その日の午後、俺は再度談話室を訪れていた。
「えっ、もうここを出るのか!? 昨日来たばかりじゃないか!」
思わず、大きい声が出てしまった。カタリナは、申し訳なさそうに肩を竦める。
「ええ。ごめんなさい、アンディさん。お父さんが今すぐに王都に行くって言うの。修道院に長居してはいけないって。私もまさかこんなに直ぐだなんて思わなかったわ」
カタリナの困惑した表情を見て、勢いが萎えてしまう。カタリナはしょんぼりと肩を落とし、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……そっか。しょうがないよな。これで最後の別れって訳じゃないし。また、次ここに来たときに話を聞かせてくれ」
「もちろん。……でも、お父さんにも困ったものね。何もこんなときに王都に行かなくてもいいのに」
「こんなときって?」
俺は頭を捻る。ここには、王都どころか近隣の情報さえ流れてこない。興味が引かれ、カタリナに聞き返す。
「先日、陛下が崩御されたの。皆不安がっているわ。王権と教会の均衡が崩れてしまうって。只でさえ、混乱が続いているのに……。本当にどうしようもないわ。平和なんてどこにもない。現実はまるで悪夢みたいよ」
「ケイティ、そんなところに行って大丈夫なのか?」
「アンディさん、心配してくれてありがとう」
カタリナは、微笑んだ。「秘密よ」っと、言って言葉を続ける。唇に人差し指を立て、軽く当てる仕草。どうやらそのボディランゲージは万国共通のものらしい。なんと言うか、ほっこりする。
「……本当を言うとね。行きたくなんてないわ。王都では、教会が幅をきかせているって噂になっているの。それに合わせて、魔女狩りや異端審問も盛んになってきたみたい。悪魔や魔女と、いつ自分が貶められるか分かったものじゃない。でも、お父さんの言うことは守らないといけないの。……本当に女って損よね。自分のことなのに、何一つ自分で決められない。男の人の言うことを聞いて、一生その通り生きていかなければいけないの」
「ケイティ……」
俺はそれを聞いて、余計心配になった。魔女狩りや異端審問のターゲットとなった人々の多くは、当時社会的地位が低かった女性である。神の名の元に無実の人々を食い物にする。最低最悪の所業だ。
そこには誠の信仰などあったのだろうか。血でその腐敗した手で汚し、貶めただけではないか。贖いなどなく、振り返ることすらない。ただ殺戮と陵辱が繰り返された。
「女性だからって、蔑ろにされて良いわけがない。そんなことあってはならない。俺はそう思う。それに、神様はケイティのことを、ちゃんと見てくれている。きっと、大丈夫だ」
そうであったら良い。
そうあって、欲しい。
気休め程度の言葉を白々しく紡ぐことしかできない自分の無力さに、俺はそっと目を伏せた。神様なんて信じていない癖に、何とも滑稽なことだ。
「……ありがとう。アンディさん、少し楽になったわ。アンディさんも気を付けてね。貴方は異国の人だから、目立ってしまう。でも、ここにいる限り大丈夫よ。神様のお膝元ですもの」
「ああ、そうだな。修道院で大人しく引きこもってるよ」
カタリナは目を細め、微かに口を緩めた。
「ねぇ、私、とても楽しかった。一日しかお話しできなかったけど、貴方はちっとも高圧的ではないし、女だからって見下したりもしない。ずっとそのままの貴方でいてね。そうして、また一緒にお話ししましょう」
「勿論だ。俺こそ楽しかった。また絶対に会おう。それまで、どうか元気で」
「ええ、貴方に神のご加護がありますように」
「君にも神のご加護があるように」
俺たちは笑顔で、握手をした。カタリナは準備があるからと談話室を後にする。
俺はそれを見送って、椅子に座り込んだ。これでまた外の情報源がなくなってしまった。ため息をついた。
