聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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閑話 アマルティア

 

 

 

 ―――ー祈りを捧げる。

 

 

 礼拝堂の石床に躓く。無機質な冷さに一瞬目を細め、息を吐くことでそれを誤魔化した。

 

 空々しくも敬虔さを装って、両手を掲げる。神を仰ぎ、拝領を受け、恭順を示す。毎日繰り返されるその動作をただ行う。そこに私の意思も感情も入ることはない。

 

 目には見えない何かを、魔として人は恐れる。

 目には見えない何かを、神として人は信仰する。

 

 その違いは、一体どこにあるのだろう。

 

 自問自答を繰り返す。

 いや……私は答えなど最初から求めていない。それが、魔であれ神であれ、私の唯一になることはないのだから。

 

 私が本当に敬い、慕い、祈りを捧げるのは、あのお方ただひとり。

 

 私の唯一。

 私の光。

 私の主。

 私の……愛するアンディ様。

 

 頼りなく揺れる蝋燭の光は、むしろこの場所をよりいっそう暗澹とさせていた。闇が蠢き私を見詰める。闇と同化し溶けていく。

 

 

 瞳を閉じ、心の中でアンディ様の名前を呼んだ。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 礼拝を終えると、私はすぐさまアンディ様のお部屋へと向かった。この先にあのお方がいると思うと、泥にまみれ灰色だった世界が、鮮やかに色づきキラキラと輝いて見える。

 

 長い通路をただひたすら歩く。

 

 この修道院は、修道士が出入りする場所以外、迷路のように入り組んでいる。行き止まりの通路、開かない扉、入り口がない部屋。……迷路のように、ではなく実際迷路なのだろう。

 

 

 ―ー――ああ、心底くだらない。

 

 

 私は心の中で吐き捨てた。

 だから、お前たちは間違えたのだ。

 

 廊下を早足で通り抜け、アンディ様の部屋へとたどり着く。胸が高鳴る。はやる気持ちで扉を2度叩き、許しを待った。

 

 どうぞ、という声が扉の向こうから聞こえてくる。

 アンディ様のお声だ。低く掠れる蕩けてしまうようなお声。好き、大好き。気持ちが溢れ、私はほぅっとため息を吐いた。

 

 聖遺物を触れるような心持ちで、扉へと手かけ開く。

 

 窓から差す光に、思わず目を細める。一拍置いて、それに慣れると部屋の中を見渡す。

 すぐにベッドに腰かけ、穏やかに微笑むアンディ様を見つけた。アマル、と名前を呼ばれる。それだけでお腹が、きゅんと疼いた。

 

 本来、私の名前は名前ですらなかった。

 アマルティア……それは「罪」を表す言葉。

 

 そう、あえて言うなら記号のようなものなのだ。まるで家畜に番号を振り分けるように、私たちはそう呼ばれてきた。だから、これは本来名前などではない。

 

 元より、アマルティアには個がない。いや、ある意味、それが唯一の個なのかもしれない。がらんどうの精神は、どこまでも純粋に受容の時を待っている。それこそ、忌まわしき罪の証左に他ならない。

 

 アンディ様は、そんな私に「アマル(希望)」という名前を下さった。私を()として認めてくれた。それがどんなに嬉しかったか。どんなに救われたか。アンディ様はきっと知らない。でも、それでも良い。それが良い。私だけが、その事実を知っていれば良い。それは、誰にも渡さない私だけの甘美な秘密なのだから。

 

 私は飛び付くように、アンディ様に抱き付いた。

 アンディ様は笑って、抱き止めて下さる。逞しい胸板に抱かれ、私は恍惚とした笑みを浮かべる。胸が鼓動を早め、破裂してしまいそう。

 

「アマルはほんと子犬みたいだな」

 

「はい。アンディ様の前だけ、アマルは犬になります。何でも仰ってください。何でも致しますから。でも、それができたら目一杯褒めてくださいね?」

 

