今日は久しぶりに、巡礼棟の掃除の仕事が回ってきた。いつもはフランチェスコと二人であたることが多かったのだが、今回は別の仕事があるとのことだ。
巡礼棟は意外と広いため、ひとりで掃除をするのは中々骨が折れる。まあ、そんな弱音を吐いてもどうにもならないのでこれくらいにしておくか。俺はため息を浅く吐いて、箒を手に巡礼棟に向かった。
巡礼棟はゴシック調の格式高い修道院と比べるとかなりシンプルな作りをしている。素朴な村の教会と言った雰囲気で、おそらく修道院より前に建てられたものなのだろう。
巡礼棟の扉を押し開き、ドアストッパー代わりに水を入れたバケツを脇に置く。窓を開放し、空気の入れ替えを行う。こうしないと埃が舞って、くしゃみが止まらなくなるのだ。
「修道士様、おはようございます」
「……ん? ああ、ソフィアさん。おはようございます」
掃除をはじめて少しすると、ソフィアさんが2階から降りてきた。麦の穂のような金色に近い茶髪。それを緩く編み込んで背中に流している。母性を感じさせる優しげなたれ目に、赤い唇がなんとも言えない艶やかな雰囲気を醸し出していた。
「あの、ずっと言おうとしていたんですが、俺修道士じゃないんです。居候みたいな立場でして」
「まぁ、そうなのですか?」
「ええ、なんか騙すようですいません」
「いいえ、とんでもありません。修道士様でなくとも、こうして私を助けてくださっているではありませんか。その慈悲深さに至上の感謝を」
ソフィアさんは真っ直ぐ俺を見つめて、やんわりと微笑んだ。恥ずかしくなって、それを誤魔化すように頭をかく。
「あはは、大げさですよ。でも、どういたしまして」
「ふふっ、はい。……ところで、私こんなにもお世話になっているのにも関わらず、貴方様のお名前をきちんとお伺いできていませんでした」
「そう言えば、そうでしたね。俺はアンドリューです。よろしく、ソフィアさん」
手を差し出す。ソフィアさんは、一瞬驚いたような顔をしたが、俺の手をそっと握った。よろしくお願い致しますと、優しく上下に振る上品な握手。ソフィアさんらしい。
「アンドリュー様ですか。とても良いお名前ですね」
「そうですか? 俺は見ての通り異邦人でして、因みにここではどういう意味があるんですか?」
「アンドリューは、十二使徒の聖アンドレ様からきたお名前です。元の意味は、そうですね。……勇ましい者、と言ったところでしょうか」
なるほど、聖人の名前だったのか。あえて日本名に直すとしたら、
「……完全に名前負けしてますね、俺」
「そんなことございませんよ。勇ましいというのは単に武力があるということではありません。蛮勇ではなく、信念を持ってそれを通すことができる者という意味だと、私は思っております」
「ソフィアさんは優しいなぁ」
しみじみとそう言うと、ソフィアさんはいじらしく頬を染めた。
***
掃除が一段落すると、俺は椅子に腰かけて一息付いていた。長机に置かれた蜂蜜酒を飲みながら、対面に座っているソフィアさんに問いかける。
「ソフィアさんってさ、最終目的ってやっぱりエルサレムなんですか?」
「ええ、そうですね」
「じゃあ、これからまた長い道程だ」
「はい。しかし、信仰のためですから苦ではありません」
強く言い切るソフィアさんは、とても頼もしく見えた。こんな細身なのに、心は鋼のように固くしなやかだ。
「それに色々な場所を巡り、知見を広めたいという思いもあるのです。例えば、このストーンハーストは竜殺しの伝説があると聞いたことがあります。その地でしか聞けない話というのも多いですから」
「……竜殺しですか?」
「ええ、私も詳しくは存じ上げないですが、その昔この地には人々を喰らい毒を振り撒く巨大な悪竜がおり、それを聖者が討ち滅ぼしたとか」
「悪竜………………」
「ふふっ、ご興味がおありですか?」
「えっ? ああ、ここに住んでいるのにそんな話があることを知らなかったもので」
「そうですか? まことしやかに聞いたお話をなので、あまり当てにはならないのかもしれませんね」
ソフィアさんの話を聞きつつ、意識は竜殺しの伝説に向けられていた。妙な引っ掛かりを覚える。
――――竜、ドラゴン。
その概念は西洋と東洋では全く別の者だ。
東洋では、神の使いであり神聖な存在だが、西洋では悪の化身だと言われている。その証拠に、旧約聖書でイヴを唆し失楽園に追い込んだのも、蛇あるいはドラゴンとされている。
これはあやふやな知識だが、吸血鬼ドラキュラはドラゴンの息子という意味だと聞いたことがある。つまるところ、キリスト教において竜とは悪魔に他ならない。
ストーンハーストに竜殺しの伝説が存在した。ならば、その伝説が生まれたのはいつの話だ。
このストーンハースト修道院が建てられてからか。
――それともそれ以前、滅ぼされた村があったときなのか。