聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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反芻される言葉

 

 

 

 ずっと、会いたかった。

 

 振り向いて、笑いかけて欲しかった。

 

 それだけで良かった。

 それだけを求めていた。

 

 でも、貴方は前に進んだ。

 私を置いて、一歩を踏み出した。

 

 それがとても悲しくて、辛くて、痛くて、苦しくて苦しくて苦しくて―――何よりも憎かった(愛しかった)

 

 気付いて。

 私はここに居る。 

 ここで独り、貴方を待っている。

 だから、どうか私を見付けてください。

 

 

 ………それが叶わぬ望みなら、貴方を想い貴方の夢を見続けたい。幸せな微睡みに包まれて、永久(とこしえ)の眠りにつきたい。だから、私は祈るのです。

 

 

 

 ―――決して明けない夜が来るように。

 

 

 

 ***

 

 

 

 昨晩のことを思い出す。

 アマルの言葉が繰り返し脳に浮かぶ。

 

 『同胞(はらから)の姉がいます』

 

 アマルには姉がいたのだ。

 

 1年半共にいたが、そんなことは一度だって口にしたことはなかった。それ自体は不思議なことではない。俺だって静代……妹の存在を彼女に一切話していない。勿論、亡くなったことも、だ。

 

 それなのにこうも何故引っ掛かりを覚えるのだろうか。分からない。分からないが、それが重要な情報であるように思えた。

 

「……アンディ様。先程から黙りこんでどうかなさいましたか? まさか、その、スープがお口に合わなかったでしょうか?」

 

 アマルの言葉に思考が浮上する。

 机に並べられた食事が目に飛び込んでくる。しまった。食事中だった。慌てて視線をアマルに向けた。

 

 彼女は上目遣いで俺を見つめていた。不安げに揺れる瞳が何とも哀愁漂う。俺は慰めるように笑って、アマルに声をかけた。

 

「いや、いつも通りとても美味しいよ」

 

「……良かった」

 

 心底ほっとした様子のアマル。彼女は祈るように胸の前で手を組み、ふわりと頬を緩めた。

 

「……あら、アンディ様、杯が空になっていますね。……エールをお注ぎいたします」

 

 しっとりと微笑み、エールをコップに注いでくれる。アマルに礼を言って、俺はそれを一気に飲み干した。生温いエールが、喉に絡み付く。苦味が口一杯に広がり、思わず顔をしかめた。

 

 

 

 朝食を食べ終え、後片付けをするアマルを目で追う。綺麗な銀髪が蝋燭の仄かな明かりに照らされて橙色に染まっていた。

 

 アマルは俺の視線に気が付くと恥ずかしげに目を伏せ、それを誤魔化すように髪を耳にかけた。その仕草が妙に色っぽい。

 

 立ち上がり、腕を広げる。

 

「アマル、おいで」

 

「……はいっ」

 

 嬉しそうに顔を輝かせ、手を止めると直ぐに駆け寄って来る。その姿はさながら飼い主に呼ばれ喜ぶ子犬だった。

 

 ぎゅっと抱き締める。髪に顔を埋め、彼女の香りを嗅いだ。咲き誇る花のような、熟れた果実のような香り。嗅ぎ慣れた匂いに心が癒される。

 

 満足するまでそれを堪能すると、身体を離す。鮮紅の瞳が切な気に揺れた。

 

「……アマル。その……」

 

「アンディ様……?」

 

 その後に続く言葉を探す。言いたいことは沢山あった。何かを祀る礼拝堂。修道士が守る秘密。そして……アマルの姉のこと。でも言葉が出てこない。もごもごと言い淀み、結局は何も伝えられなかった。俺の不自然な様子にアマルは怪訝そうに眉をひそめた。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「……ああ、いや、何でもないよ」

 

「そう、ですか」

 

 アマルは従順に頷いた。しかし、内心は納得できないのだろう。不満がありありと顔に浮かんでいた。

 

(……ほんと愛されているな、俺)

 

