聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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ヒマツリ

 

 

 修道院の裏手の芝生で寝転び、俺は空を見上げた。薄青色のどこまでも澄んだ朝空。夜明が開けてから、さほど時間はたっていない。

 

「……静代、お前は俺を守ってくれていたんだな。お前を置いて、逃げ出した俺をずっと、ずっと」

 

 両胡村のことを忘れたくて、自分で記憶に蓋をしたのだと思っていた。思い出したくなかったから、記憶を消したのだ、と。でも、違った。静代が俺の記憶を塞ぎ、封じたのだ。俺の心を守るために、俺を想って全てを隠した。

 

 それなのに、俺は――お前の想いを置いて生きていこうとした。

 

 昨晩の夢を見てから、俺が取り仕切るはずであった儀式を思い出した。

 

「……ヒマツリ」

 

 

 両胡村でかつて行われていた祭祀の名は「ヒマツリ」。

 

 陽祭、あるいは、啓祭、また比祭とも書かれるその祭祀は、憑依儀礼……つまり、神降ろしの儀式である。

 

 ヒマツリは干魃に虫害、疫病が蔓延した長禄・寛正の大飢饉の発生とともにはじまったとされる。その未曾有の大飢饉により、全国で多くの人間が飢えに苦しみ亡くなった。それは両胡村も例外ではない。

 村は飢人や病人で溢れかえり、壊滅状態に陥っていた。飢えから、食人に手を染めた村人もいたという。そんな極限状態の村人たちを救った神がオヤザ様だった。

 

 伝承ではオヤザ様が自らの角を折り、村人に与えた。その角から、大量の果物、穀物が止めどなく溢れ、村人はそれを食べ生き長らえることができた、と。

 

 それ以来、村人はオヤザ様は豊穣の神として祀り、信仰してきた。さらに、彼らはオヤザ様を両胡村に滞在させるために、神降ろしの祭祀を行ったのだ。

 

 オヤザ様を母胎洞に祀ったのは、オヤザ様が外に出ぬよう制御しようとしたのかもしれない。母胎洞自体が、ある種の結界になっていたと考えれば、人の内臓のように張り巡らされ、迷路のように入り組んだ母胎洞は、外部からの侵入を極力控え、オヤザ様を押し止めるための箱庭として機能を果たしていたと言えるのではないか。

 

 ヒマツリを行うためには、儀礼を取り仕切る安藤家の長男である斎主、それを補佐する斎員が少なくとも四名、神降ろしの依代となる依女《よめ》とそれを孕んだ巫女の七名が必要となる。

 

 巫女に選ばれる資格は、斎主の双子の妹であることを前提に、斎主の子を孕んだ臨月の妊婦であることが望まれた。

 姉弟ではなく、兄妹が良いとされたのは、おそらく兄妹神であったイザナギとイザナミの神話に影響されたのだろう。

 

 ヒマツリの手順を簡単に纏めると以下の通りである。

 

 最初に、修祓を行う。

 ヒマツリを取り仕切る前に、御柱神社で斎員が祓言葉を奏上する。これは、斎主と巫女から不浄なもの祓うとともに、母胎洞に悪霊が入り込むのを防ぐためだ。ここで使用する大麻(おおぬさ)は、一般的な榊ではなく柊を用いた。柊は魔除けとして使われるが、ヒマツリで柊を扱うのは、柊の名前が鋭い棘がある葉が刺さるとヒリヒリ痛むことを意味する「(ひいら)ぐ」が由来であるからであろう。痛み疼く出産の苦しみを斎主に与え、同じ痛みを分かち合うことことで神に触れ近付くと考えられていたのだ。

 

 穢れを祓った後、斎員が巫女の四方を囲み、御柱神社から安藤家の地下まで先導する。これは、斎員がその身をとして、悪霊のケガレを巫女に憑かせないよう守るためだ。故に、斎員は安藤家の血族である必要があった。特に斎員は巫女と血の繋がりが濃い三等親以内の親族が選ばれる。つまり、斎員は巫女の囮の役割を担っているということだ。

 

 母胎洞の入口で、再度斎員が祓言葉を奏上する。そして、それが終わると、斎主と巫女の二人が母胎洞に入る。

 斎員は入口に留まり、ヒマツリが終わるまで、鳴弦の儀を行い悪霊の侵入を防ぎ続かなければならない。

 

 母胎洞の最奥に進む前に、斎主は巫女を四歩下がらせ、警蹕を発する。四は死を連想させる不吉な数字とされるが、ヒマツリが依女に神降ろすことで、人が神に生まれ変わる儀式だと考えれば、あえて四に揃えたのだろう。一度、依女が死を迎え、母胎洞の最奥……つまり子宮に戻ってきた魂である、と示すためだと考えられる。

 

 母之泉の前まで進み一拝し、献饌を行う。

 神饌は一般的に米や塩、酒だが、両胡村では山羊の乳、円型の蜂蜜ケーキを供える。周辺地域には見られない両胡村独特の神饌である。

 

 それから、鶏鳴三声を行う。ただ、この儀礼の鶏鳴三声は両胡村独自のものである。通常、鶏鳴三声は「カケコー、カケコー、カケコー」と鳴声をあげるが、ヒマツリでは「フィーヨー、フィーヨー、フィーヨー」と、甲高い鳴声をあげる。

 それに対して、囁くような風の音が聞こえれば、オヤザ様が応答し、降神の場が整う。

 

 

 

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