聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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白昼夢

 

 

 

「……いつまで、そうしているおつもりですか?」

 

 そのヨハンナの声に、伏せた顔を上げる。それから直ぐに、目の前に手が差し出された。

 ぼんやりその手を眺めていたら、急かすように更に手を伸ばしてくる。掴まれということだろう。しゃがみ込んでいる俺を引き上げようとしてくれているのか。俺は手を握った。思いの外、強い力で引っ張りあげられる。

 

「……うわっ!」

 

 その力強さに驚き足を取られ、バランスを崩してしまった。しかし、即座に転けそうになる身体を細い腕が抱き止めた。ふんわりと、爽やかな柑橘類の匂いが鼻を掠める。ヨハンナが抱き止めてくれたらしい。何とも頼りになる女だ。俺は彼女にお礼を言おうと、口を開きそのまま固まった。

 

 視界がぼやけ、世界が歪む。

 

 ―――ーどくり

 

 胸が大きく鼓動する。

 頭が沸騰する。

 ノイズが走る。

 

 空。

 空だ。

 真っ赤な空。

 汚泥にまみれた、空。

 

 見えない。

 聞こえない。

 触れられない。

 

 ……ああ、でも、そこに()()のだろう?

 

 だからこそ、見てはならぬ。聞いてはならぬ。触れてはならぬのだ。

 

 どくり。

 どくり。

 どくり。

 

 胸が、蠢く。

 血液が、洪水のように身体を循環する。

 呼吸はしているのに、息ができない。

 瞳を閉じているのに、空が落ちてくる。

 

 

 

 あの、黒い―――ー

 

 

 

「く……くろ、ど……黒殿、大丈夫ですか?」

 

 ヨハンナは俺を抱えて、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

「すいません、勢いをつけすぎてしまいました」

 

「えっ……ああ、うん。大丈夫だ」

 

 俺は体勢を立て直して、不器用に微笑んだ。いつの間にか、心臓を握るように押さえていた手を離す。吐息を漏らし、片手を上げた。

 

「……悪い。足を踏み外した。ヨハンナも大丈夫か? 俺、結構重かっただろう?」

 

 ヨハンナは無言で首を振ると、背伸びをして静かに両手を俺のこめかみに添えた。

 

「お、おい、ヨハンナ?」

 

 驚いて手を払おうとした俺を視線で制して、優しく揉み解す。俺は身体を屈ませる。じんわりと暖かい。緊張した身体が緩む。 

 

「……こうすると落ち着くでしょう? 黒殿、少しは楽になりましたか?」

 

「ああ、気持ちいい。すごく落ち着くな、これ」

 

「ふふっ、それは良かった。……貴殿には、無闇やたらと幸せそうで間抜けな表情が良く似合う。だから、そのような顔をしないように」

 

 透き通った蒼い眼。その眼は、凪いだ水面のように穏やかだった。

 

 困ったな、と心の中で呟く。ヨハンナは俺に対して辛辣な言葉遣いをするが、いつだって俺を慮ってくれている。それを自覚すると、少し気恥ずかしい気持ちになる。

 

「一言余計だが……えっと、んん、まぁ、なんだ。その、あり、がと、な」

 

「……はぁ、流石にぎこちなさすぎでは?」

 

「うるさい。これが俺の精一杯だ。文句を言わずに、俺のお礼の言葉を受け取りやがれ」

 

 貴殿も大概素直じゃないな、とヨハンナは苦笑した。それはお互い様だろう、と憮然とした口調で言葉を返す。ああ、と彼女は頷いた。確かにそうかもしれない。そう言って、今度は綺麗な笑みを浮かべた。

 

「何はともあれ、貴殿の気がまぎれたなら重畳です。黒殿、良いですか。どうしようもなく、辛いことがあるなら私に言うのだぞ。私にできることがあるなら、遠慮する必要はない」

 

 その言葉を聞いて、俺は無性に泣きそうになった。

 

「なら、もう少しこうしてもらって良いか?」

 

「ええ、貴殿がそれを望むなら」

 

 瞳を閉じて、ヨハンナの両手に集中する。

 

 先程のような白昼夢を最近よく見るようになった。大体、三ヶ月前ぐらいからだろうか。

 

 白昼夢は時が経つにつれ、どんどんスパンが短く、内容が長くなってきている。まるでこちらを追いかけてくるかのようだ。

 

 白昼夢を見る条件や時間帯は、統一性はなくランダムだ。だからこそ、無防備になる。

 

 白昼夢の先に、何がいるのだろうか。正体が分からないからこそ、恐ろしい。いや、正体が分からないからこそ、正気でいられるのかもしれない。

 

 そう考えを巡らさせていると、何故だか分からないが、思考が水彩のようにぼんやりしていく。まるで、自分が自分じゃなくなっていくような感覚だ。これは喪失感だろうか? それとも、溶けて消えてしまうような寂寥感。ひとつに混ざり合う……あれ?

