―――俺には妹がいる。
いや……いた、というのが正しいか。
何故なら妹の安藤静代は13年前に亡くなったからだ。
享年15歳、若すぎる死であった。
俺と静代は双子だったが、二卵性のため容姿は全く似ていなかった。綺麗な長い濡羽の髪に、夜空のように澄んだ漆黒のつり目がちな瞳。大和撫子を地で行くおしとやかな性格。生まれるのが偶々先だっただけの俺を、「兄さん」と呼んで常に立ててくれていた。
本当に血が繋がっているのか、と疑問に思うほどできた妹だった。
俺たちが生まれ育ったのは、甲信越地方の深い山々に隠された地図にも載らないような両胡村という寒村だ。
平家の落人が源氏の手の者から逃れるために、この山に隠れ住み村を作ったという眉唾の伝説が残る村。
時代に取り残され、ガスも電気も通っておらず、村人たちは昔ながらの生活を送っていた。
学校は山を越えた町にしかなく、俺たちは夜明けよりも早く起きて、山を下り、日に二本しかないバスに乗って、数時間かけて通った。それほど、絶望的なまでに田舎だった。
そんな自然の中に閉ざされた村社会では、有力者である家を頂点に厳然とした秩序を保っていた。何を隠そう、その有力者の家が俺の生家である安藤家だ。
幼い頃から安藤家の跡継ぎとしての振る舞いを求められ、息苦しい生活を強いられた。誰しも俺の顔色を伺い、媚びへつらった。それが嫌で嫌で仕方がなかった。
静代はそんな俺の話をいつも嫌な顔ひとつもせずに聞いてくれた。そして、決まってこう言うのだ。
「何があっても、静代だけは兄さんの味方ですから」
静代と一緒にいるときだけ、柵を忘れ唯一安らげた。俺は妹が何より大切だった。いや、静代より大切なものなどなかった。
だからこそ、俺はあの家を出たのだ。それが静代の兄でいられるただひとつの道だった。
――それなのに、俺は何一つ守ってやれなかった。
その過ちに気づいたのは、静代が亡くなってしまった後。
全て終わってしまった後だった。
***
「……静代」
「シズ、ヨ?」
ぽつりと呟いた言葉に、寝る前に櫛で髪をといていたアマルは首を傾げた。俺はそんなアマルの頬を撫でて、小さく息を吐く。
「……ああ、なんでもないよ」
アマルは不安そうに眉を下げて、俺の顔色を伺った。そんないじらしい少女に思わず苦笑する。
「そう、ですか……」
そう言いながらも、納得していない顔だった。俺はアマルの鮮紅の瞳を見詰め笑って見せた。
「本当に大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとな」
「いいえ」
アマルは短く答えてから、俺に向けて両手を差しのべた。その姿は、さながら愛で全てを包み込む聖母のようだった。ふらりふらりと、ベッドに座るアマルに近づく。少女は淡く微笑むと、俺の頭を優しくかき抱いた。柔らかい胸の感触。良い匂いがする。
「アンディ様、アマルに何でもおっしゃって。私アンディ様のお言葉ならいくらでも聞きますから」
優しく頭を撫でられる。耳元で聞こえる甘い吐息。身体の力が抜ける。
「……あんまり俺を甘やかさんでくれ」
「あら、何故ですか?」
「なんか駄目になっちまうから」
口を尖らせて、言いにくそうにしていると、アマルは愛しそうに俺の旋毛にキスを何度も降らせた。
「ふふっ、アンディ様ったら可愛い」
「男に可愛いはないだろ。可愛いのはお前の方だ」
「……もうっ、どれだけ私を夢中にさせたら気がすむのですか」
ぎゅむぎゅむ、と頭を強く抱き締められる。たわわな果実が俺の頬を挟む。むぐぅ、息ができない。胸の中で溺れ死ぬ!
背中を軽くタップして、腕を緩めるように懇願する。アマルはそれに気付き慌てて手を離した。
「っはぁ、ふっ、胸で窒息するかと思った!」
「も、申し訳ありません。つい……」
気まずそうに肩を落とすアマル。
「いや、良いんだ。慰めてくれたんだろ?」
「……はい。アンディ様が悲しそうにしていましたから。私にはそれが一番辛いのです」
「アマル……」
「私はアンディ様をどんなものからも守ります。苦しさ痛みや悲しみからも。だから、どうかそんなお顔なさらないで」
「俺、お前より年上なのに情けないな」
思わず眉をひそめる。そんな俺をアマルは穏やかに見つめた。なんだか恥ずかしい。
「いいえ、情けなくなどありません。それに、アマルは嬉しいのです」
「……嬉しい?」
「はい。そんな姿を私に見せて頂けるようになったから嬉しいの。どうか、もっとアマルに寄りかかって下さい」
「……お前は絶対男を駄目にするタイプだ」
「心外です。他の殿方なんてどうでも良いの。私はアンディ様だけです!」
ぷんすか! と頬を膨らませるアマル。
……怒るところはそこじゃないと思うんだが。
「撤回する。お前は俺を駄目にする女だ」
「ふふっ、嬉しいです」
頬を染めて、照れ笑い。
そこは喜ぶのか。分からんやつだ。……でも、ありがとな。アマルがいてくれて良かった。心からそう思う。俺は幸福だ。こんな少女を恋人にできたのだから。
ちくりとした胸の痛みに気付かない振りをして、俺はそっとアマルを抱き締めた。