「アンディ様……どこかお加減でも悪いのですか?」
アマルの声かけに、思考が引き戻される。羊皮紙のことを考えすぎて、どうやら手が止まっていたみたいだ。
「……えっ? あ、ああ、いや、すまん。ちょっとボーッとしてた。大丈夫だよ」
俺は誤魔化すように肩すくめ、テーブルに視線を落とした。そこには夕食である冗談みたいに硬い黒パン、チーズ、そしてアマル特製のシチューが並んでいる。
脇に置かれた蜂蜜酒で喉を潤わしてから、今日書庫を出てからずっと考えていた誓約の内容にそっと蓋をした。
アマルは俺の顔をじっと見つめて、心配そうに眉を下げている。決まりが悪くなり、俺は再度大丈夫だよっと声を掛けた。
「アンディ様……」
少女は印象的な紅眼を細めた。立ち上がって俺の側まで歩いてくると、そっと額に手を当てる。
俺は密かに、ひんやりとした柔らかいアマルの手の感触に驚く。暖めるようにして、自身の手を重ねた。
「本当に本当に、本当に大丈夫なのですか?」
「だから、大丈夫だって。アマルは心配しすぎだ」
「アンディ様が無頓着すぎるのです!」
うーっ、とムキになったアマルが唸り俺の様子を伺ってる。子犬みたい。その姿すら可愛いと思う自分がいた。それがどこか酸っぱくて、切なくて、愛おしい。初めて彼女ができた純情な中学生でもあるまいに、と心の中で自分自身にツッコむ。
「あー、うん。分かった分かった。ちゃんとするから、席に戻ってくれ」
両手を上げて降参のポーズ。
アマルは口をもごもごさせながら不服そう。それでも俺の言葉に大人しく従って席に戻った。
俺はそれを確認してから、ナイフで黒パンを切り取る。シチューに浸してから口に放り込んだ。
素朴な味がする。
現代のように添加物まみれの濃い味ではなく、きちんと素材本来の風味が生きている。美味しくて、頬が緩んだ。
きっともう寿司やハンバーガーなんて食べれることは一生ないと思うが、不思議と悲しくはなかった。1年間このストーンハーストで暮らし、俺の味覚が変化したのだろうか。
「アンディ様はいつも美味しいそうに召し上がって下さいますね」
「あむ、んぐっ……まぁ、実際うまいからな。アマルが料理上手で助かる」
「ふふっ、お代わりもございますから、沢山召し上がってくださいませ」
アマルはふんわり微笑むと、俺の金属製のグラスに蜂蜜酒を注いだ。本当にさりげなく気遣いができる娘だ。どこに出しても恥ずかしくない。こんな娘を彼女にできる男はまさしく幸せだ。……まぁ、俺のことなんですが。
心中で茶番を繰り広げながら、黒パンを噛み千切る。それを蜂蜜酒で流し込んだ。
ちらりと視線を向けると、アマルは背筋を伸ばして椅子に座り、お上品にパンを口に運んでいる。いつも思うが食べ方が綺麗だ。というか、それ以外でもひとつひとつの動作が優美で淑女然としているのだ。
腰まである長い銀糸の髪。透き通るほど白い肌。紅玉の瞳。スラヴ系の女神のように完成された美貌。藍色のコートハーディを身に纏う凛としたその姿は、正しくお姫様のようだった。
アマルは俺の視線に気付いて、どうしたの? とでも言うように首を傾げた。
「いや、アマルってつくづく美人だなぁ、と思ってさ」
「……っ、アンディ様。もう、アンディ様ったら。いけません。そのような恥ずかしいことをおっしゃらないで下さい」
「別に恥ずかしいことじゃないだろ。事実を言ったまでだ」
「ううっ、そのような真っ直ぐな眼で見つめないで。アマルはどんな顔をすれば良いのか分かりません」
笑えば良い、と言いかけて止めた。そうしないといけない気がした。
「嘘は言ってないから、言葉をそのまま受け取ってくれ」
無難な言葉をかけると、アマルはさっと頬を染めた。そして潤んだ瞳で、すがるように見つめてくる。
「わ、私などアンディ様の足元にも及びません。アンディ様はこんなにも男前なのですから」
「あー、そこで俺を引き合いにだすなよ。自分で言うのもなんだけど、俺性格はヘタレだし容姿だってごく普通だぞ」
頭上まで手を上げてヒラヒラ振る。アマルのは完全に痘痕も靨というやつだ。惚れた欲目とも言う。
