―――耳鳴りがする。
細い腕がすがり付くように首へ回される。
自身から滴り落ちた汗が、アマルの張りのある滑らかな肌を伝い流れる。それを見ながら、柔らかい身体を上から押し潰すように体重をかける。二つの豊かな果実が淫らにひしゃげ、形を変えた。
―――耳鳴りがする。
甘い吐息が部屋に響き渡る。
高く、しかし不快ではない透き通った声音。
その声に促されるままに、唇を重ねる。熱く蕩ける舌を交わしながら、華奢なアマルの身体を強く抱き締める。身体は彼女を求め激しく突き上げているのにも関わらず、何故か思考はぼんやりとしていた。
―――耳鳴りがする。
どこかで聞いたような耳鳴り。脳を震わし、耳を犯す。何も考えられない。ただ目の前の少女を貪り、味わい尽くす。暴力的な衝動にかられ、快楽の中に思考が堕ちていく。
目の前がチカチカと光る。
限界が近い。
肩で息をしながら、最後の力を振り絞る。
そして……その瞬間、世界が止まった。
気づけば、アマルの嬌声も荒い自身の吐息さえ聞こえない。身体は死んでいるように、動かない。いや、動けない。瞬きも自由にできず、目を見開いたまま固まる。状況が把握できず恐怖が喉からせり上がる。
……クスクス。
笑い声が聞こえた。
心底楽しくて、楽しくて楽しくて堪らないという声だった。愉悦に満ちた笑い声が空間に響き渡る。
―――耳鳴りが、する
ぐっと身体を強い力で引かれる。
鈍く光る紅眼。完成され人工物めいた美しすぎる容貌が目の前に広がった。
アマル、いや、彼女は……。
その考えを喜ぶように、少女は俺を優しく抱き止めた。
そして、耳元で囁く。
「――――私を見付けて」
***
「っ、はぁ……はあっ!」
目が覚める。
身体中が汗でびしょ濡れだ。喘ぐように呼吸をする。気持ち悪い。ぐしゃりと頭を撫で付ける。気持ちを落ち着かせてから起き上がる。
「夢か……」
妙に生々しい夢だった。
早打つ心臓を宥めるように、胸を押さえる。それから、深く息を吐いて呼吸を整えた。
「んっ……あんでぃさま?」
「……アマル、悪い起こしちゃったか」
「あんでぃさまぁ」
もぞりと身体を動かし、俺の名前を呼ぶアマル。俺に抱き付こうとする少女の肩を押さえてとどめさせる。
「今、汗かいてるから駄目だ」
「むうぅ、やー」
「やー、じゃない」
それでもくっつこうとするアマルから逃げるように、ベッドから抜け出した。手探りで蝋燭に灯をともす。タンスから布を取り出して、机上にある水の張った陶器に浸す。その布で顔、首、両腕、胸から腹を順に拭いていく。
ひんやりとした感触に、ほっと息を吐く。心が落ち着き、穏やかな鼓動を取り戻した。
もう一度布をボールに浸して、絞る。布を広げ背中を拭こうとすると、それを遮るように白く細い手が重ねられた。
「……アンディ様、背中は私がお拭き致します」
「アマル……そうか、じゃあ頼む」
アマルは布を受けとると、優しく丁寧に背中を拭いてくれる。気持ち良い。さっぱりする。
全て拭き終わるとアマルは「はふぅ」と熱いため息をついた。
「……アンディ様」
「ん、どうした?」
「えへへ、アンディ様ぁ」
アマルはふにゃりと、はにかんだ。背中から包むように抱き付き、俺に身体を押し付けてくる。柔らかい胸の感触が心地良い。少女の甘い体臭が鼻腔を擽った。
「アンディ様の背中は広くて、逞しくて、とても安心します」
「ん、そうか?」
「……はい」
アマルは噛み締めるように頷いた。それから、俺の耳たぶに口付けを落す。
「貴方様の腕に抱かれているときだけ、私は全てを忘れられる」
「……アマル」
俺は回されたアマルの手を優しくほどき、振り返る。アマルに向き合って、改めて抱き締めた。
「アンディ様、お慕いしています。どうか、アマルをずっと側に置いて下さい」
「当たり前だ。むしろ、お前が嫌だって言っても離してやらないから」
あえて、冗談めかして言う。
アマルは、笑った。
「ふふっ、嫌なんて決して思うはずありません。アンディ様に与えられるなら、苦痛や悲哀さえも愛しい。私は貴方様の虜。貴方様だけに従い、尽くし、全てを捧げます」
狂信的なまでの恋情。その祈りに似た言葉に圧倒される。アマルの居場所は本当に俺だけなのだ。だから、必死になって俺の側に居ようとする。……それが、酷く悲しい。
お前はここに居て良いんだ。そんな悲しい顔をして笑わないでくれ。俺は何故かそれを言葉にすることができなかった。だから、強くアマルを抱擁する。それは代償行為に似ていた。
暫くそうしていたが、アマルの肩が震えていることに気付きベットに戻る。ここは夏でも日本のように湿度が高くないため、夜は肌寒い。汗でじっとりとしている布団に思わず眉をひそめる。だが、それも我慢できないほどではない。
ぎゅっと抱きついてくるアマルの頭を撫でながら、ふと思った。
「……なぁ、アマル」
アマルは何でしょう? と首を傾げる。小動物のような仕草に笑みが漏れた。
「お前に家族、その……姉妹とかいないよな?」
「……何故、そのようなことをお聞きになるのですか?」
感情の乗らない声。初めて出会ったときと同じ、機械じみた声音。その声音に、深淵から這い出るようなイメージを抱く。ごくりと、喉がが鳴った。
「い、いや。ほら、その挨拶をしないとさ。付き合って同棲もしてるし、きちんとしないと、あれだろ? 今後のことも考えてさ」
自分でも苦し紛れの言い訳だと思う。そもそも、何故誤魔化したのだろうか。分からないが、そうしないといけない気がした。
アマルは俺の顔を見て、悲しげに目を伏せた。きっと彼女は分かっているのだ。俺に別の意図があるということを。
「……そう、ですか。ならば嬉しい、です。先のことを、考えて……下さっている、のですね」
途切れ途切れの声。言葉にしながら、自身に言い聞かせているようだった。
「ああ、勿論だ」
暗闇の中、アマルの表情は窺えなかった。数分の沈黙後、アマルはぽつりと呟いた。
「…………同胞の姉がいます」
その言葉に心臓が震えた。思わず、手で胸を押さえる。落ち着け。何をそんなに物欲しそうに踊っているんだ。お前が得られるものなんてこの世に何一つない。意識して、息を深く吸う。
アマルに、姉がいた。
では、あの少女は……。
「でも、姉は―――」
そこで、一拍間を置いて、言葉を続ける。
「―――産まれて直ぐに、亡くなりました」
だから挨拶は不要です、とアマルは呟いた。
どくり、と心臓が躍動した。