聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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顔のない神
深い淵から


 

 

 De profundis clamavi ad te,

 

 深い淵から、私はあなたを呼び求めます。

 

 Domine;Domine, exaudi vocem meam.

 

 主よ、主よ。私の声を聞いてください。

 

 Fiant aures tuae intendentes

 

 耳を傾けてください。

 

 in vocem deprecationis meae.

 

 我が哀願の声に。

 

 

 ***

 

 

 湿った音が聞こえる。

 

 一定のリズムを保ちながら、室内に響く。それに呼応するようにベットがギシギシと軋む。

 

「んっ、はぁ、あぁ」

 

「ふっ、アマル」

 

 身体が痙攣し足先がピンと張って、アマルは切なげに唇を噛み締めた。月光が汗ばんだ肌を照らし、彼女の美しさは一層際立って見えた。

 アマルの甘い吐息が頬にかかった。仄かなバラの薫りが鼻腔に抜ける。

 

「―――――ッ」

 

「ぐっ、アマル……っ」

 

 アマルは快楽の波に耐えきれず背を反らした。息を荒上げ、甘い吐息が部屋に反響する。

 

「あぁ……アンディ様」

 

 怖気つくほど、妖艶な表情。人と言う枠組みを越えたその美しい貌は、あまりにも神秘的で、まるで女神のようだと言いたくなる。

 

「ん、アンディさまぁ」

 

 アマルは俺の背中に手を回し、俺をぐっと引き寄せた。

 

「あ、アンディ様、アンディ様、くぅ、んん、あっ、ふっ、ふふっ」

 

 俺の名を何度も呼んで、虚空に向けて無造作に、恍惚の笑みを向けた。誰かに見せつけるような愉悦を孕んだ微笑み。それは笑みというには、あまりにも……禍々しいものだった。

 

 ――お前は誰を見ている。

 

 ――その瞳には何が映っている。

 

 俺はその問いを言葉にすることができなかった。言葉にしてはいけないと思った。

 

「はぁ、はぁ……アマル、大丈夫か?」

 

 俺は息を整えながら、アマルの瞳を覗き込む。

 

 吸い込まれるような――――紅い、朱い、緋い、赤黒い眼が俺を見詰めている。

 

 俺はその瞳を見たことがある。

 

 でも、一体いつ、どこで? 

 

 暗い、暗い、暗い。

 深淵の先の先。

 ぴちゃり、と水の滴る音がする。

 

 ああ、そうだ。

 ずっと、ずっと昔、両胡村で、俺はそれを見たことがあるんだ。

 

 

 ――――あの赤黒い……瞳を。

 

 

 どくり、どくり、どくり。

 心臓が何かを求めるように蠢いた。左胸に手を当て、ふっと息を吐く。騒ぐな。騒ぐな。騒がないでくれ。

 

 アマルが俺の頬を優しく撫でる。

 

「――アンディ様、花が咲いているのです」

 

「……えっ、は、花。何を言ってるんだ?」

 

 脈略のない言葉に、動揺する。いきなりどうしたんだ。困惑を隠せず声が震えた。

 

「純白の花。白詰草(クレー)が咲いていたのです」

 

 淡々と口にする言葉は、ひどく冷たい。

 

「それは彼女のものでした。大切な想いを託した花でした。だから、彼女はその花の冠を胸に抱いているのです。とうに枯れ果てたその花冠を」

 

 あまりにも、滑稽で未練がましいではありませんか。

 

 だって、と嗤いながらアマルは呟いた。

 

「……綺麗に咲いた花冠は、もう私のものなのですから」

 

 俺の返事を求めていない彼女の呟きは、夜に溶けていく。事実だけを口にした、少なくともアマルにとってはそうなのだろう。

 

 俺は声をかけることができなかった。  

 その言葉は俺に向けられたものではないからだ。

 

 きっと、その言葉は――――

 

 

 

 

 

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