信仰されていた異端の神とは、アルテミスに習合された古の大地母神なのだろうか。

 

 ああ、駄目だ。

 正直、頭がついていけない。

 パンクしそうだ。 

 

 キリスト教ではなく、ギリシア神話がいきなり飛び出てきて混乱する。後で改めて、考えを整理する必要がありそうだ。

 

「かの女神は、生命の死と出産、引いては再生を司る。ヘラスでは死と再生は冥界に降り、再び地上戻ることであり、それは即ち人を『異界へと繋げる』ということだ。また、自然とりわけ境界領域としての森や野生獣の守護者でもある。更に、かの神に願いをする際、必ず犠牲獣……贄を捧げる必要がある」

「死と出産、贄か」

 

 それは両胡村の母胎信仰に通じるものがある。オヤザ様は野生獣の特徴を持つ大地母神であるし、双子から産まれた子どもを彼女に捧げる贄として捉えることもできる。

 アルテミスとオヤザ様の違いとしては片割れ、アポロンに相当する神が存在しないということだ。

 

 そこまで思考を巡らせ、俺は何故か10年以上前に聞いた静代の言葉を思い出した。

 

『オヤザ様は、兄さんをずっと待っています。私がそう望んだから、オヤザ様もそう望んでいるのです。だから、どうか―――ー』

 

 静代がそうあれかしと望み、更にオヤザ様が求めていたもの。それは俺、つまり()という存在。

 

 そこに何か繋がりがあるのだろうか。

 

 いや、と俺は頭を振った。

 さすがに、こじつけがすぎるか……。

 

「先日、黒殿が倒れた鎮守の土地は、木々に囲まれた小さな森、境界領域だった。そこで貴殿と私の点が重なった。あの時間のあの場所だからこそ、黒殿と縁が繋ったのだ。故に、あの方は私を完全に解放せざるを得なかった。勿論、黒殿がそうあれかしと願ってくださったということもあるだろう。それは私が貴殿にここまで話せていることこそ、その証左に他ならない」

 

 だから、黒殿。

 

 あの方は強く、強く貴殿を求めている。

 

 それに貴殿はご存知だろうか。

 

 月は満ち欠け、狂気を孕む。

 

 そういうものなのだ。

 

 ヨハンナはそこまで言って、立ち上がり告解室から出て行った。

 

 俺は暫く告解室をでることができなかった。

 

 

 

 

 

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