アマルはそれを見て、ぐっと前のめりになり目を見開いた。
「そんなことありませんっ! アンディ様は優しくて、男らしくいつもアマルを守ってくれます。お顔だって、異国情緒溢れて魅力的です。濡羽のお髪は艶やかで、とても素敵ですわ。お身体だって、逞しくて見惚れてしまうほど素晴らしいです。それに……それにっ、アンディ様の腕で抱き締められ、笑顔を見るだけで、アマルは胸が高鳴って息が止まりそうになります。アンディ様は私にとって世界一の殿方なのですっ!」
口をあんぐり開けた俺に向かって、アマルはひどく真摯な表情をして矢継ぎ早に言葉を発した。拳を握りしめ力説している。本気も本気といった風であった。
――何だそれ、そんなの……反則だろ。
「アンディ様の素敵なところなら、私無限に言えますっ! むしろ、言い足りません。アンディ様、もっと言ってもよろしいでしょうか?」
「……いや、もうお願いだから許してください」
真っ赤になった頬を何とか手で覆い隠して、絞り足すようにか細い声を上げた。
一回り年下の女の子に翻弄されている自分が情けない。でも、不思議と嫌でもなかった。
落ち着かず身動ぎをすると、椅子代わりに使っているベッドが悲鳴を上げた。俺は頭を掻いて、小さくため息をつく。
「……ほんとお前みたいな彼女今までの中で初めてだよ」
俺の呟きを聞いて、アマルは小さく肩を揺らした。勢いよく立ち上がる。椅子が音を立てて倒れた。
おぼつかない足取りで、無言で俺の横に立つと幽鬼のような瞳で俺を見詰めた。
「アンディ様は、私の他にも恋人がいらっしゃったことがあるのですか……?」
これ下手に答えると、まずいような気がする。ただ嘘を付くのも違うように思えた。元カノたちと過ごした時間は無かったことにはできないし、それを否定したくもない。辛いこともあったが、それを含めても良い思い出として俺の中に残っている。だが、それはあくまでも過去の話だ。今の俺にはアマルだけだ。
蜂蜜酒を一気に飲み干して、覚悟を決めた。
「……そりゃあ俺も27歳だから、な。今まで恋だって人並みにしてきたし、酸いも甘いも経験して……うおっ!」
全て言い終わる前に、勢いよく抱きつかれてベッドに押し倒される。
身を起こそうとすると、アマルに肩を押されて、噛みつくように唇を奪われた。驚いて口を開けた瞬間、ぬるりと舌が入ってくる。しつこく口内をなぶり、唾液を啜られる。舌は無遠慮に、暴れまわる。相手のことを考えない一方的なキスだった。
「っは、ン、アンディ様……んっ、んん……っちゅる、れろ、あんで、ひゃまぁ、もっと、もっと」
「むぐっ、こら……んんっ、ん……おい、や、止めろってっ!」
俺はアマルの肩を掴んで、強引に引き離す。
少女は荒く息を吐きながら、いやいやと首を振った。
「やっ、止めないで、離れないでくださいっ!」
「お、おい、アマル?」
「アンディ様は私の恋人です! 私の、私だけの愛しい人なの!」
再度顔を近づけキスしようとするアマルの頬を両手で包んで押し止める。
私の私のと、壊れたラジオみたいに繰り返すアマル。俺は苦笑して、宥めるように少女の額に唇を落とした。
「あのな、全部昔の話だぞ」
「……ううっ、知っています。知っていても、許容できないのです。アンディ様の恋人は今も昔もこれからも私だけで良い。私だけが良い」
「……はぁ、過去はどうしようもないだろう? お前は神様じゃないんだから、過去は変えられない」
「アンディ様、でも、私はーーー」
男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがるというが、アマルは過去未来現在の全てが欲しいと言う。少し呆れながら、欲張りな少女の頭を撫でて慰める。
「そんな悲しい顔をするな。今はお前だけだよ」
「……全てを捧げます。私の心も身体もアンディ様が望むもの全てを。だから、ずっと一緒にいてください」
「ああ、分かったよ」
「アンディ様。私は貴方様を愛しています」
燃えたぎる炎の如く揺らめく瞳が、俺を射抜く。その言葉は何よりも熱くーーー何より重かった。