聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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四辻の護り手

 

 

 

 あなたは夜な夜な大宇宙を守護し、その前には神霊も不死の神々たちも震え上がる。

 

 あなたは天界の上をも歩き、冥界よりも深い深淵をも歩く。

 

 あなたは始まりであり終わり。

 

 あなただけが万物を支配する。

 

 あなたこそ、支配者を支配する者である。

 

 

 

 

 ✳✳✳✳

 

 

 

 

 さて、とヨハンナは話を区切った。

 

「話を戻そう。妹君が貴殿をこの場所に(いざな)ったならば、そこに明確な意図があるはずだ」

 

「……意図、か」

 

「何か心当たりはあるだろうか? 例えば、ストーンハーストと貴殿の故郷の共通点……」

 

 共通点。

 山の奥深くにある両胡村。

 深い森の中にあるストーンハースト修道院。

 枯れた湖跡に建てられ、焼け落ちた村。

 

 ──双子。

 

 俺と静代。

 アマルと姉。

 

 ふたりとも“片割れ”を失っている。

 その運命も、内に残った喪失も、きっと同じ色をしている。

 

「一番に思いつく共通点は、やっぱり双子の片割れを亡くしたことだと思う」

 

「……このことは、あの方にも話しているのか?」

 

「いや、話していない」

 

「そうか。その方が良いだろう」

 

 ヨハンナはそう言うと、急に静かになった。単に考え込む沈黙ではない。空気がひと息ぶんだけ重くなったように感じる。彼女はそっと視線を伏せ、手を胸の高さで前に出し、手のひらを天に向けた。

 

 それは祈りの所作に似てはいるが、キリスト教の祈りとは違う──

 

 ヨハンナは祈りを終えると、ゆっくりと顔を上げた。

 

「黒殿、それを手に私の言葉を復唱してください」

 

 ヨハンナは俺に視線で促した。

 俺の胸元──以前、彼女が手渡してくれたロザリオを。

 

 言われるままに握る。

 

 それを見ると、ヨハンナは周囲に視線を巡らせた。青空の下なのに、その目だけは光より影を探しているように見えた。それは、まるで“見えない何かの気配”を確かめているようだった。

 

 陽射しは穏やか。

 風に揺れる草の匂いも心地いい。

 

 なのに──どうしてこれほど、心臓がざわつくのか。

 

ἄσκι(アスキオン) κατάσκι ( カタスキオン ) λίξ(リクス) τετράξ(テトラテスク) δαμναμε(ダムナメネ)νεὺς(ウス ) αἴσιον(アイシオン)

 

 ヨハンナは淡々と、しかしどこか厳かな調子で言葉を紡いだ。

 その声は不自然なほど静かで、風の流れすらその瞬間だけ止まったように感じられた。芝生に腰を下ろしているのに、足元が遠のいたような、妙な浮遊感が一瞬だけ胸をよぎる。

 

「ええ、あ、すきおん? かたす、てと、らてくす、だす、あい……?」

 

 意味どころか、音の構造さえ掴めない。脳が理解を拒むように、自分の声が、さっきより少しだけ掠れて聞こえた。舌が普段と違う動きをしているようで、上手く発音できない。

 

 そんな俺の姿を見て、ヨハンナはほんの少し笑みを浮かべ軽く首を振る。

 

「黒殿……もう一度、私の言葉をよく聞いて。言葉を理解する必要はない。そもそも、この言葉自体に意味などないのです。重要なことは、意味ではなく“音”。このἘφέσια (エフェソス)γράμματα( グラマタ )を正確に発音できているかどうかです。音の連なりさえ合っていれば良い」

 

「そ、そうなのか。……じゃあ、もう一回頼む」

 

 ヨハンナは軽やかに頷き、再び発音をゆっくり区切って聞かせてくれる。

 

「ἄσκι κατάσκι λίξ τετράξ δαμναμενεὺς αἴσιον」

 

 俺もそのあとを追うように口を開いた。

 

「……アスキオン・カタスキオン・リクス・テトラテクス・ダムナメネウス・アイシオン」

 

「発音が違う。もう一度」

 

 ヨハンナの指示に従い、何度も復唱する。そのたびに舌の位置や母音の伸ばし方を細かく直される。

 

「ええと、ἄσκι κατάσκι λίξ τετράξ δαμναμενεὺς αἴσιον」

 

 何度目かの発音を口にしたとき、ヨハンナの手がぴたりと止まった。

 

「……黒殿。もう一度」

 

 促され、俺は再度ゆっくり発音する。

 

「ἄσκι κατάσκι λίξ τετράξ δαμναμενεὺς αἴσιον」

 

 自分でも驚くほど、先ほどまでのぎこちなさが消えていた。

 

「ヨハンナ、これって……何なんだ?」

 

 ヨハンナは短く息をつき、小さく頷く。

 

「これはヘラスの呪術のひとつです。安心してください、黒殿。呪術といっても人を害するものではありません。外から忍び寄る災いを遠ざける言葉です」

 

 そう言いながら、彼女は俺の握るロザリオに視線を落とした。

 

「……黒殿。実は、貴殿にまだお伝えしていないことがあります」

 

 

 ヨハンナのその眼差しには、わずかばかりの緊張がにじんでいた。

 

「そのロザリオについてです。──いえ、正確には“ロザリオではないもの”と言うべきでしょうか」

 

「……どういうことだ?」

 

「言葉の通り、それはロザリオではありません。四本の道が交わる“十字路”──四辻をかたどっているのです」

 

「ええと、四辻……?」

 

 思わず手の中のロザリオを見つめ直す。

 ヨハンナはロザリオ──いや、四辻の護符を見つめながら、静かに言葉を継いだ。

 

「ええ。ヘラスでは、四辻はある女神の象徴でもあります。──境界を見守る、夜の護り手。境界を跨ぐ者の足元に灯を置く女神、その名は────」

 

 ヨハンナはそこで、ふっと言葉を切った。

 

 沈黙が落ちる。

 続きがあるはずなのに、あえてやめたような、そんな静けさ。

 

 

「────ヘカテー」

 

 

 

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