夕暮れ、影が伸び手招く。
宵闇、悪夢が静かに這い寄る。
朝焼け、全ての罪を抱いて眠り。
青空、見上げることさえ叶わない。
***
アマルと想いを確め合った翌日。俺は羊皮紙の内容を書き写した手帳を懐に入れ部屋を後にした。
さて、と俺は廊下を歩きながら顎に手を当てる。
(……問題は独りになれる時間の少なさだな)
手帳を開いて考え事をしたくても、自室では常にアマルが側に居る。かといって、外にいたとしても人目に付く。
俺は修道院にただ一人のアジア人だ。この地では珍しい黒髪は、遠目で見ても特定されてしまうのだ。と、なれば今まで通り場所ではなく時間帯を選ぶほかない。
目的地の書庫に辿り着き、扉を少し開けて、誰も居ないことを確認する。そして、素早く中に入る。最後に音を立てないように扉を閉めた。
俺は机に向かって、椅子に腰かける。小さく軋む音が、静寂に反響した。懐からペンと手帳を取り出し、机に広げる。そこまでして、やっとひと息ついた。
今はミサの時間で、修道士たちは皆聖堂に篭っている。恐らく、1時間程度は猶予があるだろう。
これだけ慎重にことを運んでいるのも、勿論ヨハンナが言った修道院の者に知られぬようにという言葉を遵守するためだ。
(修道会の犬、略奪者であり征服者の系譜に連なるもの……か)
以前、アマルがヨハンナを示す際に放った言葉だ。ヨハンナは修道院の人間なのだから修道院の犬という表現(決して良い言葉ではないが)は理解できる。問題は略奪者であり征服者の系譜に連なるもの、という言葉だ。
思い出すのは、先日礼拝堂で見た映像。
あれこそ修道院の過去の惨劇。
俺は何故だかそう確信を持っていた。
揺らめく炎。焦げた臭い。黒い何か。そして鎧を纏い剣を携えた征服者の姿を俺は見た。
あれは、間違いなく騎士だった。騎士たちが村を焼き、人々を殺し、略奪と暴虐の限りを尽くしていた。彼らは一体何者なのか。
手帳を開き、書き込む。
修道院。
征服し略奪した者。
騎士。
並べた文字を見て、パッと思い浮かぶものは十字軍だろうか。俺は眉間を揉んで、世界史の知識を絞り出してみる。あやふやな知識なので、間違いも多いだろうがこの際目を瞑ろう。大切なのは、気付きと連想なのだ。
聖地奪還のために派遣された十字軍。
軍と言ったものの、その中には熱心な民間人の信仰者が多く参加していた。勿論、十字軍の主体は諸侯や騎士達であったが、金品や土地などを求め、私利私欲で行動する者が多くいたのが実際のところらしい。貴族の子弟のうち領地を継がない二男・三男や庶子が一旗揚げようと参加することも珍しくなかったと言う。
また、平均年齢12歳の少年少女からなる少年十字軍というもの存在したと聞いたことがある。しかし、十分な遠征費もなく、子ども達は飢餓に苦しみ、最後には聖地に向かう船を斡旋した悪徳商人によって、奴隷として売り飛ばされてしまう悲惨な末路を辿った。救いなどどこにもない。彼らの信仰心は打ち捨てられ、奪われ、瀆された。あまりにもやるせない。
一番始末に終えないのは、教皇が神の意思だと聖戦を保証し、免償を許可したことだ。
それは今までの罪を精算でき、尚且つこれから起こすであろう異教徒に対する侵略、略奪、強盗、強姦ありとあらゆる蛮行が暗に神によって許されたことに他ならない。
最初の十字軍遠征が行われた後に生まれた騎士修道会。キリスト教の勢力を拡大し、聖地を防衛、そして巡礼者を保護や支援を目的として誕生した。この中でも一際有名な騎士修道会は、映画や小説などで良く名前が出てくるテンプル騎士団だろうか。構成員は修道士たちであったが、同時に戦士でもあった。
俺が見た騎士たちが、それらに関わる者たちだったのかどうかは分からない。しかし、修道騎士だった可能性は充分あり得る。
修道会の犬、略奪者であり征服者の系譜、というのは修道騎士の末裔であるという意味だとすると腑に落ちる。
ヨハンナはこの過去の惨劇を引き起こした修道騎士の末裔。そして、彼女自身も修道騎士であったとしたら?
森に迷った俺を追いかけた体力。隙のない身のこなし。何かを振るい続けた硬い掌。全ての要素が、重なり合う。
ヨハンナの笑顔が脳裏を掠めた。
アマルを殺すためにこのストーンハーストにいるのだ、と語ったヨハンナ。もし、ヨハンナが修道騎士であるのならば、独り言であろうがなかろうが、尚更言うべき言葉ではなかったはずだ。
それでもなお俺にそのことを伝えたのは、あの言葉こそ彼女の懺悔だったのではないか。俺にはそう思えてならない。
俺は改めて、羊皮紙の内容を書き写した部分を目で追った。
……の誓約。
ひとつ、見ては……い。
ふたつ、話しかけてはならない。
みつつ、触れ……ならない。
……を……はならない。
いつつ、ここを……はならない。
むっつ、……共にしてはならない。
なな……じてはならない。
やっつ、あ……してはならない。
ここのつ、全てを守らなければならない。
とう、………。
擦れて読めなかった部分も多いがこれが全てだ。誓約は十あり、ほとんどの文末は「~してはならない」で終わっている。やはり、誓約とはタブーを記したものなのだろう。
神のために異教徒と戦う
ぞわりと、一瞬首筋に走る寒気を感じ振り向く。
見渡すばかりの本棚。本本本本本―――
それ以外何もなかった。
それが何よりも、恐ろしかった。