この時代は酷く不安定だ。目に見えないものを守るために戦が起こる。人の命など、信仰より軽いとでも言うように。妄信的な狂気が渦巻く世界だ。だからこそ外の情報が重要なファクターになる。俺には情報が必要だ。手遅れになる、その前に。
俺はもう一度、深いため息をついた。窓を見やる。その先には、憎らしいほどの青空が広がっていた。
部屋に戻ると、アマルが俺のベッドに横になって枕に顔を埋めていた。クンクンと匂いを嗅いでいる。頭が痛い。いつから、こんな甘えん坊になったんだ。昔のクールなアマルが懐かしい。
「はぁ、アマル。お前は俺のベッドで何をしてるんだ」
「……アマルは怒っているのです」
むすっとした声で、返事が返ってきた。俺はベッドに腰かけて、苦笑する。
「一体何を怒っているんだ?」
「またあの娘と二人で会っていました。昨日の今日なのに、アンディ様はひどいお方です」
俺は笑った。こうやって不満をちゃんと言ってくれている。俺の言い付けを守って、律儀に努力している。その健気さ、そしてその可愛らしさが何とも微笑ましい。
「何もないって言っただろう。アマルは心配症だなぁ」
「心配にもなります! アマルはアンディ様だけですもの。でも、アンディ様はそうじゃないから……」
「まったく……すぐにそんなことを言う。こうやって一緒にいるのはアマルだけだよ。アマルといると一番落ち着くからな」
「……っ、アマルは誤魔化されません!」
アマルは、ぱっと顔を上げた。嬉しそう。唇をもにょもにょさせている。笑みを殺しきれてない。誤魔化されてる。絶対に誤魔化されてるぞ。
……チョロすぎないか?
「どうしたら信じてくれるんだ?」
笑いを堪えながら、俺はアマルを見た。俺の言葉を聞いてアマルは、無言で両手を広げる。抱きしめろ、という訳か。俺は靴を脱ぎ、ベットに上がってアマルを正面から強く抱きしめる。甘く蕩けるような良い匂いが、ふんわりと広がった。
首元に顔を埋める。アマルはくすぐったそうに、身体を捩った。クスクスと笑い声が聞こえる。ソプラノの透き通る声だ。抱きしめると良く分かる細く華奢な身体。豊満な胸。そのアンバランスさが、何とも言えない色気を醸し出していた。
駄目だ。ムラムラしてきた。
今朝のあの柔らかい感触を思い出し、俺は心の中で般若心経を唱え始めた。煩悩退散。
そんな俺の努力を尻目に、アマルは更に強く抱きついてくる。胸がひしゃげる。甘い香りが強くなる。
ごくりと、唾を呑む。
俺は我慢できなくなって、そのままアマルをベットに押し倒した。駄目だ。ほんと、駄目だ。
アマルはきょとんとした赤い目でこちらを見詰めてくる。長い銀髪がベットに広がった。頬を撫でると、アマルは頬を上気させ愛しそうに微笑んだ。ぐっと、その唇に顔を近づけそうになるのをなんとか理性で抑え込む。
(いやいや、落ち着け自分。不味いだろう。さすがに、駄目だ)
俺は一生懸命言い聞かせる。このまま手を出したら、終わりだ。いろんな意味で終わりだ。自分の気持ちを落ち着かせるために、俺はアマルにそっと聞いた。
「アマル。その、お前今何歳になるんだ」
「私の年齢ですか……? 数えで、15になりますが」
思わず、固まる。数えってことは、いまじゅうよん、14歳かー。そっか、なるほど。詰まるところ中2か……そっかそっか。ふーん。
……現代なら即効アウト、余裕でお縄確定でした。
大人びて見えるから、てっきり18・19歳ぐらいだと思っていた。
14歳と27歳。
まさかの13歳差。
そこには、絶対に追い付けないものがあった。俺はひゅんとして、冷静になる。アマルから身を離して、ベットから降りて座り直す。考える人のようなポーズで、頭を抱えた。
―――これから自制しようと、強く心に決めた瞬間だった。
いつも誤字脱字の訂正ありがとうございます。