 アマルは俺に対して驚くほど過保護だ。全力で甘やかし、誰にも傷付けまいと守る。さらには、自分から離れないよう何から何まで世話をして、俺の自立を妨げようとする。病的と言っても良いほど、彼女は俺に執着している。だからこそ、俺の微かな感情の変化にも、機敏に反応するのだ。

 

 アマルの意識をそらすため、桃色の唇に口付けを落とした。アマルは一瞬目を見開いたが、直ぐにうっとりと顔を蕩けさせた。頬を上気させ、もっととすがり付いてくる。

 

 色を知らない少女だったアマル。今や純心な姿はどこにもない。淫靡さえ感じるその表情は、紛うごとく「女」のそれだった。アマルを変えたのは間違いなく俺だ。それに対して後悔はない。罪悪感も。だが、時々思うのだ。

 

(アマルにとって俺は……麻薬なのではないか)

 

 それは時によって救いにもなり得るが、それ以上に恐るべき結末が鎌首をもたげて待っている。そんな考えを振り切るように、俺はそっと目を伏せた。

 

 

 ***

 

 

 午後、フランチェスコと共に葡萄畑の手入れを行う。

 どんよりとした厚い雲が太陽の光をさえぎり、辺りは昼間なのに色褪せ灰色がかっていた。それが今の自分の心を写しているようで、うんざりとする。

 

「どうしたんです? 何やら沈痛な表情ですが、腹でも下しましたか?」

 

 フランチェスコは手を止めて、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

「いや、違う。別にそんなんじゃないよ」

 

「なら、他に何か心配ごとでもあるんですかい?」

 

 フランチェスコの優しい声に思わず全てを話したくなる。しかし、そんなことができるはずもない。だから、日本を想い郷愁の念にかられていたかのように振る舞った。

 

「ああ、少し故郷の家族を思い出してた」

 

「そうですかい……そりゃ野暮なことを聞きましたね」

 

 へちょりと眉を下げるフランチェスコ。こういうところを見ると、ああこいつ本当に良いやつなんだな、と改めて思う。

 

「いいや、大丈夫だ」

 

 俺はフランチェスコに微笑んだ。それを見たフランチェスコはほっとした顔をした。分かりやすい。

 

「……そう言えば、旦那からご家族の話をあまり聞いたことがなかったですねぇ」

 

「まぁ、話したことがなかったからな。家族とはもう長らく会っていない。遠い遠いところに行ってしまったからな」

 

「旦那の故郷は東の最果ての島国でしたっけ。そりゃ、中々帰れませんね」

 

「ああ、そうだな。でも、必ず会えるさ。何十年も待たせることなると思うけど、きっと」

 

「ええ、あっしもそう願っておきます」

 

 フランチェスコは十字を切って、祈りを捧げてくれた。軽く頭を下げて礼を言う。ぽっちゃりとした頬を震わせて、フランチェスコは笑った。

 

「……フランチェスコの家は商家なんだったけ」

 

「ええ、そうですね。あっしには兄がいるので、家業は兄が継いでいますよ。まぁ、肝心の兄とはあまり仲が良いと言えませんがね」

 

 どくり。

 

 フランチェスコの言葉に、何故か胸が大きく鼓動を打った。落ち着け。俺は胸に手を当て鼓動を押さえ込む。浅く息を吸ってから、フランチェスコに対して言葉を発した。

 

「なぁ、もう一回言ってくれないか?」

 

「えっ? 家業は兄が継いでいますよ。兄とはあまり仲が良いとは言えませんがね」

 

「いや、それよりも前だ」

 

「ええと、あっしには兄がいるので……ですかい?」

 

 頭の中で、フランチェスコの言葉とアマルの言葉がリフレインする。

 

『あっしには兄がいるので』

 

『同胞の姉がいます』

 

 どちらも兄姉がいるというだけの言葉だ。だが、それでいて決定的に違う。それが俺の感じた違和感の正体だったんだ。

 

 どくり、と胸が鳴る。

 

 心臓を押さえ込むのではなく、今度は心音を確かめるように、俺は胸に手を置いた。

 

 

 どくり、と何かが脈動した。

 

 

 

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