夢は見るものでも、叶えるものではない。
……覚めるものなのだ。
そうさ、悪夢にも必ず終わりが訪れる。
ああ、でも君。
目覚めた世界は、悪夢よりも恐ろしい。
かねてからそう言うものだ。
でもね、嘆くことはない。
悪夢もこの世界も、曖昧で混沌とした虚構にすぎない。
いづれその境界も無くなるだろう。
いづれ――ー―ひとつになるだろう。
ベットがぎしりと嘶く。
石壁の冷たさを背中で感じながら、胸に抱く少女に意識を持っていく。腕の中にすっぽりと入ってしまうくらいの存在。小さくて華奢で、寂しがり屋な女の子。
「アマル……」
名前を呼ぶとアマルは俺の背中に手回し、強く抱きついてくる。更に胸板に顔を押し付け、こすり付ける。すんすん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。
俺は頭を撫でて、慰める。
「……落ち着いたか?」
「うーっ」
唸り声。
アマルはふるふると顔を振った。大人びた容姿に反して、その仕草はとても幼い。いつもの理知的な雰囲気はなりを潜め、だだっ子のように身体を震わせた。それに合わせて、腰まである銀糸の髪が揺れる。その拍子に、花のような果実のような甘い香りが鼻を擽った。
「よしよし」
とりあえず背中を軽く叩いて、抱き締め返しておく。アマルの華奢な肩の力が抜けた。
「あんでぃ、さま」
「おう」
「あんでぃさま、あんでぃ、さま」
「ああ、なんだ?」
「どうか罪深き私にお赦しを。アンディ様がいないと、駄目なのです。重くて、すいません。でも、でもっ」
必死にすがり付いてくる少女。
身体全体で、離れたくないと訴えてくる。
「馬鹿、そんなこと言うなよ。……いや、馬鹿は俺か。そんなこと言わして、ごめんな」
「……アンディ様」
「なぁ、どうしたら安心できる?」
「それは……」
すっと、顔を上げたアマル。
赤く純血した瞳。
痛々しく、腫れた瞼。
桃色の唇を戦慄かして、紡ぐ言葉を探している。
「困らせたい訳じゃないんだ。無理に答えなくてもいいよ。お前のペースで良いんだ」
「……その」
肩を落として、しょげる。
きゅんきゅん、鼻を鳴らして尻尾を垂らす子犬みたいな動作。何か言おうと口を開き、閉じてを繰り返す。俺はじっと、アマルの言葉を待つことにした。
「アン、ディ様の、ややこ……」
「やや、こ?」
ややこって、なんだ?
思わず、思案顔で首を傾けた。
それを見て、アマルは目を瞑る。
「……いいえ、なんでもありません」
「そう、か? まぁ、何かあれば言うんだぞ」
はい、と控えめに頷きアマルは淡い笑みを浮かべた。
吹けば飛んでいってしまうそんな笑みだった。不安になって、俺はアマルの瞳を覗き込む。紅鮮の瞳がすがるように瞬いた。
「ちゃんと捕まえといてやるから。お前が不安にならないように、こうやってずっと」
笑いかけ、だから安心しろよ、と続ける。
アマルは目を細め頬を染めた。それから噛み締めるように、ゆっくりと言葉を発した。
「はい、アンディ様。捕まえて下さい。ずっとずっと―――ー」
「ああ、まかせろ」
「……嬉しい」
アマルはへちょりと顔をほころばせた。
幸せそうに、白く細い指で俺の頬を撫でる。
「アンディ様、アマルは貴方様をお慕いしています。たとえ、これからどんな運命が待ち構えていたとしても、ずっと、ずっと終わりなく、ただ貴方様だけを」
――ー―その手は驚くほど、冷たかった。
***
翌日。
午前の仕事を一通り終わらせ、俺は迷わず修道院の裏手へと足を進めた。
何か考えるとき俺はここに来て、草むらに寝っ転がりながら空を見上げる。そうすると、悩みが解決するわけではないが心が落ち着くのだ。
遥か彼方まで遠い空。
人も景色も時代すら違っても、空だけは悠然と変わらずに広がっている。空は俺がいた場所の残り香を感じられる数少ないもののひとつだ。
瞼を閉じる。
空の青が瞼に焼き付いている。
飲み込まれそうな、青。
どこまでも純粋で、どこまでも澄んでいる。
果てしないその先に、一体何があるのだろうか。
「また、そんなところにいるのですね」
涼やかな声が聞こえた。
「なんだよ、ヨハンナ。ここに居ちゃ悪いか?」
「いいえ」
ヨハンナは短く答えて、俺の横に腰を落とした。
俺もヨハンナもそれ以上に言葉を発することはない。静寂が満ちる。しかし、その沈黙は気まずさとは程遠い、心地良いものだった。薄々思っていたが、ヨハンナと俺はかなり相性が良いのだろう。アマルがいなければ、もしかしてこいつのこと好きになっていたのかもしれないな。そんなことを他人事のように思った。
風が前髪を靡かせる。
それを直しもせず、空を見上げる。
そこには空以外何もないのに、ただひたすらに。
俺の手にヨハンナの手が重なった。視線で何のつもりだと、ヨハンナに訴えかける。
ヨハンナはその訴えの視線を感じとり、初めて自身が俺の手を握っていたことに気付いたようだった。たが、その手を離すでもなく、むしろぎゅっと確かめるように握った。
「貴殿が、空に溶けてしまうような気がして……」
ポツリと呟かれたその言葉を、何故か俺は一笑することができなかった。