落ち着きを取り戻したアマルは、ベッドに仰向けで寝転がる俺の上に身体を乗せて抱きついていた。俺の首元に頬をすり付けて、甘えてくる。なんだかマーキングされているような気分だ。むずむずする。
「アマル、くすぐったいんだが」
「……ずるいアンディ様が悪いのです」
「はいはい、悪い悪い」
艶やかな銀糸の髪を子どもをなだめるように撫でる。アマルはすんっと、鼻を鳴らし顔を上げた。潤んだ瞳で俺を見詰めてくる。
「ん、アンディ様、あしらわないで下さい。アマルは寂しいです」
「あしらってないよ。まったくどうしたんだ? 今日はずいぶん甘えたじゃないか」
「私はいつだってアンディ様に甘えていたいんですっ!」
「はいはい。分かった分かった」
「もうっ、またそうやってあしらう……」
頬を膨らますアマル。
こりゃ、リスだな。頬にドングリでも詰め込んだか?
俺は笑ってその頬に、両手を添えた。軽く揉んで、柔らかさを堪能する。そうしていると、アマルの顔が紅潮し、風船の空気が抜けるように頬が萎んだ。
「アマル?」
その様子を怪訝に思い、どうしたんだと俺は顔を近づける。アマルは恍惚とした表情を浮かべ、そんな俺を見詰めていた。至近距離まで顔を近付けてから、はっと自身の状態に気づいた。アマルを胸に抱いて、頬を掴み顔を寄せている。
どう考えても、キスする10秒前でしたありがとうございます。アマルはそっと目を閉じた。完全にその気だ。とりあえず、ストップをかけなければ、そう思いアマルの顔を真っ直ぐに見詰める。
(くそ、無駄に顔が良いっ! アマルは自分自身が美少女である自覚がない。だからこそ、酷くたちが悪い。天然でこれだもんな。ちくしょう、俺は負けないぞ)
何と勝負をしているのか、自分でも分からないまま決意を固める。負けず嫌いではないけれど、俺だって譲れないものぐらい持っている。それは大人としての矜持であり、妹と同年代の少女が相手という個人的な罪悪感である。
俺はアマルの鼻をむぎゅっと、摘まんだ。アマルは驚いたように目を見張って声を出す。
「うひゃん、なぁみふゅんでふかぁ!」
「いや、つい……」
「ちゅい、じゃありませふっ! て、はなひてくだひゃい!」
「分かったよ」
鼻から手を離す。
アマルはむくれ顔で、口を尖らせた。
「ひどいです」
「いや、なんかアマルが鼻を摘まんで欲しそうな顔をしていたから」
「……摘まんで欲しそうな顔などしておりませんッ。アンディ様は意地悪です」
「そうか。俺は意地悪か」
「それから、ずるいです」
「なるほど、意地悪でずるいか」
珍しく抗議してくるアマル。いつも俺に対し彼女は従順な態度を崩さないため、このような発言はとても新鮮だ。俺は、ウンウンと相槌を打ちながら話を聞く。
「でも―――」
俺は、ふむと頷く。そして、言葉の先を視線で促す。アマルはそれを見て、俺の胸に顔を擦り付ける。
「――ーでも、そんなところも……アマルは」
お慕い、しています……と、か細い声が耳まで届く。俺は赤くなった頬を隠すために、手で顔を覆った。
とっくの昔に過ぎ去った青春が、一周して戻ってきた。そう錯覚する程、俺の胸は躍動していた。
***
「それでアンディ様、何があったのですか?」
「……何がって?」
「先ほどのお話です。表情が変わったとおっしゃっていましたでしょう?」
「ああ、それのことな」
思い返してみたものの、今日1日何か特別なことはなかったように思う。しいて言うなら、ヨハンナと無駄口を叩き合っていたぐらいだ。
でも、表情が変わったと言うなら、それが原因だろうか。ヨハンナと気の置けない会話を繰り広げて、少しすっきりしたから。それが顔にも出ていたのかもしれない。
「ああ。まぁ、そうだな。表情が変わったと言えば、ヨハンナのおかげかな。アイツと色々話をして、スッキリしたってだけだよ」
おかげと言うのもしゃくだが、それは間違いない気がする。ヨハンナのにやりとした笑みが頭に浮かんだ。
「……ヨハンナ。ヨハンナ・スコトゥス」
アマルはピクリと眉を動かした。俺はそれを不思議に思いつつも、そのまま続ける。
「ああ、そのヨハンナ。というか、そのヨハンナ以外俺は知らないけど」
ヨハンナとのやり取りを思い出して、思わず吹き出す。そして、天井を見上げる。底抜けの青空を幻視した。
「そう、なのですね……あの者が、アンディ様と」
「あいつ喋らなかったら清楚な美人なのに、結構口悪いんだぜ。しかも、ドS。痛いとこを的確についてくる。……でも、それ以上に優しいやつだよ」
「……そうですか」
「それに、ヨハンナはお前を気遣ってたみたいだけど」
発言の意図を探るように、訝しげにアマルは俺を見た。そして、深紅の瞳を細め、静かに俺の頬に手を添えた。ひどく冷たい手だった。
「ヨハンナ・スコトゥスが、私を……ふふっ」
「どうしたんだ、アマル?」
いいえ、とアマルは首を振った。それから何かを思案するように彼女は目を伏せた。手を左胸に置き、ふぅ吐息を漏らす。緊張を和らげているようにも、鼓動を確かめている動作のようにも見えた。
「―ー―ああ、本当に困った人」
それは誰に言った言葉だったのか。
ごちゃまぜになった感情を宿した瞳からは、それを伺い知ることができなかった。
アマルは伏せていた顔を上げて、視線を天井の向こう。その最果てに向けた。彼女は何をそこに幻視したのだろうか。暗く淀んだ瞳の先にあるものは少なくとも、青空ではないことは確かだ。
壊れながらそれでも……それでも必死に音を出し続けているラジオ。いつから壊れているのかも分からない。この世に産まれてからなのか。この世に生まれたからなのか。
不協和音でも、音を鳴らして響かせる。それに何の意味があったのか。その存在に何の意味があったのか。
――ーその答えを、今も探している。