「ははっ、ますます子犬だなぁ」

 

 アンディ様は、私の頭を優しく撫でた。

 嬉しい、嬉しい。好き、大好き。何だってします。だから、ずっとそうしてください。

 

 アンディ様の顔を見上げる。

 こちらではまず見かけない彫りの浅い面持ち。象牙色の肌、濡羽のお髪、異国の容貌。それに優しく澄んだ黒い瞳。全てが素敵。アンディ様は、何故こんなにも魅力的なのだろう。毎日、見惚れてしまう。

 

「アンディ様……」

 

 名前を呼ぶ。

 

 アンディ様の服を控えめに引っ張る。頬を撫でられ、額に唇を落とされた。足りない。アンディ様は意地悪だ。私が求めているものが、何か分かっているはずなのに。むっと、頬を膨らませる。先程より強く服を引っ張る。

 

 ははっ、と笑う声が聞こえた。

 

 それから顎に手を添えられ、くいっと顔を上に向かされた。男らしい動作に、もう昇天してしまいそうになる。どうしよう。アンディ様が素敵すぎて辛い。

 

 アンディ様は焦らすようにゆっくりとした動作で、私の額、頬、耳朶、鼻と軽く唇を押し付けた。

 

(……早く私の唇に口付けして欲しい。しかし、そんなことをお願いしたら、アンディ様にはしたない女だと思われないだろうか?)

 

 むぅ、と思わず唇を尖らせる。

 やきもきする私の表情を見て、アンディ様はにやりと微笑んだ。意地悪。アンディ様は、とても意地悪だ。何よりも悪質なのは、そんな意地悪なアンディ様も素敵、好き、愛している、と心がときめいてしまう自分自身だ。何て救いようがない。救われたいとも思わない。私はアンディ様に堕ちていたい。

 

「そんなエサの前で『待て』を命じられた子犬みたいな顔をするなよ」

 

 アンディ様は、そう言って私の髪をわしゃわしゃと雑に撫で付けた。もう少し優しく撫でて欲しい。そう文句を言うよりと先に「えへへ」とだらしない笑みを溢してしまった。アンディ様に構ってもらえて、嬉しい気持ちが先行した。

 

「アンディ様、んん」

 

 我慢できず、アンディ様の服を強く引っ張る。アンディ様は、仕方ない子犬だな、と目を細めた。

 

「アマル」

 

 そっと触れるだけの口付け。直ぐに離れていこうとするアンディ様にしがみつき、舌をすぼめて深く唇を交わした。

 

「むぐっ、んん」

 

「あんで、ひゃまぁ……っ、は。ん、しゅき、だいひゅき。あい……ひてまふ、ちゅ、む」

 

 先程から、お腹がきゅうきゅうと躍動している。身体がアンディ様を求めているのだ。

 

 抱いてほしい。

 ずっと繋がっていたい。

 アンディ様。アンディ様。アンディ様。

 

 ややこができれば、アンディ様をここに繋ぎ止めることができるだろうか。ああ、ならば出来るだけ早く(ややこ)が欲しい。

 

 毎晩、抱いて頂いているのだ。

 もしかして、もう孕んでいるかもしれない。

 

 ……そうだと、良い。

 

 ややこをアンディ様を縛る鎖として扱うことに、一抹の後ろめたさを感じる。しかしそれ以上に、私はアンディ様を愛している。

 

 アンディ様と共にいられるなら、私は何だってしてみせる。そう、我が子すら利用する。そんな自身を穢らわしく、辟易としながらも止めることはできない。

 

 ……ごめんなさい。

 

 小さく呟いたその言葉は、アンディ様への贖罪だったのか。これから生まれてくるであろう、まだ見ぬ我が子に向けた懺悔だったのか。それとも、()()()に対する決別の言葉だったのか。

 

 

 

 ――その答えの在処を、私はまだ知らない。

 

 

 

 

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