聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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狂い月

 

 

 

 ……また、夢を見ている。

 

 妹の、静代の夢を。

 

 見ている。

 

 

 ***

 

 

 

「ああ――今夜は満月だったのですね」

 

 御柱神社の鳥居を背に、静代はぽつりと呟いた。

 

 静代の白装束と鴉羽の髪が風にはためいていた。布が擦れる乾いた音が、妙に耳に残る。

 

 鮮血のような朱色の鳥居に縁取られた世界にひとり佇む静代……まるでひとつの絵画を見ているようだった。

 

 切り取られ現実離れしたその美しさは、どこか危うい。

 

 そんなことを考える俺を見て、静代は淡く微笑んだ。微笑んでいるはずなのに、俺には彼女が泣いているように見えた。

 

 なぁ、静代。

 

 お前が助けてとここで泣いてくれたら、俺は何をしてでもその手を取ったのに。 

 

 俺の目の前では、決して涙を見せることのない妹を見る。

 

 その微笑みは、お前の強さの象徴か。お前の弱さの裏返しか。

 

 ――――なぁ、静代。

 

 お前が目の前で救いを求め泣いてくれたなら、俺はきっと間違えなかったのに。

 

 俺たちはどこまでもすれ違って、月を見上げていたんだな。見えている景色が同じではないと、俺だけが最後まで知らなかった。

 

 そのことを今になって気が付いた間抜けな男をどうか嗤ってくれ。お前にはその権利がある。

 

(りゅう)兄さん」

「……ん、なんだ?」

「兄さんも見てください」

 

 月を指差し、静代は一拍おいてから囁いた。

 

「ねぇ、兄さん。月が綺麗ですね」

「……そうか」

 

 俺は肯定とも否定とも取れる曖昧な言葉を返す。

 

 寂寥とした(まなこ)は月の光に照らされ水面のように揺らめいていた。

 

 その姿が綺麗だ、と思った。それ以上に、今にも消えてしまいそうな静代の姿に酷く心を掻き乱された。

 俺の妹はこんなにも儚かっただろろうか。

 

「兄さんもそう思うでしょう?」

 

 静代の言葉に答えず、俺は月を見上げた。

 

「過去も未来も現在も、ずっとずっと永遠に、私はこの月が綺麗だと言うでしょう。ねぇ、隆兄さん。そう思ってはいけませんか? ――そう、思っては頂けませんか?」

「……静代」

「兄さん。月が綺麗ですね」

 

 それは単純な感想なのだろうか。ただ、月が綺麗だ、とそれだけの言葉なのだろうか。その感想にただ共感して欲しいだけなのだろうか。 

 

 そうであれば良い。そうであって欲しい。

 

 もし、それ以外の意味を孕む言葉であれば、俺は静代に「もう死んでもいい」と返せない。

 

「……兄さん、月は太陽の光で輝くのです。太陽がなければ、月は存在できない。だから、求めるのです。月は太陽を求め続ける」

「太陽がなくても、月がいなくなる訳じゃないだろう?」

「ええ、そうですね。でも、そんな月は誰からも見つけてもらえない。誰からも愛されない。ただ、たったひとりで、真っ暗闇の中を揺蕩うだけ。生きているのに死んでいる。そんなことあまりにも惨いではありませんか」

 

 カラン、と下駄が鳴る。

 静代がゆっくり俺に近づく。

 

「ああ――今夜は満月だったのですね」

 

 カラン、と下駄が鳴る。

 彼女がゆっくり近づく。

 

「ああ――今夜は満月だったのですね」

 

 カラン、と蹄が鳴る。

 ■■がゆっくり近づく。

 

「ああ――今夜が満月なのですね」

 

 狂い月。

 狂い憑き。

 

 どうか、忘れないで。

 私を忘れないで。

 

 

 

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