誰かに見られているような不快感を感じながら、俺は手帳に向き合う。時間がない。ひとつひとつ整理していこう。
俺は手帳の文字に目を走らせる。
(~の誓約、という部分は象徴を意味しているのか? もしくは、人名、いや地名という線もある)
誓約を結ぶ限りは、取り決める者の存在がいるはずだ。また、それを遵守する対象も。それに習った名前がつけられているはずである。
俺は1節目を指先でなぞる。
『ひとつ、見ては……い』
『ふたつ、話しかけてはならない』
『みつつ、触れ……ならない。』
これら文章に関しては、視覚、聴覚、触覚。人間が司る感覚を一様に制限している。
修道院の者たちが、アマルという人間が存在しないとでも言うように振る舞うのは、この3節から来ているのだろう。つまり、少女の存在を感じること自体をタブーとしている、ということだ。
『……を……はならない』
『いつつ、ここを……はならない』
『むっつ、……共にしてはならない』
『なな……じてはならない』
『やっつ、あ……してはならない』
これらの文は、滲みが酷すぎてほとんど読むことができなかった。唯一文として成り立っているものは、5節目の『ここを……はならない』、そして6節目の『共にしてはならない』という一節だろうか。
思い返せば、俺が都市に行きたいとフランチェスコに相談した際、彼は都市に連れていけない理由をこう語った。
『なかなかどうして、そうできない込み入った事情がございやして』
込み入った事情というのは、誓約が根本にあり、修道院から出ることができないということではないだろうか。
6節目の、共にしてはならないという一文。これは、何らかの行動を共にしてはならないと続くのだろう。しかし、最初の1~3までの節はアマルの存在を感じること自体をタブーとしていたことを鑑みると、そもそもアマルと共に行動することができないはずだ。それなのに何故あえてこのような文を入れなければならなかったのか。共にというのは、アマルではない誰か/ナニか……。ぶるり、と寒くないのに身体が震えた。
「……誓約はアマルだけをタブー視するものでは、ないということなのか?」
そうだ。
この誓約は、アマルだけを禁忌としたものではない。むしろ、それ以上のナニかをベールに包み込むためのもの……。
誓約は修道院の者たちにかせられた枷で、その対象はアマルであったと考えていた。だが、誓約を紐解くとアマルを対象にしつつ、その先のナニかに焦点が当てられているように思えてきたのである。
『ここのつ、全てを守らなければならない』
これらを守ることで、修道院は秘密を守っている。そして、その誓約には王家が深く関わっている。聖と俗がアマルの先にあるものを隠している。
俺はそっと目を瞑った。
「ストーンハースト修道院。這いずるもの。修道騎士。過去の惨劇。異教。迫害。王権。隠された秘密。ベネディクト修道司祭。異端。異界。誓約。神。指輪。臍の緒。……アマル」
記憶を手繰り寄せる。色々な言葉が脳裏を駆け巡り浮かんで消えていく。
「あの、赤黒いーーー」
その瞬間、礼拝堂で見た光景がフラッシュバックした。
燃える村。
悲鳴と怒号、そして呪詛の言葉。
『征服者よ。赤い十字に誓い、捧げよ。その胎を、その赤子を、その血を捧げよ』
征服者は修道騎士。そして、赤い十字はキリスト。
征服者の赤子の血を捧げよ。それは修道騎士の子孫を生贄に捧げよという言葉に取れる。
……いや、待て待て。そうなると、その対象は修道騎士の末裔であるヨハンナでないといけないはずだ。しかし、現実はヨハンナがアマルに剣の切っ先を向ける立場にいる。これはどういうことだ。
俺はそこで、再び十字軍の内容を思い返してみる。
十字軍は個々の諸侯が手勢を引き連れて聖地に遠征する小規模なものも存在したが、大元は教皇や王を指導者に遠征するものであった。勿論、それは聖地奪還が目的であったがそれ以外にも、異教徒への布教・征服、異端への討伐も含まれている。
アマルも修道騎士の末裔、あるいはそれを先導した者の末裔……例えば王家やそれに連なる者の血縁者であるとか。
それならば、王がアマルを庇護する理由も分かる。異端への討伐、異教徒への布教・征服を先導した王の血縁者だからこそ、生贄に相応しいとされたということも理解できる。そして、それを煽動した教会に監視させた。
ただこの考察には、多くの矛盾や相違点があるだろう。俺も歴史家や探偵等ではないので、真実にたどり着くのは険しい山を上るようなものだ。
それでも……ひとつひとつあり得ないことを除外して、真実に少しでも近づくよう行動しなければならない。それが、アマルを守ることに繋がる気がした。