 

(……今、俺は一体何を考えていたんだろう?)

 

 ああ、別にそんなことどうでも良い。どうでも良い。何も考えなくて良い。そうだ。ずっと、いつまでも、そうしていれば良い。……君は、それで、良いのだ。

 

 心が蠢き、囁く。

 

 ああ、ここは――ひどく寒い。

 

 俺は無意識に暖を求めて、すがるように目の前のものをかき抱く。「ひぁっ」っと、短く悲鳴が聞こえた。でも、そんなこと構いやしない。更に力を込める。柔らかい何かを逃がさないように、覆い被さる。

 

 腕に抱いたものは少し身動ぎをしたが、それだけだった。そっと背中に手を回され、優しく撫でられる。

 

 それに、少し安心した。

 

 

 ***

 

 

 気が付くと、見慣れた天井だった。

 

 起き上がろうとすると、胸に乗った何かが邪魔をした。視線を走らせると、銀色の豊かな長い髪が俺の胸板に流れている。アマルは俺の胸に顔を寄せて眠っていた。俺はアマルの身体を抱き止めて、ゆっくり身体を起こす。

 

「んにゅ……ふぁ、んでぃさまぁ」

 

 アマルは薄く瞳を開ける。むにゃむにゃと弛緩した口調で俺の名前を呼んだ。俺は思わず笑って、頬にかかった髪を指で払ってやる。

 

 暫くそうして抱き合って、やっと覚醒したらしい。アマルは俺の首に腕を回し屈まさせると、キスを降らせる。

 

「んっ、アンディ様……ヨハンナ・スコトゥスから、貴方様が倒れたと聞いて心配でっ」

 

 矢継ぎ早に、キスをされて目を白黒してしまう。

 俺はアマルの肩を叩いて、引き離す。

 

「こら、キスするか喋るかどっちかにしろ」

 

「なら、口付けを致します。んっ」

 

 即答して、追いすがってくるアマルの額を押さえストップをかける。こいつ最近、見境ないな。

 

「おい、待て!」

 

 手を掲げて、待てのハンドサインを送る。

 

 きゅぅん、と甘えるように鼻を鳴らし、お行儀良く止まったアマル。身体を離すようにアイコンタクト。アマルは眉を下げ、しょんぼりと身を離した。最近ますます、犬染みてきたな。

 

 そわそわと肩を揺らしながら、アマルは上目遣いで俺を見る。唇が先程の行為で、濡れ艶やかに光っている。思わず喉が唾を飲み込んだ。努めて目を反らし、俺はアマルに問いかけた。

 

「なあ、俺はどうなってたんだ?」

 

「……ヨハンナ・スコトゥスは、アンディ様が話している最中に倒れられたと言っていました。おそらく畑仕事の後、日に当てられたのだろうと。彼女がアンディ様をここまで背負って連れてきたのです」

 

「まさか、ヨハンナと話したのか?」

 

「いいえ……扉の向こうで、そう言っていただけです」

 

 やはり直接、話していないのか。独り言なら会話にならない。ヨハンナはそうしたのだろう。

 

「あの、アンディ様、もう……よろしいですか?」

 

「えっ? おう、そうだな」

 

「その、アマルはちゃんと待ちましたので、ご褒美が欲しいです」

 

 子犬のように勢い良く飛び付いてくるアマルを受け止めて、落ち着けと背中を軽く叩く。アマルが身体を擦り付け執拗にマーキングしているのは、俺を背負って運んでくれたヨハンナの匂いが付いているからだろう。

 

 気づけば、アマルは俺の顔をじっと見詰めていた。その期待を帯びた眼差しに、根気負けして心の中で白旗を上げた。

 

「分かった分かった……で、ご褒美に何が欲しいんだ?」

 

「口付けを……それから、その」

 

「……アマルのお気の召すままに」

 

 全てを言う前に、察してアマルの華奢な身体を抱き寄せる。それから深いキスを交わし、俺はふと思う。

 

 そういえば、白昼夢を頻繁に見だしたのは、3ヶ月前。ちょうど、初めてアマルを抱いた頃じゃないか。

 

 何故かそれが無関係だと、俺にはどうしても思えなかった。

 

 

 

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