――安藤家。
今から遡ること500年、室町時代の両胡村を牛耳る沙汰人が私たちの祖であった。
その頃の先祖は「
……おそらく、この時には、既に
その後、暗洞は安洞と名を変え、江戸時代中期には安堂と名乗るようになっていた。それは沙汰人としての立場より、神官としての役割に重きを置くことになった現れだろう。
何とも律儀なことだ。
馬鹿馬鹿しい。
名を変えても、本質は変わらない。むしろ、名をつけない方が上手く生きれただろう。名があるからこそ、私たちは縛られる。かねてから、そういうものだというのに。
安堂が安藤という名字に変わったのは、それからおよそ300年後の明治時代。戸籍法が制定されたタイミングで安藤という当たり障りのない漢字に変更した。
近世になり道路が整備され、人の行き来が増加したことがその一因だろう。我らの特異な信仰が露見する可能性を少しでも下げたかったのだ。
安藤家直系の女にのみ、この名字の成り立ちの真実を学ぶ。いや、正しくは、オヤザ様の邂逅から始まる安藤家の歴史を受け継ぐのだ。
それは本来の神事を取り仕切る者が、私たち安藤家直系の女であるからだ。
それは何も不思議なことなどではない。古来より、神の依代になり、交信する行為は女性の役割だったのだ。
隆兄さんが取り仕切る『死宮之儀』、『新宮之儀』はあくまでも表、陽祭である。
『
陰祭はオヤザ様を鎮める『
兄さんは『御罪祭』も『石棺祭』のことを知らない。
それで良い。
そうでなければいけない。
これは女だけの祭、男が知り得ない陰祭。
ああ、何より兄さんには、綺麗なままでいて欲しい。光輝く太陽のような人であって欲しい。
兄さん、隆兄さん。
私の光、私の主、私の唯一愛するお方。
何も知らないまま、生きてください。私以外の記憶に蓋をして、このままずっと生きて死ぬまで。
兄さんの記憶を――
私が隠します。
私が塞ぎます。
私が守ります。
遠く離れていても私を想い、生きてくださるなら。私のこの想いを背負って、ずっと一緒にいてくださるなら良い。
だから、私の想いを置いていかないで。
どうして。
どうして、どうして。
どうして、どうして、どうして、どうして。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
どうして、置いていくのですか?
――――私を/想い/出して。
****
悪夢から逃れるように飛び起きる。
「っ、はぁっ、あっ、はぁ」
頭の中に、流れ込こんだ映像が恐怖を増長させぞわりと総毛立った。心臓が激しく脈打ち、息ができない。
あれは静代の過去か?
いや、このストーンハーストが過去であるのならば、先程の映像は未来の出来事になるのだろうか。それとも、別次元の静代を垣間見たのだろうか。
頭が混乱し、考えが纏まらない。
「……アンディ様? どうかなされたのですか?」
俺の横で眠っていたアマルが、俺を見て不安げに瞳を濡らしていた。
「何でもないよ。少し夢見が悪かっただけだ。起こしてごめんな」
「夢見が……ああ、そうですか」
アマルはスッと目を細めた。そして、俺の瞳を覗き込むように見詰め、静かに微笑んだ。それは、憐れむような、蔑むような笑みだった。直感的に、その笑みが俺ではない誰かに向けられているのだと理解した。
「アンディ様、大丈夫です」
アマルはそれだけ言って、俺に口付けを落とした。俺の唇を甘噛みし、舌で唇をつつく。それは、口を開けてという彼女のサインだった。促されるまま、少し口を開くとすぐさまアマルの舌が口内に侵入する。アマルは俺の舌を強引に絡め取り、歯茎を舐め、唾液を啜る。それは俺がアマルに教え込んだ技巧のひとつだった。
「ん…っ」
アマルの唇から漏れる吐息が熱を帯びていく。その声には、どこか甘さが混じり始めていた。
どうしてだろう。どうして、アマルはこれ以上何も聞かないのだろう。俺が何か秘密を抱えていることを知っているはずなのに。俺がアマルを通して
何度も唇を交わし、その合間合間にアマルが言葉を紡ぐ。
「っ、はぁ、アンディ様。ん、ちゅ。アンディ様、過去の残滓など、捨て置けば良いのです。ふっ、ん、未来の虚像など、まやかしだと言い切れば良いのです」
アマルは何でもないようにそう言った。それだけだった。
なるほど、と理解する。
ああ、こいつは心底どうでも良いと思っているんだ。俺以外のことは全て、何もかも本当にどうでも良いと思っているんだ。
それがどこか頼もしくもあり、恐ろしくもあった。
無機物を見るような瞳で、アマルは世界を眺めている。その視界はきっと灰色なのだろう。少なくとも俺を除いた彼女の世界はそういう色をしている。
アマルの境遇は間違いなく不幸だ。
しかし、俺に出会うまで彼女はそれを受け入れていた。もしかして、不幸だとすら思っていなかったのかもしれない。だからこそ、俺という存在は彼女にとって劇薬だった。
「未来にして、過去のあなたへ。……アンディ様は、決して渡しはしない。そのまま見ているが良い、指を加えて」
アマルの瞳は、黄昏色よりも更に濃く、日が地平線に落ちる間際、闇と紅が入り交じった空の色に似ていた。