プロメテウスの火焔
人を哀れみ、神の火焔を与えた
それ故、気が遠くなるほど長い長い間。
たった独りで罰を受けた。
けれど、けれどね。
誰も彼も見向きもしない。
思い出すことすら、忘れはて。
彼は正しく人を愛したが
――ー―人は彼を愛しただろうか?
***
早朝。
窓に差し込む朝日が、目覚めを誘った。
季節は巡り、もうすぐ夏が来る。
日が昇る時間もそれにつれて早くなった。灯りをつける手間が省けるから良い。
屈伸をして、隣に眠る少女の頭に顔を埋めた。
花のような、果実のような甘い香り。
嗅ぎ慣れたアマルの体臭が鼻腔を擽る。
俺はアマルを後ろから抱きしめるように眠っていたらしい。アマルのお腹に手を回し優しく撫で擦る。しっとりと吸い付くような肌が心地良い。お互いに一糸纏わぬ姿で身を寄せ合い、ぴったりとくっ付いている。
「んっ……アンディさまぁ?」
「おう、おはよ。アマル」
「はふぅ……ひゃい、おはよーございます」
寝ぼけて、舌足らずな口調で返事をするアマル。寝起きの子犬みたい。可愛い。頭を撫でておく。
「んふふっ、アンディさまぁ。もっと、もっと撫でてください」
アマルはくるりと身体を入れ換え、正面から抱きついてくる。それを優しく抱き止めて、背中を宥めるようにぽんぽんと軽く叩いた。ふにゃりと幸せそうに微笑んで、胸板に頬擦りをされた。
可愛い。要望通り、ぐりぐりと頭を撫でておく。雑な撫で方をしているのに、アマルはえへへ、と嬉しそうに頬を緩めた。
こんなことで喜ぶのは、アマルぐらいだ。……いや、もうひとりいた。ギシリ、と軋む心に気付かない振りをして、俺はアマルに笑いかけた。
「ははっ、そろそろ満足したか?」
「むぅ、満足してません。まだ、撫で撫でを所望します」
ぷんす、とアマルは無駄に胸を張った。さては、まだ寝惚けているな。
後、胸が当たってるんだよ。大きくて、柔らかい胸が俺の胸板でひしゃげてんだよ。わざとか。わざと、当ててるのか。
(いや、こいつそこまで器用じゃないか……。意外と恋愛に対しては、直情的に動くタイプだ。クールな見た目とはかけ離れた動きをするから、見てて飽きない)
ぽやぽや、とした表情で頬をほんのり染めているアマルを見て、溜め息をひとつ。
「アンディ様、撫で撫ではまだですかぁ?」
「おいおい、朝から甘えん坊だな」
とりあえず、再度頭を撫でる。今度はもっと優しく宝物を触るような手付きで、ゆっくり頭を撫で回す。
「ふふっ……朝だけでは足りません。昼も夜も、アマルはアンディ様に甘えていたいです」
「1日ずっとか」
「いいえ、死ぬまでずっと」
食い気味で言うアマル。
俺は少し引きながらも、なんとか笑った。
「そりゃあ、頑張んないとな」
「はい!」
元気良く返事が返ってくる。右手で無遠慮にアマルの頭を撫で回した。
「アンディ様」
ぽつり、とアマルは名前を呼んで、俺の左手に指を絡めた。何だ? と、聞き返した俺の言葉に答えず、彼女はどこか曖昧な表情を浮かべた。
数秒、沈黙が辺りを満たした。
アマルは何かを考えているようだった。絡め合った手をじっと見つめて、ぽつりと呟く。返事を期待していないような、そんな小さく頼りない声音だった。
「……アンディ様、どうか私より長生きして下さい。アンディ様が先に逝ってしまったら、もう私は生きていけませんから。その時が来たら、ちゃんと私を見送って下さいね」
「アマルお前、ほんと気が早すぎ」
「……そう、でしょうか?」
「ああ、そうだ。ずっと先のことを今悩んでもしょうがないだろ? 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である、ってキリストも言ってたしな」
「はい、アンディ様がそう仰るなら……」
キリストが言うなら、ではなく、俺がそう言うのならと頷くアマルは相変わらず俺しか見ていない。これが通常運転である。
アマルが何を考えていたのかは分からないが、その寂しげな様子をどうにかしてやりたいと思う。
アマルと出会ってもう一年半立つ。最初はまさかこんな関係になるとは思ってもなかった。
初めて出会ったのは、あの礼拝堂で目覚めた時だった。座り込んだ俺を見下ろすように立っていた少女。薄暗い室内が夥しい数の蝋燭に照らされ、幻想的に佇むあの姿は今でも忘れられない。
妖精のように現実離れした容貌。感情が抜け落ちた表情、機械のような変化のない平らな声音。腰まである銀糸の髪と印象的な鮮紅の両眼。完成され、しかしどこか寂寥とした美がそこにはあった。
「綺麗だ」と、思わず呟いた言葉に少女は目を見開いた。
戸惑いながらも、初めて色を持った瞳が食い入るように俺を見つめた。思えば、あの一言がアマルを変えたのだろう。
それから何故か、俺がストーンハーストで世話になることがトントン拍子で決まった。
そしてアマルは、常に俺の側に控えるようになった。
共に過ごすうちに、どんどん表情が明るくなり、笑顔を見せてくれるようになった。
恐る恐る握った手を境に、愛情を求めるように引っ付いて甘えてくるようにもなった。それが嬉しくて、俺は更に甘やかした。
そうして気がつけば、アマルから一途な思慕を向けられていたのである。
最初は、勿論受け入れることはできなかった。日本へ帰還することを諦められなかったし、アマルはまだ幼かった。日本では義務教育を終えてすらいない年頃の少女である。現代で培われた倫理観が俺を諌めた。
しかし、アマルの修道院での扱い、その孤独を知るうちに俺は覚悟を決めた。いたいけな少女の想いを受け入れたのだ。
今みたいに身体の関係を持つようになったのは、つい三ヶ月ほど前のことだ。それはアマルが昔の彼女に嫉妬し、泣いたあの日である。
アマルは少女から女へとなった。
溜まりに溜まっていた情欲が溢れ、俺はアマルを押し倒し最後まで致してしまったのだ。しかもアマルが初めてだったのにも関わらず何度も何度も。翌朝、腰が抜け立てなくなってしまったアマルに平謝りしたのは良い思い出だ。
やり過ぎたことに関しては反省しているが、アマルを抱いたことは後悔をしていない。
人生何が起こるか分からない。日本で暮らしていたときの俺が知れば、間違いなく殴ってでも止めていただろう。俺も変わったものだ。
「あ、アンディ様……」
アマルは俺の足に自身の足を絡ませる。そして、俺の顔を上目遣いで見上げて、頬を染めた。
「アンディ様が、お元気に。……そ、その、このまま、致しますか? アマルはいつでも大丈夫です」
その言葉に、目を剥いた。
下半身に意識を持っていく。朝から節操がなくて、すいません。誰にともなく謝ってみる。
「あー、これは朝の生理現象だから、気にするな」
「……でも、とても苦しそう」
「大丈夫だ。それに……したら、昼まで止まらなくなるだろ?」
耳元で囁くと、アマルは艶っぽいため息を漏らした。強く抱きついてくる少女を落ち着かせるように、そっと唇を合わせる。
唇を合わせた瞬間、何故か脳裏に村を焼いたあの業火がちらついた。